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タイトルGESORTING 205 その後の不規則備忘録(1/2)
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投稿日: 2023/01/20(Fri) 19:20:17
投稿者あかなるむ
本(マンガと雑誌に漏れあり)
2017
○清水潔『桶川ストーカー殺人事件』(新潮文庫 2004.親本 2000)
 『殺人犯はそこにいる』は凄かったがこれもなかなか凄まじいドキュメンタリー.ジャーナリストたる者義憤を持つべしと思わされる.
○上野顕太郎『夜の眼は千でございます』(KADOKAWA 2016)
 画力の無駄遣いを誇るギャグマンガ家ウエケンの「夜千」シリーズ第5弾.取り分け水木しげると望月三起也各追悼編の絵柄の模写ぶりが素晴らしい.
○東海林さだお『東海林さだお自選ショージ君の漫画文庫傑作選』(文藝春秋 2003)
 「週刊漫画TIMES」に1967〜1978年に連載された1編7ページのシリーズから厳選した100編.久しぶりに読むショージマンガはやはり面白い.エロも不条理もブラックも出てくるが今なら問題になりそうな差別ネタもかなりある.古さを感じさせないものが多いが中にはもはや通じそうにない時事ネタもあるので初出データと事件年表を付けて欲しかった.中条省平による「何も足せない、何も引けない」と題された解説の結び「ショージ漫画は、ドーダとグヤジイの落差を笑うちょっといじわるな笑いのなかから、かならずほろ苦いアワレを感じさせる、その懐の深さがなんともすばらしいと思うのです。」に同感.
○岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』(角川書店 2012)
 ブライアン・エヴンソンやルイス・アルベルト・ウレア等英語圏の知られざる作家計11人による12の短編小説を収めたアンソロジー.かつて「奇妙な味の小説」と呼ばれていた作品に近い.
△やまあき道屯『x細胞は深く息をする』(サンクチュアリ出版 2010)
 医療系感動ポルノと言ったらあんまりか?
○清水潔『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋 2016)
 NNNドキュメント「南京事件兵士たちの遺言」に旅順での追加取材報告を加えた(小説よりも劇的な)調査記録.筆者にとっては取材旅行であると同時に日清・日露戦争に出兵していた著者の祖父の過去を初めて知る旅でもあった.「じいさん、あんたそれで良かったのか?」
○神谷一心『たとえ、世界に背いても』(講談社 2015)
○清水潔『騙されてたまるか調査報道の裏側』(新潮新書 2015)
○鹿子裕文『へろへろ』(ナナロク社 2015)
 無茶苦茶面白くかつ真面目な老人介護施設ドキュメンタリー.同著者編集による本書関連雑誌「ヨレヨレ」は売切れで第2号しか入手できず.
○佐藤正午『ジャンプ』(光文社 2000)
○同『女について』(光文社文庫 2001.『恋売ります』講談社文庫 1991 改題)
△岡田屋鉄蔵『ひらひら国芳一門浮世譚』(太田出版 2011)
○伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』(光文社 2015)
○まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』(扶桑社 2015)
○小林泰三『アリス殺し』(東京創元社 2013)
○佐藤正午『アンダーリポート/ブルー』(小学館文庫 2015.親本 集英社『『アンダーリポート』 207+小学館『正午派』 2009より「ブルー」)
○伊坂幸太郎『残り全部バケーション』(集英社文庫 2015.親本 2012)
△海堂尊『カレイドスコープの箱庭』(宝島社 2014)
 海堂は作品に出来不出来はあるけれど旗幟鮮明で己の信ずることを発信し続けているところは偉い――大概の小説家にとってタブーと思われる本屋大賞批判を唯一人公にしている.
○酉島伝法『皆勤の徒』(東京創元社 2013)
 表題作は「生物都市」を想起させるぐちゃぐちゃぬとぬとな超未来世界を舞台にしたサラリー<ポストヒュー>マン小説(何のこっちゃ).
○山田参助『あれよ星屑6』(KADOKAWA 2017)
○うめざわしゅん『パンティストッキングのような空の下』(太田出版 2015)
 傑作アウトテイク集.(本作を皮切りにうめざわ本を収集完了.)
○長岡弘樹『教場』(小学館 2013)
○同『教場2』(小学館 2016)
○吉田秋生『海街diary8』(小学館 2017)
○北原尚彦『死美人辻馬車』(講談社文庫 2010)
○諸星大二郎『暗黒神話完全版』(集英社 2017)
 祖父江さん! 立派な装幀ですがとても読みにくいです……
○同『BOX2』(講談社 2017)
○中川ホメオパシー『干支天使チアラット2』(リイド社 2017)
 鬼畜系アシッドギャグマンガの第一人者.
○同『抱かれたい道場』(秋田書店 2012)
○田中圭一『うつヌケ』(角川書店 2017)
 圭一作品はエロとシリアスの振れ幅を含めて面白いが本人がときどきウヨっぽくなるのが玉に瑕.
○梨木香歩『ピスタチオ』(ちくま文庫 2014.親本 2010)
△桜庭一樹『ばらばら死体の夜』(集英社 2011)
○業田良家『機械仕掛けの愛3』(小学館ビッグコミックス 2015)
○ふみふみこ『女の穴』(徳間書店 2011)
○皆川博子『妖恋』(PHP研究所 1997)
○武田一義『さよならタマちゃん』(講談社イブニングKC 2013)
△北村薫『街の灯』(文藝春秋 2003)
 この人や芦辺拓は優等生的なミステリ作家という感じで作品は端正だけど凄みがない点が物足りない.でも昭和初期の上流階級を舞台にしたこのシリーズは三部作で完結済みだそうなので続きの2作も読んでみたい.
○松本次郎『ウエンディ』(太田出版 2000)
 破綻してるけど愛おしい作品.
○デイヴィッド・ゴードン『二流小説家』(早川ポケットミステリ 2011)
○伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』(新潮社 2014)
○皆川博子『猫舌男爵』(ハヤカワ文庫 2014.親本 講談社 2004)
○宮木あや子『官能と少女』(ハヤカワ文庫JA 2016.親本 2012)
○瀬川深『SOY!大いなる豆の物語』(筑摩書房 2015)
○奥浩哉『いぬやしき』1〜9(講談社イブニングKC 2014〜2017)
 藤子・F・不二雄『中年スーパーマン左江内氏』のハードコア版.あと1巻で完結.結末は意外に穏当になりそうなところが良いんだか悪いんだか.
○山上たつひこ・いがらしみきお『羊の木』全5巻(講談社イブニングKC 2011〜2014)
 山上原作+いがらし作画というコラボは成功.全編に漂う息苦しい不穏さが堪らん.各巻のオマケに対談や山上書き下ろし小説が収められているのもイーネ.来年映画化されるそうだけど予告HPによれば設定がだいぶ改変されていることが分かる.吉田八大監督だからそれほど酷いものにはならないだろうけど無難な作品に落ち着かなければよいが.
○野田サトル『ゴールデンカムイ』1〜8(ヤングジャンプコミックス 2015〜2016)
 不死身の杉元・アシリパ・レタラ.変態ギャグ要素あり.
○北原尚彦『首吊少女亭』(角川ホラー文庫 2010.親本 出版芸術社 2007)
△古野まほろ『群衆リドル』(光文社2010)
△同『命に三つの鐘が鳴るWの悲劇'75』(光文社 2011)
○三部けい『僕だけがいない街1〜9』(KADOKAWA 2013〜2017)
○松田洋子『大人スキップ1』(KADOKAWA 2017)
○山田正紀『ここから先は何もない』(河出書房新社 2017)
○沙村広明『波よ聞いてくれ1〜2』(アフタヌーンKC 2015〜2016)
○松岡圭祐『探偵の探偵T〜W』(講談社文庫 2014〜2015)
 ベストセラー作家ということで敬遠していたが初めて読んだら凄く面白かった.松岡の中でも異色作品らしいが画期的アイディアに基づくミステリ(というよりハードボイルド)で感心.笑わないヒロインの造形は私のイメージではどう考えても往年の梶芽衣子(年齢的には「さそり」以前――「野良猫ロック」の頃)であって少なくとも北川景子ではない.
○佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(KADOKAWA 2017)
 作者は性格は悪いが小説は巧い.同じ佐藤で歴史小説でも佐藤賢一の書割りみたいなものとはダンチ.
○三上延『ビブリア古書堂の事件手帖7〜栞子さんと果てない舞台〜』(メディアワークス文庫 2017)
○大沼紀子『真夜中のパン屋さん午前4時の共犯者』(ポプラ文庫 2016)
○同『真夜中のパン屋さん午前5時の朝告鳥』(ポプラ文庫 2017)
○松岡圭祐『探偵の鑑定T』(講談社文庫 2016)
○同『探偵の鑑定U』(講談社文庫 2016)
△峰なゆか『アラサーちゃん無修正5』(扶桑社 2017)
 「マンガ覚書」に採り上げようと思って揃えてしまったが未だ書いていない.
○皆川博子『トマト・ゲーム』(ハヤカワ文庫JA 2015.親本 講談社 1974・講談社文庫 1981)
○同『伯林蝋人形館』(文春文庫 2009.親本 2006)
 1920年代のドイツを中心舞台にした凝りに凝った歴史(幻想)小説.蓮實門下の瀬川裕司という独文学者兼映画研究家が「きわめて無粋な作業であるとは承知しながらも」詳細な年表付き解説を書いているがそういう作業をしたくなる気持ちは理解できる.
○伊坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』(祥伝社ノン・ノベル 2015)
 シリーズ3作目.悪くはないがやはり1作目が一番面白かったな.
△清野とおる『東京都北区赤羽以外の話』(講談社 2012)
○皆川博子『蝶』(文春文庫 2008.親本 2005)
○渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』(扶桑社 2013)
○皆川博子『鎖と罠』(中公文庫 2017.親本『水底の祭り』(文藝春秋 1973)+『悦楽園』(出版芸術社 1994))
○同『倒立する塔の殺人』(PHP文芸文庫 2011.親本 理論社 2007)
 皆川作品を全部揃えるのは大変なので諦めてボチボチ読むしかない.基本ハズレなし.
