記事No | : 81 |
タイトル | : GESORTING 163 『とろける鉄工所』も買いました |
投稿日 | : 2009/03/01(Sun) 16:13:45 |
投稿者 | : geso < > |
[近頃見た中で印象的な夢]
忘れないうちに打ち込んだメモ.
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男は,隣村(シャーマンばかり住んでいる)の娘に「親切にしてもらったお礼に第三の眼を開けてあげる」と言われる.
娘の説明によれば,第三の眼とは,実際に眼の形をしているわけでも,それにより透視や予知ができるわけでもないが,洞察力を最大限に高めることによって,未来を直視するのとほぼ同じ効果をもたらすものであるという.
男が了承すると,娘は手も触れずに男の額に第三の眼を開けた.
彼は最初「世界が今までと全く違って見える」と喜んだが,三日後になぜか自殺してしまう.
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場所は南米の某所で,高地っぽい.
シャーマンの娘はコブラに似た顔つきをしており,白目はなく,瞳は円くオレンジ色.額中央に小さな穴が開いているのが,第三の眼と思われる.男の目には彼女が美しく見える.
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蛇娘の顔は,昔見たハマー映画のスティル写真の記憶が影響しているのかも知れない.
[段ボールハウス]
本の柱が崩れる恐れが出てきたので,取り敢えず段ボール箱に移し替えることにした.
段ボールなら何でもいいというわけではない.箱が大きすぎても小さすぎても無駄なスペースが生じるし,積み重ねたとき綺麗に揃わないからだ.
いろいろ試したうえで,最近は東急ハンズで「無地ダンボール 文庫本L」(32×32×12cm)又は「デザインダンボールL 白無地」(39×27×18cm)という商品を買っている.前者は文庫本専用で概ね32冊,後者は新書と四六判用で概ね40冊収納できて,なかなか重宝である.紙がもう少し厚くて丈夫なら申し分ないのだが...
で,取り敢えず文庫本L3箱とデザインダンボールL2箱を買って詰め込んでみたが,入りきれないのがあと1箱分ある.
部屋に積まれた段ボール箱は既に22個.うーん,切りがない...
[懲りない私]
2月に買った本は計21冊だった.そんなに買ってどうする.今月は控えようと思う.
積ん読も交え,読む順番は不同.
△山田正紀『神君幻法帖』(徳間書店 2009)
山田風太郎へのオマージュであり,『甲賀忍法帖』のパスティーシュ.
忍法に相当する荒唐無稽な「幻法」が山風に倣った疑似科学的解説付きで続々登場するが,どちらかというと小説版よりも角川映画版の山風といった雰囲気である.
山田正紀が山風調の時代小説を書くのは『闇の太守』全4巻(講談社 1984〜1990)以来で,随分久し振りだが――原稿の注文がなかっただけらしい――元々山風を敬愛して止まないだけあってキモを掴んでいるから,出来映えに問題はない.
しかし,オリジナルを超えるパスティーシュが誕生するという奇蹟はやはり起きなかったようだ.
結末などオリジナルよりも捻りがあるくらいだけれど,やや感傷的で,山風の徹底した虚無主義に太刀打ちできない.
シリーズ化しても例によって途中で放棄するだろうが,1作だけというのも淋しい...と思ったら,後書き対談によればもう1冊,『くノ一忍法帖』ベースの作品を準備中だそうで,山風のエロ忍法をどうアレンジするか――今回も少し試みてたけど――楽しみである.
○シオドア・スタージョン『時間のかかる彫刻』(創元SF文庫 2004.原書 1971)
最初の邦訳(サンリオSF文庫版『スタージョンは健在なり』(1983))は読み逃してたので,やっと読めて嬉しい.SFのみならず普通の小説を書かせても「つくづくうまい」(大森望)ので,安心して楽しめるバラエティ豊かな全12編.他の作品も全部読みたいので,収集中.
△式貴士『カンタン刑』(光文社文庫 2008)
○平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』(光文社 2006)
式のは第1短編集と同じ表題だが,中身はファンサイト主宰者によるベストセレクション.
平山のは,日本推理作家協会賞ほか幾つかの賞を受けた話題作.文庫化もされ在庫がだぶついたためか,ブクォーフ105円棚に落ちてきた.
式本の後書きを平山が書いていたのをきっかけに,この2冊の収録作品を交互に読んでみた.
式(1991年没)は多くのペンネームを使い分けた作家だが――間羊太郎名で書かれた「へんな学校」が懐かしい――式名義では「エログロナンセンス」の小説しか書かない,というポリシーを持っていたらしい.
一言でいえば「悪趣味」に徹した作品群であるが,描写は意外にあっさりしているし,寓話的な物語が多いので,今読むと表題作を含め発表当時騒がれたほどの衝撃はない.
それでも「首吊り三味線」あたりの気色悪さはなかなかのものだし,「東城線見聞録」の駄洒落に終始したくだらなさは感動的ですらある.
平山本の方は,式的な資質を積極的に受け継ぎながらも格段に修辞的であり,より鬼畜化した津原泰水といった趣.嗜虐的描写――拷問シーンなど――はかなりリアルなので,痛いのに弱い人は絶対に読んではいけない.
因みに,平山による後書きは,以前も触れた津原泰水によるジョナサン・キャロル『パニックの手』の後書きにそっくりな内容――最も落ち込んでいた時期に自分を救ってくれた作品とその作家に対する讃辞――で,面白い.これも一種の物語類型なのね.