○矢部宏治『知ってはいけない隠された日本支配の構造』(講談社現代新書 2017)
 一連の旧著のダイジェスト版で「寸止め感」はあるが書かれている範囲においては「事実」なのでケーモーのため人に勧めたい本ではある.
○上野顕太カ『いちマルはち』(KADOKAWA電撃コミックス 2014)
△伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』(河出文庫 2014.親本 2012)
○津原泰水『11』(河出書房新社 2011)
 巧いのに売れない津原.応援したい.
○多田裕美子『山谷ヤマの男』(筑摩書房 2016)
 「いい顔のオヤジ」の写真+エッセイ集.
△望月諒子『田崎教授の死を巡る桜子准教授の考察』(集英社文庫 2014)
○バラク・クシュナー『思想戦大日本帝国のプロパガンダ』(明石書房 2016)
 「第五章三つ巴の攻防」が特に興味深い.
○辻田真佐憲『たのしいプロパガンダ』(イースト・プレス イースト新書Q 2015)
○泡坂妻夫『湖底のまつり』(創元推理文庫 1994.親本 幻影城ノベルス 1978 再購入)
 泡坂本を殆ど売り払ったことを後悔している.
△結城充孝『アルゴリズム・キル』(光文社 2016)
 クロハシリーズ4作目.タイトルが意味不明.
○伊坂幸太郎『マリアビートル』(角川文庫 2013.親本 2010)
○渋澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(立風書房1990)
△古野まほろ『身元不明』(講談社2015)
 見立て殺人を取り扱った警察小説.京極夏彦だったらこの3倍の長さにしたと思う.
△相原コージ・竹熊健太郎『サルまん2.0』(小学館クリエイティブ 2017)
 A5判は小さくて読みづらい.B5判にするのは無理だったのか.
○松田洋子『大人スキップ2』(KADOKAWA 2017)
○矢部太郎『大家さんと僕』(新潮社 2017)
 初めて描いたマンガとは思えない.プロ作家たちが嫉妬するのも分かる.
○知念実希人『仮面病棟』(実業之日本社 2014)
×松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書 2000)
 著者によれば文章や映像のみならずそれこそ「知」だろうと「思想」だろうとあらゆるものは編集可能である.正確に言えばあらゆる「情報」がである.だが情報とは既に編集された事実群であるからそれを編集するという行為は再(再々・再々々……)編集あるいは二次(三次・四次……)加工にほかならない.著者はそんなことは承知で言ってる筈でつまりは確信犯的に「編集」の価値を売り込んでいるのであり本書は「知」を情報として加工し「新しさ」という価値を付加して売るためのノウハウ本である.別に二次(三次……)加工や二次……創作自体が悪いわけではない.いかなる創作も先人の模倣や影響から始まるしかないし情報は蓄積され続けるので時代を下るほど独創性が薄まるのも自明だ.それでも――単なる剽窃でない限りは――作者が違えば作品も全部違い個別の価値を持つ.編集は慥かに重要だが素材を並べ立てる手段にすぎない.それを創作よりも上位に置く広告屋の発想が嫌らしい.松岡正剛は糸井重里と大差ない.
2018(途中まで)
○知念実希人『時限病棟』(実業之日本社文庫 2016)
○松岡圭祐『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』(講談社文庫 2017)
△寺山修司『不思議図書館』(角川文庫 1984.親本 1981)
○吾妻ひでお『うつうつひでお日記その後』(角川書店 2008)
○同『地を這う魚ひでおの青春日記』(角川書店 2009)
○同『ひみつのひでお日記』(角川書店 2014)
○いましろたかし『ラララ劇場』(エンターブレイン 2005)
○同『引き潮』(エンターブレイン 2010)
○益田ミリ『僕の姉ちゃん』(マガジンハウス)
○豊田徹也『ゴーグル』(講談社アフタヌーンKCDX 2012)
△有栖川有栖『有栖の乱読』(メディアファクトリー 1998)
△ドストエフスキー・亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟全5巻』(光文社古典新訳文庫 2006〜2007)
 誤訳で名高い亀山版を買ってしまった.機会があれば米山正夫版で読み直そう.
○高野史緒『カラマーゾフの妹』(講談社文庫 2014.親本2012)
 『カラマーゾフの兄弟』よりも面白いくらいだが原典を読んでおく必要はある.
△上野顕太カ『夜は千の眼を持つ』(エンターブレイン)
?亀山郁夫『新カラマーゾフの兄弟』上下巻(2015)
 怪作としか言いようがない.主要な舞台の一つが1995年当時の東京で耳に馴染んだ固有名詞が頻出するので妙に生々しい.野方の「文化マーケット通り」や今は無き「長崎屋」高円寺の「オリンピック」や中野の「島忠」等が出てくる.ちなみに「目から火が出そうなほどの恥ずかしさ」という大学人とは思えない恥ずかしい誤記あり(下巻p.55)――校閲で気付かなかったのか?
○井浦秀夫『刑事ゆがみ』1〜4(2016〜2018 連載中)
○都留泰作『ムシヌユン』5〜6(2017〜2018 完結)
 好き嫌いは完全に分かれるようだ.私は好きだが周りの人は大概嫌そうな顔をする.
○都筑道夫『未来警察殺人課完全版』(2014)
○上野顕太カ『帽子男』(2009)
○同『星降る夜は千の眼を持つ』(2007)
○烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』(2017)
 怪しい点:著者はCRSでのインターン勤務経験あり・CIAのダーク面を無視・日本会議に所属する国会議員の比率は低いと言うが具体的な数字や他の団体への参加率との比較を示さない・陰謀論という用語自体がCIAの発案であることとその事実が公開されていることに触れていないetc.
△上野顕太カ『夜は千の眼を持つ』(2006)
○同『明日の夜は千の眼を持つ』(2011)
○同『50,000節』(2009)
○小野不由美『黒祠の島』(2003 再購入)
 これも売り払わなければよかった.
○深木章子『鬼畜の家』(講談社文庫 2014.親本 2011)
○山田参助『あれよ星屑(7)』(KADOKAWA 2018)
 悲痛な終わり方だがこれで正解.
×円城塔『Self-ReferenceENGINE』(ハヤカワ文庫 2010.親本 2007)
 比喩表現に抵抗感があって読めない.
○ねこまき『ねことじいちゃん3』(KADOKAWA 2017
○赤瀬川原平『もったいない話です』(筑摩書房 2007)
○津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』(幻冬舎 2016)
○同『エスカルゴ兄弟』(KADOKAWA 2016)
 エンタメに振り切った津原.キャラを立たせつつ物語を収束させないのはラノベに終わらせないための確信犯的行為か?
△『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』(清流出版 2009)
 本書所収の「蛞蝓大艦隊」という短編に落語家(志ん生がモデル)の女房のこんな台詞が出てくる.「お前は田舎者だから、蛞蝓なんぞ親戚交際(づきあい)だろうが、斯う見えても俺は江戸っ児だからな、いきなりヌルッと来たにゃ、まさにタマゲたよ」.なるほど当時は東京の女性も一人称に「俺」を使っていたのだな.
○山田参助『ニッポン夜枕話』(リイド社 2018)
 時代設定は江戸でギャグは昭和〜今ふうのアッケラカンとした艶笑漫画.小島功や小島剛夕のパロディーも出てくるが描線の色っぽさが先達に及んでいないところは残念.
○池谷裕二『進化しすぎた脳』(講談社ブルーバックス 2007.親本 朝日出版社 2004)
○同『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス 2013.親本 朝日出版社 2009)
 脳と体の精密さといい加減さに今更ながら驚かされる.幽体離脱を生じさせる脳部位(角回)の話など非常に面白い.養老孟司よりも科学者らしい.講義が抜群に上手い.
△竹本健治『闇のなかの赤い馬』(講談社ミステリーランド 2004)
○連城三紀彦『悲体』(幻戯書房 2018)
 初単行本化.いつものミステリあるいは恋愛小説を期待した読者は落胆するであろう純文学寄りの作品で身辺の事実がいかに虚構(小説)化されるかの実況報告にもなっている点で「実験作」.エンタメとは遠いけれど書かずにはいられなかった著者の切実さが感じられる.これで連城の未刊行長編は『虹のような黒』1作を残すのみ.この調子だといずれ出るのではと期待.長編以外では単行本未収録の短編も少なくとも26編あるのでそちらも纏めてほしい.
○高山羽根子『うどんキツネつきの』(創元SF文庫 2016.親本 2014)
△五木寛之作・伊坂芳太良画『奇妙な味の物語』(ポプラ社 2009.親本 1988)
 五木のショートショート17編と伊坂の挿画の1969年一度限りのコラボ.五木は×伊坂は○で合わせて△.五木の小説の凡庸さ・捻りの無さは何なんだこれは.1970年42歳で早逝した伊坂の絵のためにだけ買う.
○貴志祐介『天使の囀り』(1998 再購入)
 急に再読したくなり再購入.売らなきゃ良かった.貴志作品の中では一番好き.
△同『雀蜂』(角川ホラー文庫 2013)
 筒井を思わせるが貴志作品としては不満な出来.角川ホラー文庫の中で長編にしては短い(中編に近い分量の)作品というのは作者を問わず手抜きと言わぬまでも書き飛ばしてる感がありハズレが多い気がする.山田正紀もそうだった――『ナース』『サブウェイ』『人間競馬』.
○岸本佐知子『気になる部分』(白水社uブックス 2006.親本 2000)
 著者最初のエッセイ集.作者紹介に「あんな本を訳したのはやっぱりこんな人でした」とある(笑).いやあ変な人だ――でも「あるあるネタ」が随分あった.ということは私も変な人なのか?
○ベン・H・ウィンタース『地上最後の刑事』(ハヤカワ・ミステリ 2013.原著 2012)
○結城充考『駆体上の翼』(創元SF文庫 2016.親本 2013)
 きっと本当はSFを書きたい人なのね.『プラ・バロック』と並んで好きな作品.ちなみに『プラ・バロック』は2015年にテレ朝が2時間ドラマ化しているので遅ればせながらネットで観たが出だしから「こりゃ駄目だ」と思って途中でやめた.クロハ役が杏ってのは特に悪くないが原作の「近未来感」が皆無の凡庸な女刑事ドラマに堕していた――予算もなかったのだろうが演出が凡庸.
○しちみ楼『ピーヨと魔法の果実』(リイドカフェ・コミックス 2018)
△古泉智浩『ワイルド・ナイツ1』(双葉社 2009)
△結城昌治『あるフィルムの背景』(ちくま文庫 2017)
○山田正紀『バットランド』(河出書房新社 2018)
△結城充考『クロム・ジョウ』(文藝春秋 2014)
○同『狼のようなイルマ』(祥伝社 2015)
 イルマシリーズ1作目.作者曰く「バトルヒロイン警察小説」.お約束の展開なるもカッコイイ.惜しいのは3人の敵役のほうが主人公よりもキャラが立ってることとそれぞれの敵役の来歴に関する記述のバランスが悪いこと.また主人公の設定が類型的+感情移入しづらいこと.
○同『捜査一課殺人班イルマファイアスターター』(祥伝社 2017)
 2作目の舞台は東京湾上の巨大なメタンガス掘削プラットフォーム.しかも台風の最中での連続爆破殺人という「孤島もの」のバリエーション.
○同『捜査一課殺人班イルマエクスプロード』(祥伝社 2017)
 この人の単行本も全部揃ってしまった.
△山田正紀『クトゥルー短編集銀の弾丸』(創土社 2017)
 クトゥルーは別に好きではないが正紀本はコンプリートしているので購入.
△堀川アサコ『幻想郵便局』(講談社文庫 2013.親本 2011)
△同『幻想映画館』(講談社文庫 2013.親本 2012)
△飴村行『爛れた闇の帝国』(角川書店2011)
△同『路地裏のヒミコ』(文藝春秋 2014)
 飴村作品の中ではおとなしい出来.
○古野まほろ『ヒクイドリ』(幻冬舎 2015)
○山和雅『魂魄巡礼』(青林工藝舎 2016)
 『奇想天覚』を拾い読みしたことしかなかったが本作を読んで感心.一見和風伝奇マンガで帯は「惑いの時代を生かされているわたしたち日本人の根源にふれる"たましい"の物語」という臭いコピーだがそれが「釣り」であることは読めば分かる.むしろオカルトや迷信の欺しを暴いてみせる物語でそのやり方は京極堂の憑物落としを連想させる.ただし「この世に不思議なことなど何もない」という科学/合理主義を後ろ盾にしたもの「ではない」点が味噌.それはマンガ5編の間に挿入された十干十二支や旧暦の由来を解説した身も蓋もない4編の「付記」を読めば分かる.「多くの人が、迷信として表面上は忘れたように生活していながら、その時々に顔を出す「占い」や「俗信」を完全に捨て去ることができないのは、その不可解さが、わたしたち一人ひとりの存在自体の本質的な不可解さにつながることだからなのです。」(「付記三…九星占い」結語)ということ.
○仁木悦子『猫は知っていた』(講談社文庫 1975.親本 1957)
○同『刺のある樹』(角川文庫 1982.親本 1961)
○同『みずほ荘殺人事件』(角川文庫 1979.親本 1960)
 高円寺「円盤」で売っていた「仁木悦子ボックス」(中古文庫本12冊セット)が気になって買ったところからマイ仁木ブーム発生.
○筒井康隆『世界はゴ冗談』(新潮社 2015)
 近年の筒井の中では良い.
○仁木悦子『暗い日曜日』(角川文庫 1979.親本 1962)
○乾緑郎『機巧のイヴ』(新潮文庫 2017.親本 2014)
 パラレル日本の江戸時代後期を舞台にしたSFミステリの連作短編集.巻頭表題作の結末を予想できず久々に「やられた!」と思い癪だけど嬉しかった――やっぱりミステリにはびっくりさせてもらいたいからね.他の収録作品も奇想に溢れて上出来だが表題作の衝撃が強すぎて霞んでるのが残念.それにしてもこれが未だにマンガにも映画にもなっていないのは何故?
○同『機巧のイヴ新世界覚醒篇』(新潮文庫 2018)
 意外にユーモラスで緩い.前作と同質のシリアスさや緻密さを期待した向きはがっかりしたかも知れないが私はこれはこれで悪くないと思う.ただ前作もそうだったがカバー挿画のイヴは(読者が100人いれば100人のイヴがいるにしても)違和感ありすぎ.
○仁木悦子『夢魔の爪』(角川文庫 1978.親本 1970)
○同『穴』(講談社文庫 1979.親本 1971)
○同『三日間の悪夢』(角川文庫 1980.親本 1973)
○同『灯らない窓』(講談社文庫 1982.親本 1974)
○同『青じろい季節』(角川文庫 1980.親本 1975)
○田村由美『ミステリと言う勿れ1』(小学館フラワーコミックスα 2018)
○同『同2』(小学館フラワーコミックスα 2018)
 ほとんど台詞ばかりで動きの少ない舞台劇みたいなマンだが全く飽きずに読める.主人公=整くんは実写なら渡部豪太(「ふるカフェ系ハルさん」)だろうか(外見の印象だけで言ってる).
×谷口トモオ『《完全版》サイコ工場A』(リイド社 2007)
 ホラーファンの間で評価が高いマンガらしいが捻りが足りず画力の無駄遣いに思える.
△同『《完全版》サイコ工場Ω』(リイド社 2007)
 Aよりは捻りがある.丸尾末広に似た作品多し.
△たもさん『カルト宗教信じてました。』(彩図社 2018)
○仁木悦子『夏の終る日』(角川文庫 1983.親本 1975)
○リンジー・フェイ『ジェーン・スティールの告白』(ハヤカワ・ミステリ 2018)
○仁木悦子『銅の魚』(角川文庫 1984.親本 1980)
○小川哲『ユートロニカのこちら側』(ハヤカワSFシリーズJコレクション 2015)
○仁木悦子『一匹や二匹』(角川文庫 1987.親本 立風書房 1983)
○薬丸岳『天使のナイフ』(講談社 2005)
 登場人物の一人貫井哲朗の名は明らかに貫井徳郎から採ってるな.
○仁木悦子『林の中の家』(講談社文庫 1978.親本 1959)
 仁木悦子気に入って全部揃えたが一部は積ん読.殺人は起こるも心が和むオアシスみたいなミステリが主だがハードボイルド系が意外に良い.
○烏賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』(扶桑社新書 2017)
○大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選プロジェクト:シャーロック』(創元SF文庫 2018)
○飴村行『粘膜兄弟』(角川ホラー文庫 2010)
○同『粘膜戦士』(角川ホラー文庫 2012)
○日本推理作家協会編『暗闇を見よ最新ベスト・ミステリー』(光文社カッパ・ノベルス 2010)
 2007年1月号〜2009年12月号までの諸雑誌に掲載された短編ミステリの中から13編を選出したアンソロジー.結果的にホラー寄りの作品が多い中で法月綸太カの超マニアックなメタミステリ「引き立て役倶楽部の陰謀」が異彩を放つ.
○東雅夫編『厠の怪便所怪談競作集』(メディアファクトリー文庫 2010)
 書名どおりのアンソロジーで京極夏彦・平山夢明・福澤徹三・飴村行・黒史郎・長島槇子・水沫流人・岡部えつによる書き下ろし短編小説8作とエッセイ2編を収録.一見際物めいているが後書きを兼ねた巻末の編者によるエッセイ「厠の乙女――便所怪談の系譜」を読むとなかなか真面目な企画であることが分かる.もう1編のエッセイは大御所松谷みよ子による「学校の怪談」のうち便所絡みのものを集めたもの.小説は京極作品を除いてそれぞれ面白い.
△飴村行『粘膜黙示録』(文春文庫 2016)
 筒井御大もそうだけど飴村もエッセイは本人が思っている(であろう)ほど面白くないので小説だけ読んでいればいいと思う.飴村と高田純次とクリスチャン・ディオールが同じ誕生日(1/21)だというどうでもいい情報を得る.
○飴村行『粘膜探偵』(角川ホラー文庫 2018)
○同『ジムグリ』(集英社文庫 2018.親本 2015)
 物語自体は単純で本来短編か精々中編に収まるところが長編になったのは主要な舞台となる地下帝国のいわば「設定資料」が相当量書き込まれているからである.しかしこの執拗な疑似科学的解説こそが作者の持ち味.それを楽しめる人=ファンということだ.この人の小説も全部揃ってしまった.私はファンなのか?
○ファブリツィオ・グラッセッリ『ねじ曲げられた「イタリア料理」』(光文社新書 2017)
 イタリア料理にまつわる誤解を解くアンチグローバル食品産業の書.レシピも載ってて実用的.
○深町秋生『アウトバーン』(幻冬舎文庫 2011)
 深町作品は『果てしなき渇き』(サラリーマン時代に心を病んでリタリン漬けで書いた作品とのこと)しか読んでいなかったが本作を読んだら止まらなくなった.「組織犯罪対策課八神瑛子」シリーズ1作目.
○浦沢直樹『夢印』(小学館ビッグコミックスペシャル 2018)
 職人芸的エンタメ.フジオプロとのコラボでイヤミが助演男優として登場.浦沢は手塚プロもフジオプロも籠絡したから残るは藤子・F・不二雄プロと石森プロか.
○おざわゆき『傘寿まり子1〜7』(講談社BE-LOVEKCDX 2016〜2018)
 最年長ヒロインマンガ.社会ネタテンコ盛り.まり子は元気でいいけどそれは結局「過去の遺産」があるからで普通の老人たちの基準から見ればファンタジー.
○深町秋生『アウトクラッシュ』(幻冬舎文庫 2012)
 八神瑛子シリーズ2作目.前作よりも派手.
○同『ドッグ・メーカー』(新潮文庫 2017)
 主人公以外のキャラもビンビン立ってて群像ドラマ感あり.
△湊かなえ『ポイゾンドーター・ホーリーマザー』(光文社文庫 2018.親本 2016)
 1.「マイディアレスト」は依怙贔屓された妹に対する姉の憎悪と復讐という陳腐なテーマ.『暗闇を見よ最新ベスト・ミステリー』所収の歌野晶午「おねえちゃん」によく似た設定だがあっちのほうが捻りがあって「ミステリー」として成立している.