△広瀬正『エロス』(集英社文庫 1982.親本初版1971)
○同『T型フォード殺人事件』(同.親本初版1972)
『エロス』は並行歴史ものの長編SF.史実に保障されたディテールのリアリティと,物語としてのリアリティとのバランスの取り方が,やや生硬な感じがする.今時の作家だったらもっと読みやすく書けるかも知れないけれど,そこが持ち味にもなっているので,欠点とばかりは言えない.
『T型フォード殺人事件』は,表題作の中編にデビュー短編と未発表の短編1編を加えた作品集.
表題作は真っ向勝負の本格ミステリ,デビュー作は犯罪小説,未発表作は得意のタイム・パラドックスもの.いずれも新奇さはないけれど,十分楽しめる.
『エロス』が出版された数箇月後に作者は急死しており,『T型フォード殺人事件』は,『鏡の国のアリス』と同様,死後に出版された遺作である.やはり惜しい作家だと思う.
△原宏一『トイレのポツポツ』(集英社 2009)
原の最新作は,語り手を変えた6編から成る連作.表題の意味は書かずにおくべきだろう.
今回は奇想小説ではなく,中堅食品会社を舞台に偽装表示問題や派遣社員問題を扱った今日的なサラリーマン小説だが,一見読者を慰撫するだけに思わせつつ秘かに扇動もしているので,侮れない.
でも,次作はもっとスケールが大きい作品を期待する.
?美内すずえ『ガラスの仮面 43』(白泉社花とゆめCOMICS 2009)
?芳崎せいむ『金魚屋古書店 8』(小学館IKKI COMIX 2009)
もはや定番なので是も非もなく新刊が出たら読む.
「ガラかめ」新刊はほぼ5年振りだった(その前は6年振り).それなのにこの既読感は何か.正に偉大なるマンネリズム.
△スティーヴン・ウォーカー『ヤング@ハート』(2007 英)
平均年齢80歳のコーラス隊「ヤング@ハート」のコンサート前6箇月間を追ったドキュメンタリ.数々の観客賞を受賞しているそうで,確かによく出来た「感動作」である.
このグループの売りは,選曲がスタンダードやクラシックではなく,ロックやパンクやR&Bだという点だ.これには仕掛け人がいるのだが,それは別にいいとして,俺はひねくれているせいか,手放しで賞賛する気にはなれない.『スクール・オブ・ロック 』を観たときに近い苛立ちを覚えた.
そもそもロックやパンクはサブカルチャーではあってもカウンターカルチャーではない――精々偽装されたカウンターカルチャーだ――と思うので,嘘臭さを感じずにはいられないのである.
ミュージシャンの「ロックな」発言を真に受けて称揚するナイーヴすぎる連中――例えばボブ・ディラン信者やらジョン・レノン信者やら――には,昔からウンザリしてるのだ.
この映画の観客や,ライヴの観客たちが感動するのは,あくまでも「ミスマッチに思えるロックやパンクのナンバーを,猛練習を重ねて自分のものにして歌い上げている老人たち」に対してであって,彼らが採り上げた楽曲に対してではない――全くないという訳ではないが,比率としてごく低い――という事実に目を瞑るべきではない.観客の中には,いみじくも「彼らが楽しんで演っているのを見るのが,楽しい」という感想を述べる子供たちもいたが.
感動してはいけない,と言いたいのではない.元気な老人たちを称えることと,彼らが演っている音楽を称えることとは別であり,混同するのは誤りだと言いたいだけだ.この映画が悪質なのは,両者を故意に混同して描いている所である.
個人的には,養老院の老人たちに「涙で枕を濡らすよりゃあ死んだ方がましだ〜」と陽気に歌わせたハリー・ニルソンの楽しい曲――アルバム "Son of Schmilsson"(1972)所収の "I'd Rather Be Dead" ――を数十年振りに思い出させてもらったので,その点は良かったんですが.
[どうせ当たらない]
こんな真っ暗なドラマを土曜夜9時に放送するってのは英断だと思い,珍しく見続けている日テレ『銭ゲバ』であるが,元々早かった展開が終盤に近付いてますます加速すると共に,第6回からマツケンとミムラの演技合戦の様相も呈し始めており,見逃せない.現時点であと2回で完結だが,最後はどうなるのか.
原作では,蒲郡風太郎は警察からは逃げおおせるけれど,虚無感から自室で拳銃自殺する.
だが,ドラマではそのとおりにしないだろう.彼は自殺もしないし,改心もしない.キャラ的に,そうしてはいけないと思う.
となると,あのまま悪党として生き延びるか,捕まるか,殺されるかのいずれかだ.
現実的に考えれば,あれだけ穴だらけの犯罪を続けて捕まらない訳はないのだが,これはリアリズム作品ではないから,最後まで捕まらないこともあり得る.
かと言って,視聴者のカタルシスを考慮すれば,風太郎が全く無傷で済まされるという訳にもいかない.
となると...まぁ俺の予想は当たらないから,よそう.
因みに,これも並行世界ものというべきか,彼が自殺していない別の世界を描いた作品もあったと記憶するし,実は自殺に失敗して生きてて娘もいて,その娘が父親以上の銭ゲバになるという作品(『銭ゲバの娘 プーコ』)もある.このへんは,いかにもジョージ秋山らしいいい加減さだが,後に描かれた「異本」のいずれも最初の『銭ゲバ』を超えてないのは,当然と言えば当然であろう.
2009.03.01 GESO