 2.「ベストフレンド」は1.に較べれば捻りがあるのでOK.本作品中では一番出来が良いと思う.
 3.「罪深き女」.落ちはあるんだけど落ち前とのバランスが今ひとつ.
 4.「優しい人」.いかにも現実にありそうな話で怖いけれど「だったらフィクションにする必要がないのでは?」と思わされるのは落ちがお座なりで弱いから.
 5.「ポイズンドーター」は「毒母親」をその娘の視点で描いた作品.日頃親子の反りが合わないと感じている読者にとっては本作品集中で最もイヤ〜な短編だろう.落ちは今ひとつだが作中の架空テレビ番組「人生オセロ」は実制作されたら面白そう――クレーム必至だろうけど.
 6.「ホーリーマザー」は5.を別の登場人物の視点で描いた作品.5.の独善的視点を相対化し「人それぞれ」とすることで救いを持たせる目論見と思われる.
 湊かなえは一貫して家族や友人同士の気持ちのすれ違いを描いている.この程度でも今どきは広義のミステリーの範疇に入るのだろうがやはり私には物足りない.
○深町秋生『アウトサイダー』(幻冬舎文庫 2013)
 八神瑛子シリーズ3作目.ヒロインは復讐を果たしたのでこれで完結かと思ったら4作目も出てる.読まねば.
○ブライアン・ハーバー『死をうたう女』(創元ノベルズ 1996)
○福間良明『「戦争体験」の戦後史世代・教養・イデオロギー』(中公新書 2009)
 「戦争体験論の系譜学」として興味深い.一言でいえば「歴史は繰り返す」.
△「ノベルアクト3 特集 「貞子3D2」萌える貞子」(角川書店 2013)
○深町秋生『死は望むところ』(実業之日本社文庫 2017)
 多数の主役級キャラがバンバン殺されて誰が生き残るか予想がつかないところが面白い.作家として延命するためにはこうした一冊で完結する小説よりもシリーズものを書いたほうが有利な筈でそのためには魅力的で簡単には死なない主人公が必要.深町には主人公が死ぬか死んだも同前になって終わる小説が多かったので売れるために八神瑛子のようなシリーズヒロインを創作してエンタメ色を強めると共に量産体勢に入ったのだと推測する.でもそれは全然悪いことではない――作品が面白くて筆が荒れない限りは.他方連城三紀彦のようにシリーズものを殆ど書かなかった作家もいる.これはもう作家のキャラの問題.
○大田俊寛『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』(ちくま新書 2015)
 陰謀論研究の基礎知識.
○南陀楼綾繁『編む人ちいさな本から生まれたもの』(ビレッジプレス 2017)
 感想を一言でいえば「本づくりに正道なし」.
○小田扉『そっと好かれる』(太田出版 2002)
 「団地トモオ」では描けないエロ風味.
○塩川桐子『差配さん』(リイド社 2017)
○同『ワカダンナ』(リイド社 2018)
 塩川作品は心が洗われる大江戸人情もの.地味に超絶技巧.
○斎藤潤一郎『死都調布』(リイド社 2018)
 最近攻めてるリイド社.本作は安部慎一+菅野修+蛭子能収という感じの取り分け不穏な幻想と暴力のマンガ.
○川勝徳重『電話・睡眠・音楽』(リイド社 2018)
 斎藤潤一郎と共に2018年の収穫.ガロの遺伝子を継ぐ(なんて言われたくないだろうけど)若手たち.
○東陽片岡『ワシらにも愛をくだせえ〜っ!!』(青林工藝舎 2018)
 12年ぶりの新作といっても内容はいつもと同じ――みんな同じでみんな良い(笑).
○井上雅彦編『物語のルミナリエ』(光文社文庫 2011)
 3.11直後に編まれた「異形コレクション」48巻目.78人の作家が1編ずつ3200文字以内のショートショートを寄せている.多くの作品に震災の影が付きまとう.特に気に入った作品:平谷美樹「猫」飛鳥部勝則「幽霊に関する一考察」草上仁「オレオレ」梶尾真治「すりみちゃん」北原尚彦「ハドスン夫人の内幕」.次いで植草昌実「地下洞」八杉将司「ぼくの時間、きみの時間」田丸雅智「桜」堀敏実「窓」深田良「空襲」加門七海「灯籠釣り」真藤順丈「異文字」上田早夕里「石繭」坂本司「神様の作り方」雀野日名子「下魚」.
○アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(ハヤカワepi文庫 2001.親本 1991)
 『悪童日記』の続編.前作は一人称複数形で書かれていたが本作は三人称.心理描写を排した簡潔な文体はまるでハードボイルド.最後はメタっぽくなる.極めてカッコイイ.
○萩尾望都『美しの神の伝え〜萩尾望都小説集〜』(河出文庫 2017.親本『音楽の在りて』2011に3編追加)
○アゴタ・クリストフ『第三の嘘』(ハヤカワepi文庫 2002.親本 1992)
 『悪童日記』三部作完結篇.今度は一人称単数形で兄弟の複数視点.3作それぞれ文体が異なり整合性もないので普通のシリーズ小説とは趣が違う.共通点は「容赦の無さ」.仕上がりはやはり1作目がベスト.
○高木瑞穂『売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社 2017)
 知る人ぞ知る三重県沖合の有名な島のドキュメンタリー.売春島と原発ムラの構造は地域住民の心性において類似していると思う.
○猪野健治『テキヤと社会主義1920年代の寅さんたち』(筑摩書房 2015)
 記述に重複が多いが良い本.
 ・グレーゾーンが無いのが望ましい社会とは言い切れないところが悩ましい.三宅正太郎判事のような清濁併せ呑む大人が居ないとまずいのではないか.
 ・高嶋三治が魅力的.
 ・尾津組組長が関東大震災で焼け残った陶器をネタにして大儲けしたというのはイイ話.
 p.40 争議を政治目的化しようとする社会主義者と、賃上げなど労働条件の改善を第一義とする労働者の間に亀裂が生じた。加えて社会主義者をリーダーとする労働組合内部での無政府主義者と共産主義者の対立などが重なり、社会主義運動そのものが大きな暗礁に乗り上げた。(中略)ついに戦線の統一はならなかった。
 p.48 暴力団排除をうたう各自治体の条例が暴力団に限って適用されると思うのは甘すぎる。いつの間にか暴力団の解釈が拡大加工されて「反社会勢力」の一つと言い換えられている事実を見れば明らかだろう。[→反ヘイト法も同様]
 p.92 こういう場合〔大震災〕、大衆は愚民≠ニ化しやすいが、治安を守る為政者の側から政策的な流言が流されて社会不安をかき立て、注意をある一点に集中し、誘発する恐れある社会的、経済的混乱を防止しようとするこのような非常対策は官僚の考えそうな政策であった。(山本虎三『生きてきた』南北社)
 p.115 倉持忠助の東京市議会における追及ぶりについて添田知道〈電力の知識がないとわからない話も、民間の小会社よりも高い値で、市が買っているのはおかしくないか、と言うことはよく分かる。利権のからみ合いだ。伏魔殿と言われた東京市の、そのカラクリの一角へ、倉持がライトをあてたことになる〉
 p.162 与野党を含めてすべての政党が体制に組み込まれている現代政治の世界では、もはやテロリストを除いて「転向」は死語である。
 p.170 思想運動には常に連絡が取れる事務局、運動をリードする中心人物、手足となる活動家、雑務処理車が不可欠である。
 p.185 これら一連の新法・法案(注:暴対法、麻薬二法、銃刀法改正、盗聴法、組織的犯罪処罰法の新設、共謀罪)組織犯罪対策をたてまえとしながら、やくざを含むあらゆる組織、団体、国民のすべてを権力の管理下に置くことを最終目標としている。とくに気まぐれに正義に目覚め、あるいは時代が暗転しようとするとき、民衆の側に立って権力に牙をむく任侠の徒は、権力にとって諸刃の剣なのである。[→改正組織犯罪処罰法は2017年6月成立7月施行]
 p.192 反共抜刀隊″\想は、まぼろしに終わったものの、体制の論理とてきやの利害は、深く絡まりあって再編成が進んでいく。
 p.194 体制側のやくざの取り込み方はじつに緻密かつ巧妙であった。(略)ヤミ市時代は、アウトロー化した在日朝鮮人、旧台湾省民とてきや、博徒精力を対立、抗争させて、その双方を押さえ込むと共に、連帯の芽を摘み取り、弱体化した警察力をカバーした。それが落ち着くとこんどはしめあげにかかる。(改行)その過程で左翼勢力が肥大化すると、手綱を緩めてことに立ち向かわせる。高度経済成長の波に乗って、やくざの経済界への進出が本格化するて「組織暴力」を口実に大弾圧を開始する。(注略)戦後日本のやくざ政策は、占領下を含め、反体制活動家をかくまい、いざというときは敢然と権力に立ち向かう任侠思想の息の根をとめることにあったと言える。(改行)やくざをマフィアに変質させてしまえば、まさにクライム・シンジケートとなり、任侠の思想は自然に崩壊してしまうシカケである。
△総特集 河出書房新社編集部「筒井康隆:日本文学の大スタア(文藝別冊)」(河出書房新社 2018)
 ざっくり読んだだけだが歯が浮くようなヨイショエッセイが並ぶ中で栗原裕一郎の真っ当な批評が光る.この際渡部直己にも寄稿させれば良かったのに.
○深町秋生『卑怯者の流儀』(徳間文庫 2018.親本 2016)
 連作6作から成る短編集.深町には悪徳刑事が主人公の作品も多いが他の作品の主人公に較べるとゲスくて情けないところが特徴.暴力度は低めでギャグも散りばめられている.シリーズ化希望.
○同『バッドカンパニー』(集英社文庫 2016)
○同『オーバーキルバッドカンパニー2』(集英社文庫 2018)
 悪徳?美人女社長が率いるブラック人材派遣会社「NAS」が活躍する一話完結の短編シリーズ.深町作品としては軽めだがキャラが立ったエンタメとしてやはり読み始めたら止まらない.
○佐藤正午『鳩の撃退法上』(小学館文庫 2018.親本 2014)
 私は饒舌な小説は苦手である。いや、単に饒舌と言えば誤解を招くかも知れないので「修辞的に饒舌な小説」と限定しよう。実名を挙げれば、村上春樹、高橋源一郎、円城塔、町田康、金井美恵子といった作家たちの小説である。もちろん彼らの作品の全てがそれに該当するわけではないし、金井美恵子などは読み始めてからの数年間は苦手どころか好きな作家の一人でさえあった。いま私が彼らの小説を読もうとしても冒頭の数ページで挫折してしまうのは生理的な抵抗感に近いものを覚えるからで、それはどうしようもない。だが、それではなぜ同じように「修辞的に饒舌」と言ってよさそうな伊坂幸太郎、佐藤正午、連城三紀彦といった作家たちの小説は抵抗感なく読むことができるのだろうか。(中略)『鳩の撃退法』は相当くどい小説であるが、それはそれとして、私は上巻の四分の一ぐらいまで読み進めたところで、『anone』がこの作品の影響を受けていることに気づいた。(『anone』というのは、2018年1月10日から3月21日まで日本テレビ系列で放映された広瀬すず主演のテレビドラマで、脚本は『カルテット』等で知られる坂元裕二によるオリジナルである。私は悪くない出来だと思い楽しんだが、視聴率は低かったらしい。物語が暗く地味で妙に芝居じみていたことや、広瀬すずが俳優としてもったいない使われ方をしていたことに原因があるのかも知れない。)「影響」の具体的な内容はネタバレになるので書かないが、影響を受けていたと言ってもパクリではなくオマージュであったことを意味する――といった言い回しはパクった犯人の言い訳のように聞こえるかも知れないけれど、実際そのように考えたのである。これは『鳩』を読んでから『anone』を観た人であれば同意できることだと思うので、『anone』を先行して観ていた私は遅ればせながらその事実に気づいた読者ということになる。……といった具合に正午の小説のような回りくどく嫌らしい言い回しは何故か感染るんですわ。
△同『鳩の撃退法下』(小学館文庫 2018.親本 2014)
 でも下巻は今ひとつ盛り上がらなかったなぁ――巧みな小説ではあるけれど.
△同『月の満ち欠け』(岩波書店 2017)
 直木賞受賞作というものを読んだのはひょっとして初めてかも知れない.感想を一言でいえば「輪廻転生って面倒臭い――やっぱり解脱したいもんだネ」だ.謎なのは作者がどういう動機でこんなスピ臭い小説を書いたのか――後に知ったところでは元々担当編集者から出たアイディアだったらしい――ということと何でこれで直木賞を獲れたのかということである.ちなみに私見では正午の作風は幸太郎と春樹の中間ぐらいに位置づけられ『鳩』は春樹寄り『月』は幸太郎寄り.
△深町秋生『ヒステリック・サバイバー』(徳間文庫 2018.親本 2006.宝島社→2008 宝島社文庫)
 デビュー2作目を遡って読む.長編青春ノワール.悪くはないが伏線が生かし切れていない憾みあり.
○同『インジョーカー』(幻冬舎 2018)
 最新作にして八神瑛子シリーズ4作目.過去3作品に較べるとやや地味だが外国人技能実習生の問題が絡む同時代的な内容.毎回グッとくる場面が一つはあるが今回はあのキャラが死んじゃうところかな.
○深町秋生『東京デッドクルージング』(宝島社 2008)
 デビュー3作目.後のヴァイオレンス路線作品のプロトタイプと言えそうなノワール.暴力団・警察・都市ゲリラ・スパイ組織・ヒロイン格の戦闘員らが入り乱れて勝者なき死闘を繰り広げる.物語の舞台は2015年の東京だが現実にはこの間内外の政治状況は大きく変わったし都市の荒廃もここまで進んでいない――今のところは.しかし山上たつひこ「光る風」望月三起也「ジャパッシュ」大友克洋「AKIRA」等に描かれたディストピアを絵空事だと一笑に付せなくなってしまったように本作に描かれる国民の分断・移民の増加・「この国の凋落」といった状況は現実に進行中である.
△歌野晶午『そして名探偵は生まれた』(祥伝社 2005)
 この人の作品で好きなのは幻想味のある乱歩へのオマージュ『死体を買う男』.後は外連味があるものが多くてそれほど好きじゃない――ミステリ賞を総なめにした『葉桜の季節に君を想うということ』にしても(途中でネタに気づきもしたし).でも本作品集(中編3作収録)は捻り具合が適度で悪くなかった.特に「館という名の楽園で」はミステリ好きならグッとくるんじゃないかしら.
△深町秋生『ダブル』(幻冬舎文庫 2012.親本 2010)
 4作目.長編.顔も声も変えて自分を殺した(と思っている)組織に潜入し復讐する男という設定はベタだし最初の1/3くらいの展開はまだるっこしいけれど十分面白い作品ではある.物足りなく感じたのは後の諸作品を先に読んで比較してしまったせいだと思う.
○岸本佐知子『なんらかの事情』(筑摩書房 2012)
 『ねにもつタイプ』の続編に当たるエッセイ集(「ちくま」に連載中).相変わらず変なことばかり考えてる人だが「変化」と題されたエッセイの終わりに出てくる相撲取りが変身する記述を読んでやはり変身する横綱が頻繁に登場する渡辺電機(株)(マンガ家)のブログを想起し両者の妄想センスは案外近いと思った.岸本のほうがずっと上品だが下品な電機もまた良し.
△深町秋生『ダウン・バイ・ロー』(講談社文庫 2012)
 5作目.衰退し続ける地方都市の闇に巣喰う犯罪に巻き込まれた女子高生が主人公の長編ノワール.作者の出身地であり現住地でもある山形県の都市をモデルにしていて登場人物の会話にも方言が頻出する.また3.11後に書かれた最初の作品ということもあってか震災に関わる描写も生々しい.そうしたリアリティは確保しているものの暴力描写も結末も深町作品としてはやや生ぬるい.
△同『ジャックナイフ・ガール桐崎マヤの疾走』(宝島社文庫 2014)
 「悪事はすれども非道はせず」のヒロイン――受けるピカレスクの必要条件かも――が暴れ回る近未来の東北を舞台にした短編連作5話.『ダウン・バイ・ロー』と同じ山形の架空都市も出てくるが時代設定は10年以上下った2020年代らしい.南海トラフ地震が起こって日本の荒廃は更に進んでいる――これネタバレ?いや大したことじゃないな.劇画調でサクサク読めるが少々軽めで食い足りない.
○同『猫に知られるなかれ』(角川春樹事務所 2015)
 戦後占領下昭和22〜23年の東京を舞台にした焼け跡長編スパイアクション.『あれよ星屑』+『ジョーカー・ゲーム』の味わいでノワール感は薄く読後感はむしろ爽やか.深町はこういうのも書くのかと意外.続編希望.

映画(含DVD・BRD)
2017
○白石和彌『牝猫たち』(2016 日活)
 ロマンポルノリブートプロジェクト第3弾にして漸く「リブート」と感じさせる「今」を描いた作品.
○田中登『(秘)色情めす市場』(1974 にっかつ)
 映画館で観るのは7回目.芹明香のトークショー付き上映で嬉しかった.
×園子温『ANTIPORNO』(2016 日活)
 ロマンポルノリブートプロジェクト第4弾.園子温らしい映画ではあるがロマンポルノとしては如何なものか.「男性ではなく女性『主体』のポルノを!」と訴えているかのように見える部分もあるが全体として曖昧なプロパガンダという印象.ロマンポルノに対する批判として作ったのなら『ANTI-ROMANPORNO』とするべきだったしPORNO全般を批判するつもりで作ったのなら『ALT.PORNO』とでもするのが適切だったろう.監督は挨拶の中で本作撮影時期が2015年8月頃でシールズと一緒にデモに参加した話をしていたがどういうつもりなのか.シールズが人工芝であることを未だ知らないのだとしたら無知だし知ったうえで肯定しているのであれば園子温もあっち側ということになる.極彩色の映像は蜷川実花を思わせるが映画としては蜷川よりは増し.
△伏原健之『人生フルーツ』(2017 東海テレビ)
 作品自体はお涙頂戴ではなく悪くなかったがこんなに大盛況で混雑するのはおかしい.この種の映画には「感動したい病」の患者が集まるのだろうか.
○中田秀夫『ホワイトリリー』(2016 日活)
 ロマンポルノリブートプロジェクト最後の作品.中田監督作品は『リング』ぐらいしか観たことがなく正直あまり期待していなかったが予想に反してシリアスかつ濃密だった.主演女優の飛鳥凜(26歳)は初めて知ったが泣き顔が良かった.私がプロジェクト作品に順位を付けるなら:1位『ホワイトリリー』2位『牝猫たち』3位『風に濡れた女』4位『ジムノペディに乱れる』5位『アンチポルノ』.ただし往年の作品群に較べて画期的な出来のものは残念ながら一つもなかった.
○キム・ソンス『アシュラ』(2016 韓国)
 登場人物がことごとく凶悪狂暴なクズというノワール.
○ナ・ホンジン『哭声コクソン』(2016 韓国)
 ホラー/オカルト映画の幕の内弁当.観客を混迷させる非常にタチの悪い脚本が良い.國村隼の褌と全裸……
○パク・チャヌク『お嬢さん』(2016 韓国)
 原作はサラ・ウォーターズの『荊の城』だが原作の舞台=19世紀後半の英国を20世紀半ば日本統治時代の韓国に変えるという換骨奪胎ぶりが凄まじい.サービス過剰のエロティックミステリというかロマンポルノリブートプロジェクト5本を束にしたよりもロマンポルノ的.
△李相日『怒り』(2016 東宝)
 役者陣は良かったが演出がピンとこない.
○ジェームズ・ガン『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス』(2017 米)
 1作目のほうがいいけどね.
○ドゥニ・ヴィルヌーヴ『ブレードランナー2049』(2017 米)
 1作目のほうがいいけどね.
2018
△白石和彌『彼女がその名前を知らない鳥たち』(2017 クロックワークス)
 白石監督は相変わらずそつがない.だが蒼井優の十和子はまだしも阿部サダヲの陣治は汚れが足りなくてミスキャスト――西村賢太『苦役列車』の映画版で主人公役を演じた森山未來が汚れ足りなかったのと同様.娯楽映画(特に邦画)では観客に不快感を与える役どころにも限界があるのだろう.まほかるの原作に較べると物足りない.
△松原明・佐々木有美『非正規に尊厳を!――メトロレディーブルース総集編』(2018 ビデオプレス)
 会社側が正規社員の地位や給与を非正規社員レヴェルに押し下げようとしている今日にあって「正規社員並に」という裁判闘争に有効性はあるのだろうか? ブラック会社に居残れたところで不快な思いをするだからカネだけもらってさっさと辞めたほうがいいと思う.そもそも今の司法に公正さなど望めないし.
○吉田大八『羊の木』(2017 「羊の木」製作委員会)
 登場人物の設定も展開も結末も原作とは全然違っててかなり簡略化もされていたけれど違和感のない換骨奪胎ぶりだったので楽しめた.ジワジワくる不穏な雰囲気や舞台である魚深市や「のろろ祭」の描写は原作に近い感じ.
△ギルレモ・デル・トロ『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017 米)
 ・監督が「『大アマゾンの半魚人』を幼少期に見て半魚人を不憫に思い書いた二次創作」とのことだがデル・トロは1964年生まれだから1954年封切りの『半魚人』をリアルタイムでは観られない→リバイバル上映で観たはず→つまり疑似ノスタルジー.
 ・私はおそらくデル・トロが生まれた時分?に父親に連れられて洋画の二番館で『半魚人』を観た.当時は知る由もなかったが当然リバイバル上映だった筈.
 ・映画に散りばめられた1950〜1960年代のアメリカ大衆文化の夥しいガジェットも当然疑似ノスタルジーの産物.
 ・楽しめたけれども期待したほどの変態性はなかった――だが勿論50〜60年代当時の映画にはあり得ない変態度ではあることからも捏造されたノスタルジーと捉えられる.
 ・イライザがcreatureの子供を産んでハッピーエンドという展開でも良かったのではないか.
 ・人語を喋る馬のエドくんが主人公のテレビドラマ『ミスター・エド』はアメリカでは1961〜1966年放映.日本では『お馬のエドくん』として1968年に放映.エドくんの吹き替えは四代目三遊亭金馬.観た記憶がある.
 ・creatureの故郷アマゾン川は(少なくとも現在は)淡水なのに何故海水プールに棲まわすのか? ここが一番おかしい.
 ・何故creatureに名前を付けなかったのか? ひょっとしてgillmanというのは登録商標なのか?
 ・creatureの顔は魚よりもむしろ亀を連想させる.
 ・「魚が猫を食うのが本能」って逆でしょ? わざとか?
 ・デル・トロ本人はナイーブなだけかも知れないがハリウッドの反トランプキャンペーンに利用されていると思う.誰からも文句が付けにくい被差別者/マイノリティを利用した目くらまし.LGBTのGはGillmanのG?
 ・なるほどこの頃のイスラエルは親ソだったのか――結局は両建だが.
 ・頭の中でずっと鳴っていたのはピンク・レディー「モンスター」.&#12349;首に鰓蓋あったってこわいひとと限らない 爪がキリキリとがっても悪いひとと限らない
○チョン・ビョンギル『悪女』(2017 韓国)
 ミステリとしては単純な筋書きを時系列のシャッフルで誤魔化している憾みはあったがヴァイオレンスアクションの徹底ぶりには感心した.印象としては全体の7割方が血生臭くどうやって撮ったんだろうと思うシーンもあり.昨今の韓国映画の過激さ・容赦の無さは痛快.
△ポール・ワイツ『ダレン・シャン』(2009 米)
 予備知識なく観た.吸血鬼ものの緩いダークファンタジーでそこそこ楽しめたが後でネットを見たら酷評のオンパレード.特に原作ファンは怒っていた.私は読んでいないので何とも言えないがそれで続編が作られていないのかな.ピンポイント的にはフリークサーカス団長の渡辺謙が歪な大頭のフー・マンチューみたいなキャラで面白かった.
△マイケル・グレイシー『グレイテスト・ショーマン』(2017 米)
 『ダレン・シャン』の翌日に観たら偶然こちらもフリークサーカス映画だった.二日続けてヒゲ女やコビトたちを観るとは思わなんだ.一応こちらは実話ベース.ハリウッド映画的反差別/多様性主義の胡散臭さはお約束だから目をつむるとしても
 ・余りにも現実を歪めた美談仕立て.
 ・最近のミュージカル映画はみなそうなのか? ミュージックビデオと区別がつかない浅薄さ.
 ・19世紀が舞台なのに音楽が余りにも今風で嘘臭さが目立つ.
といった点で駄目.
×スティーヴン・ソマーズ『ヴァン・ヘルシング』(2004 米)
 映画館で『グレイテスト・ショーマン』を観た後に家で積ん観DVDの中からたまたまこれを選んだらまたもや主演はヒュー・ジャックマンで期せずしてジャックマン日和.で本作は……ドラキュラのみならずフランケンの怪物や狼男も現れて「怪物くん」かよ! 盛り込みすぎ+雑な脚本で映画というよりもアトラクション――ていうかハリウッド映画の大半はそんなもんか.
○マーク・オズボーン『リトルプリンス星の王子さまと私』(2015 仏)
 全然期待していなかったので割と良かった.「おじさんと男の子」の友愛のヴァリエイションとして「おじいさんと女の子」の友愛を描いてるところから豊田徹也『ゴーグル』(これも良いマンガ)を想起した.原作に基づくパートはストップモーションアニメでそれ以外はCGアニメという使い分けは正解だと思う.だがドリームワークスは不気味の谷を越えたか?は微妙なところ.それにしても欧米映画界はジャパニメをすっかり咀嚼しちゃった感じだなぁ.
△小泉徳宏『ちはやふる 上の句』『同 下の句』(2016 東宝)
△大根仁『バクマン。』(2015 東宝)
 連載中のマンガを実写映画化するのはかなり無理がある作業だと思うが『ちはやふる』や『バクマン。』はよくできていると思う.でも「すごく端折ってる感」からは逃れようがなくダイジェスト版でも観ているような慌ただしい雰囲気に終始してじっくり楽しむことはできない.
○リュック・ベッソン『アーサーとミニモイの不思議な国』(2006 仏)
 身長2.5mmの地下部族たちの抗争を実写と3DCGアニメの組合せで描いたオリジナル脚本のファンタジー映画.デヴィッド・ボウイやマドンナをアニメ声優として使ってるところは贅沢だがあまりヒットしなかったらしい.凡庸なハリウッド産ファンタジーよりは新味があって面白かったが.ミア・ファローは年を取っても素敵.
○チャールズ・ウォルタース『イースター・パレード』(1948 米)
 フレッド・アステアとジュディ・ガーランド主演の古いミュージカル.こういう映画は豪華な歌と踊りをただ堪能すれば良いと思う.副主役のピーター・ローフォードを観て日本版でやるなら1960年代の高島忠夫かしらと思ったのは須川栄三『君も出世ができる』(国産ミュージカル映画の傑作)を想起したから.
△ジェームズ・L・ブルックス『幸せの始まりは』(2010 米)
 『愛と追憶の日々』の監督なのね.偶然テレビ録画されていたものだがまず自発的に観ることのないジャンル=恋愛映画だったので貴重な機会だった.登場人物全員が自分に正直=我が儘なのとジャック・ニコルソンがいいところのない役柄だったのと主演のリース・ウィザースプーン(濱田マリ似)のしゃくれ顔が魅力的なのが良かった.
△ガブリエル・アクセル『バベットの晩餐会』(1987 デンマーク)
 最近読んだ津原泰水の無茶楽しいグルメ小説『エスカルゴ兄弟』でも言及されていたのでこれもシンクロニシティ.予備知識なしで観たが後で調べたら原作者を含めてなかなか興味深い作品.(宗教的に)禁欲していてもご馳走が美味かったら素直に美味いと言えよ!ってなことが描かれるわけだがそれが(とりわけこの不景気なご時世に)「いいお話」と思えるかどうか? 限界集落を維持するための絆として宗教(ここではカトリック)は必要悪なのか? 料理を芸術と呼ぶのは如何なものか? 芸術家(ここではフランス料理のシェフ)はほんとに「芸術家であるということだけで貧しくない」のか? 等々疑問.
○是枝裕和『海街diary』(2015 東宝・ギャガ)
 「マンガの二次創作としての映画」だがそれが悪いこととは全く思わなかった.状況及びキャラの初期設定を原作に忠実に描いたうえで監督の志向で「サッカードラマ」の要素をほぼ全面カットし「ホームドラマ」に収斂させている.
○トッド・ヘインズ『ワンダーストラック』(2017 米)
 落雷・博物館・奇遇――要約困難だけど良い映画.
△ハリー・ボーモント『ブロードウェイ・メロディー』(1929 米)
 楽曲はまあまあだが筋書きは腑に落ちない.後でググったところ1929年(大恐慌があった年だが封切りはその前)初のオールトーキーミュージカル映画だった.歌と踊りのレベルが低かったのは当時は後に「ミュージカル映画の石器時代」と呼ばれた時代で未だブロードウェイからハリウッドに巧いミュージカル俳優が流入していなかったためらしい.歴史的価値だけはある作品といったところか.
×ロバート・アラン・アッカーマン『ラーメンガール』(2008 米)
 西田敏行が作るラーメンが全然美味そうに見えないところが駄目.主演のブリタニー・マーフィが本作公開後2009年に32歳で急死したのは気の毒ですが.
△トラヴィス・ナイト『KUBO/クボ二本の弦の秘密』(2016 米)
 ストップモーションアニメの見事さは全く大したもんだし日本文化への敬意は本物だと思うし世界的に評価が高いそうだけど今ひとつピンとこなかった.米国人が想像した架空の江戸時代の日本が舞台で主人公の外見も白戸三平のカムイっぽいけどストーリーもキャラクターもやはり西洋臭くて違和感が募る.描かれる死生観も日本よりむしろメキシコを思わせるし――似てはいるわけだが.そもそも姓である「クボ」を名として使ってるところが変なのに制作中に誰も指摘しなかったのか?
○スティーヴン・スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』(2018 米)
 1980年代のポップカルチャーへのオマージュ満載のゲーム映画.膨大な引用がなされている――著作権の調整が大変だったらしい――がウィキればネタ元が分かる.『ブレードランナー』からの引用はちょうど『2049』制作中だったため断られて代わりに『シャイニング』を使ったのだそう――代わりになるのか? ともあれガンダムとメカゴジラが闘う映画なんて日本じゃ絶対撮れないし.ゲームのことは知らないけど能天気なエンタメに徹している点で『ブレードランナー2049』よりも楽しめた.
△フランク・オズ『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1986 米)
 オリジナル版映画→オフ・オフ・ブロードウェイミュージカル→ミュージカルの映画版という経緯のリメイクだがミュージカル版を踏襲したバッドエンドのラッシュ試写が観客に不評だったためハッピーエンドの脚本に書き換え撮り直して公開してヒットしたのだそう.今回観たBRDにはバッドエンド版ディレクターズカットも収録されていてそっちのほうが断然○――ラストはゴジラ+ウルトラQ(マンモスフラワー)! ハッピーエンドが不本意だった監督と特撮スタッフはBRDとはいえお蔵入り映像が日の目を見たので少しは溜飲を下げたという.
○ロジャー・コーマン『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960 米)
 こちらがオリジナル版.いかにも低予算のB級ブラックコメディだが僅か2日間で撮り上げたというのは流石コーマン? キャラクターが全員どうかしちゃってるところが良い.駆け出しの頃?のジャック・ニコルソンもその一人で印象に残る.
○白石和彌『孤狼の血』(2018 東映)
 全盛期の東映ヤクザ映画復活の狼煙という感じで楽しめた.原作小説の続編は今年3月に出たので映画の続編は再来年あたり実現するのでは.松坂桃李はイケメンなのに汚れ役に挑み続けている点に好感が持てる.役所広司も善人役より本作や『渇き。』みたいに壊れてる役のほうが断然良い.それにしても日本の役者はヤクザ役だけは巧いなぁ――セレブや知識人の役は下手というか似合わないけど.
○チャン・フン『タクシー運転手約束は海を越えて』(2017 韓国)
 副主人公のドイツ人新聞記者が決死の取材〜報道していなかったら無かったことにされていたであろう「光州事件」がフィクションを交えて描かれる.今どきの韓国映画の容赦のない作り込みとそれでもエンタメとして成立している点が凄い.韓国では大ヒットなるも日本ではさる筋からの圧力のせいで上映館が限られ早々に打切りとの噂もある.1980年の光州は現在〜近未来の日本に重なるが日本人は韓国人のようにはお上と闘わず無抵抗に殺されていきそうだ.
△アダム・シャンクマン『ヘアスプレー』(2007 米)
 ジョン・ウォーターズ版も観較べたい.
×ハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』(1953 米)
 本当は頭のいいマリリン・モンローはこんなサベツ的な役を与えられて平気だったのだろうか?

イヴェント
2017
△1/21 コニカミノルタプラザギャラリーA『藏人写真展「さるく長崎―猫街散策U―」』/ギャラリーB『茂手木秀行写真展「星天航路」』/ギャラリーC『小池英文写真展「瀬戸内家族」』
 1954年開設というから63年近い歴史を持つ同ギャラリーが1/23で運営終了というので最後の展示を観に行った.数える程しか行ったことがないけれど長く続いた施設が無くなるのは寂しい.猫の居る古い長崎の町並みを記録する藏人・テクニカルな星景写真を撮る茂手木・毎年正月と夏休みを妻の実家がある瀬戸内海の島で過ごし家族と風景を記録する小池.三者三様.
△2/19 国立科学博物館「ラスコー展」
×3/25 大和田さくらホール「赤塚不二夫祭」
 久々に最低なイヴェントを観た.一番良かったのは最初の篠原勝之の下ネタトーク.ロフトプラスワンあたりでこれだけやればいいと思う.
○5/13 東京駅ステーションギャラリー「アドルフ・ヴェルフリ二萬五千頁の王国展」
 後期にはコラージュも取り入れてるけど殆どは新聞用紙+鉛筆+色鉛筆のみによる作画+文章.緻密かつ膨大な作品群に圧倒された.アール・ブリュット界のホームラン王です.
○6/23 松濤美術館「クェイ兄弟―ファントム・ミュージアム」展
 一卵性双生児だったのか――絵に描いたような「邪悪な双子」のイメージを体現してて笑える.オーソドックスな絵画から出発したことも知らなかった.60年代末期〜70年代初期にかけての多数の鉛筆画は緻密にして大胆で素晴らしい.ポーランドを初めとする東欧のポスターアートの影響が大きいというのも意外.一貫してるのはグロテスク+残酷趣味か.そして商業的には無節操.コカコーラやラウンドアップやケロッグのCMフィルムも作ってる.注文するほうも注文するほうだ.
○6/24 東京都美術館「バベルの塔」展
 ブリューゲルだけじゃなく15〜16世紀に活躍したネーデルラントの画家多数の作品を展示していたがやはりボスとブリューゲルが圧巻.ボスは死後50年くらいに最初のリバイバルブームがあったそうで後世への影響力は半端じゃない――今もそうだけど.ブリューゲルももちろんボスの影響を受けてるけど幻想的な作風は風刺的な作風に転じて受け継がれたようだ.「バベルの塔」の原画は小さすぎて細部がよく見えず3D化画像に基づく解説DVDの上映と超拡大した複製版の展示が助けになった.ともかく緻密でどんな筆を使って豆粒のような人物等を描いたんだろう.この辺に較べると例えばダリの直筆なんて雑すぎて見ていられない.
×7/8 ヴィジョンズ「伊宝田隆子「立ちたさ_」展」
○7/16 Bunkamura「ベルギー奇想の系譜」展
 中世ではまたもやボスとブリューゲルそしてルーベンスだが象徴派・表現主義・シュルレアリスム以降にも有名どころ多数.現代の作家代表はヤン・ファーブル.万遍なく楽しめる展覧会ではある.
△9/7 新宿島屋「MINIATURELIFE展田中達也見立ての世界」
 2011年に始めてから毎日!!作品をアップしているという信じがたい写真家.
×9/16 井の頭公園西園特設テント「野戦之月『クオキイラミの飛礫ワタシヲスクエ!』」
○10/8 三井記念美術館「明治工芸から現代アートへ驚異の超絶技巧!」展〜KITTE「香港ミニチュア展」
△10/16 六本木スーパーデラックス「鉄割アルバトロスケット公演「SOLT」」
 なげやり倶楽部やワハハ本舗を彷彿させる無意味なコントが休憩を挟んで33連発.演劇関係者には黙殺されていて音楽関係者には受けていると聞いたが何となく納得.
△10/28 ZAZA「劇団・老人決死隊『歴史から抹殺された3つの証言』」
 蛮天門氏には惹き付けられるがこれでは芝居じゃなく演説あるいは講演会だ.
△11/10 松濤美術館「三沢厚彦アニマルハウス謎の館展」
2018
○1/8 木乃久兵衛「天麩羅劇場公演『亀五郎のポルカ』」
△1/13 plan-B「山谷やられたらやりかえせ」特別上映会――ジョーの詩を読む{あさってのジョーたちへ」
△2/24 ビリケンギャラリー「ひさうちみちお展」
 新作マンガを描いて欲しいものだが.ピンバッジを購入.
×3/4 ICC「未来の再創造展」
○3/10 東京オペラシティアートギャラリー「谷川俊太郎展」
 大盛況.さすがは日本で唯一「詩で食える詩人」.要は「俺様」展なんだが嫌らしさを感じさせないのは育ちがいいからでしょう.年譜を見て大変裕福なお坊ちゃまだったことが分かった.朗読+映像+効果音(楽)のサラウンドで聞かせる「ことばあそびうた」の詩(「かっぱ」や「いるか」)などインスタレーションとしても飽きさせない工夫あり.
○4/30 青森県近代文学館「本の装い展」
○5/11 松濤美術館「チャペック兄弟と子どもの世界展」
○5/13 練馬区立美術館「戦後美術の現在形 池田龍雄展――楕円幻想」
 旺盛な創作意欲に圧倒された――90歳で現役バリバリ.どちらかというと平面作品よりもオブジェが好き.展示作品リストをざっと見たら映像作品《梵天》(1974)の撮影・編集が乙部聖子氏だったので「へぇっ」(フィルム展示のみで上映はなかったのが残念).また解説文の中に「ニルヴァーナ・コンミューン」というのが出てきてメンバーに水上旬氏の名前があったのにも「へぇっ」.
○5/27 有楽町スパンアートギャラリー「諸星大二郎原画展」
 Tシャツが欲しかったが高いので断念.
○6/2 青山ビリケンギャラリー「鴨沢祐仁とイナガキタルホの世界展」
 展示とは関係なく根本敬のピンバッジを購入.
○6/9 高円寺ギャラリー来舎「熊楠と猫展」
 絵葉書と扇子を購入.
△8/11 練馬区立美術館「芳年」
 無惨絵だけじゃないことは分かったけどやっぱり国芳師匠のほうが好き.
○8/16 岩手銀行赤レンガ館「さいとう・たかをゴルゴ13用件を聞こうか……」
 さいとう・たかをは花巻に住んでいるのだそう.
○同 もりおか啄木・賢治青春館常設+「宇田義久展」
○9/29 足立区立郷土博物館「歌川広重没後160年広重目線」
 構図が面白い作品を選出し技法の解説と描かれた場所の地図(当時+現代)を付した面白い企画.図録があったら買うのに作られていなかったのが残念.
○10/14・15 高田馬場ROCKETIIDA「発掘!おかべいりか展」
 昨年7月急逝した絵物語作家(知人なだけにショックだった)の未公開クロッキー帳等を公開.もっと知られて欲しい作家.
○10/27 有楽町出光美術館「仙漉邇^」展
 しりあがり寿の元祖みたいな絵ばかりではなく元々はシリアスな画風だったのが隠居してからユルカワ系になったらしい.良い絵.還暦過ぎて隠居してから25年間旅行と趣味に明け暮れ87歳で大往生という大変羨ましい老後.

ライヴ
2018
△2/24 高円寺グッドマン「吉野繁+竹田賢一+伊牟田耕児・イノスボクス+福田」
○4/18 高円寺グッドマン「マナムラミノ・吉野繁+高橋朝+伊牟田耕児」
○5/13 高円寺グッドマン「山口正顕+桜井・吉野繁+鈴木美紀子」
○6/9 高円寺グッドマン「吉野繁+阿坐弥・MJO」
△7/13 高円寺グッドマン「吉野繁+竹田賢一・TheLonious」
△8/4 阿佐谷イエロービジョン「地下から月へ〜今日人は心に〜」フクゾウ・月本正・夜光虫・ハーマジェスティック皆バンド
△8/25 阿佐谷イエロービジョン「地下から月へ〜因果律なんて知らないよ〜」挽歌、子守唄・砂山続き・バタフライ・エフェクト・チヨズ
△8/26 吉祥寺galleryナベサン「山崎春美のカンレキ遁走曲」竹田賢一・関谷泉
△9/7 高円寺グッドマン「相生雨水・吉野+吉本裕美子+   」
○9/16 黄金町視聴質3「ジャンプス・倉地久美夫」
 ジャンプスは圧倒的に技巧的だが知的遊戯止まりのアコースティックミニマムポップス.京浜兄弟社系に通じる適度に抑えた形で演じられる狂気とお坊ちゃん芸はやや見苦しい.
○9/17 神保町試聴室「倉地久美夫+外山明+高岡大祐」
△10/6 高円寺グッドマン「鈴木達治・吉野繁+竹田賢一」
○10/13 大久保ひかりのうま「まだ生きてる(鈴木健雄ソロ)」
△11/4 高円寺グッドマン「[山口正顕+渡辺昭司・吉野繁+伊牟田耕児」
△11/30 オーチャードホール「キング・クリムゾン公演」

レコード
×Can"Can"(1979)
 11枚目.あのCanだと思って聞かなければ悪くないロックアルバムかも知れない.カローリのvoにはダモの面影を感じずにはいられない.だが往年の音楽の魔法は望むべくもない.A-3"SundayJam"は楽曲もギターもまるでサンタナ.B-3"E.F.S.No.99CanCan"(天国と地獄)を聞いてGGのアルバム"MissingPiece"(1977)を初めて聞いたときの落胆を思い出した.

2018.11.19 GESO

タイトルその後のGESORTING
記事No122   [関連記事]
投稿日: 2021/01/01(Fri) 11:17:00
投稿者あかなるむ
GESO氏より、以下のonedriveに記事を載せることにしたとの連絡がありました。

その後のGESORTING:hhttps://1drv.ms/f/s!APyCtsmID29gjCc
マンガ覚書:hhttps://1drv.ms/f/s!AvyCtsmID29giDCGhH0RXisuDjtC

タイトルGESORTING 204 ロキソニンはもう効かない
記事No112   [関連記事]
投稿日: 2017/01/09(Mon) 22:17:41
投稿者geso
読みたいもの・観たいもの・聞きたいものを享受する一方で積ん読や積ん見が溜まっていく.
不足したものは取り入れ溜まったものは吐き出さないと均衡が保てない.
かつての記憶力があれば覚えていられたものも今ではすぐ忘れてしまうので思い出す都度書き付ける必要がある.
除外項目――日常生活の愚痴等――を設ける必要もある.
でも友人知人あてのメールにはときに余計なことを書き連ねてしまう……許されろ.
2016年3月以降上書きを繰り返したメモから.


○井上亮『忘れられた島々「南洋諸島」の現代史』(平凡社新書 2015)
 西班牙も葡萄牙も独逸も英国も米国も日本も南洋群島の侵略者/収奪者/文化破壊者だったという恥ずべき歴史から日本人は何も学んでこなかったことが分かる歴史書.著者は日経新聞編集委員とのことだが日経にもマトモな記者がいたんだな.
△栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店 2016)
 これが評伝?著者は囃し立てているだけで面白いのは伊藤野枝の元ネタのお蔭.確信犯的悪文には我慢するとしても漢字表記すればいいのにわざわざひらいているところや定型句の明らかな誤用に苛立つ.
△米澤穂信『満願』(新潮社 2014)
 35歳(執筆当時)にしては老成した文章による手堅いミステリ短編集.後味が悪いのはいいとしても連城作品の影響を受けているならもう一捻りして欲しかった.
○篠田博之『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま文庫 2015.親本 2008)
 犯罪の抑止力になるという理由で死刑制度を肯定する人にとっては死刑にされたくて殺人を犯す人間がいることは信じ難いだろうがそういう人間も実在するのは事実.死刑にされたい者にとって死刑は刑罰ではなく救済.「だから死刑制度に反対」という気も起きないのはそもそも生殺与奪権を国家が独占していることが気に食わないからである.
○長田弘『ねこに未来はない』(角川文庫 1975.親本 晶文社 1971)
 本来はこうした装飾過多の文章は嫌いなんだけど内容が良いので可.購入した角川文庫版は平成20年発行で24刷だから凄いロングセラーだ.
○種村季弘『贋物漫遊記』(ちくま文庫 1989.親本 1983)
○赤坂真理『東京プリズン』(河出文庫 2014.親本 2012)
○上原善広『被差別のグルメ』(新潮選書 2015)
△本島進『たばこ喫みの弁明』(ちくま文庫 2008.親本 慧文社 2004)
 穏当な保守派による煙草擁護論.文庫解説というのは大抵著者をヨイショした内容だから幾分割り引いて読む必要があるが本書の場合はもとより著者に対して批判的である点が面白い.書いたのはスガ秀実か.なるほどね.
△山田正紀『桜花忍法帖(上下)』(講談社タイガ 2015)
△『SF JACK』(角川書店 2013)
 日本SF作家クラブ設立50周年記念オール書き下ろしアンソロジー.○は吉川良太郎,上田早夕里,山田正紀,山本弘,宮部みゆき.
○赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書 2014)
△連城三紀彦『わずか一しずくの血』(文藝春秋 2016)
 面白いけどミステリ的には無理筋すぎる.
△アン・レッキー『叛逆航路』(創元SF文庫 2015.原著 2013)
 細部はリニューアルされているがプロットは古典的な復讐譚でロマンティックなSF.それほどの傑作とは思えないのに7つも賞を獲ったのは不思議.
○中川ホメオパシー『バトル少年カズヤ』(リイド社 2016)
 相原コージ+竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』(小学館 1990〜1992)取り分け第3巻「Practice-7 路線を変えてみよう」直系の子孫に当たる電波+鬼畜系ギャグ漫画.発禁になる前に買うべし.
○山田正紀『屍人の時代』(ハルキ文庫 2016)
○同『カムパネルラ』(東京創元社 2016)
 2016年の山田正紀は久々に良かった.2017年出版予定の「クトゥルフ少女戦隊シリーズ」3作目はちょっと心配.
○赤田祐一+ばるぼら『定本 消されたマンガ』(彩図社 2016.親本「消されたマンガ」 鉄人社 2013
○獅子文六『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫 2013.親本 新潮社 1963)
○いしわたり淳治『うれしい悲鳴をあげてくれ』(ちくま文庫 2014.親本 ロッキング・オン 2007)
 ちょっと都筑道夫に通じるセンス.侮れない.
○ねこまき『ねことじいちゃん 2』(KADOKAW 2016)
 何事も起こらないことにホッとする漫画.
△鹿島茂『モンフォーコンの鼠』(文藝春秋 2014)
 プロットは凄く面白いが小説家の文章ではなく学者の文章.汚物塗れの19世紀パリ市街やハードコアな濡れ場を描くも強烈な臭気や色気を感じさせず説明的なところが難.例えば分かる者だけ分かればいいという傲慢な姿勢で説明を省略しつつも雰囲気を適確に伝えられる佐藤亜紀(性格は悪いが小説は良い)の巧みな文章には敵わない.
○中川翔子編『にゃんそろじー』(新潮文庫 2014)
 なかなか良いラインナップで侮れない.内田百閨uクルやお前か」ほか涙なしには読めぬ作品を含む.
○洞田創『平成うろ覚え草子』(飛鳥新社 2014)
 江戸末期の浮世絵師が平成にタイムスリップし再び江戸に戻ってから うろ覚えで描いた平成の事物や風俗の記録という設定.アイディアも絵も文章も見事.
○栗原裕一郎『<盗作>の文学史 市場・メディア・著作権』(新曜社 2008)
 「文芸作品をめぐって起こった盗作事件の収集と分析と検証を目指した」本.類書がありそうでない貴重な資料.お蔭で江藤淳と倉橋由美子の論争(というか喧嘩)の具体的内容を初めて知ることができた.この件が今まで殆ど取り扱われて来なかった理由は論争の舞台となった東京新聞に縮刷版が存在しないため原資料に当たるのが難しかったためだという.産経新聞に縮刷版がないことは不思議ではないけれど東京新聞にもないとは……
○中川ホメオパシー『干支天使チアラット 1』(リイド社 2016)
 『カズヤ』ほどではないがこちらも笑える鬼畜系.
○山田参助『山田参助の桃色メモリー』(KADOKAWA 2016)
 確信犯的アナクロエロマンガ集.
○諸星大二郎『BOX〜箱の中に何かいる〜1』(講談社モーニングKC 2016)
 久々の現代もの連載作品.早く続きが読みたい.でもこの作品を映画化したらシャマランになっちゃって駄目かも.マンガで良かった.
×若杉冽『原発ホワイトアウト』(講談社 2013)
 「日本の裏支配者の正体」は明かされちゃいないし小説としては生硬/サスペンス不足.現役キャリア官僚が書いたという付加価値なくしては売れなかっただろう.
○クリストファー・プリースト『逆転世界』(創元SF文庫 1996.親本 サンリオSF文庫 1983.原著 1974)
 アイディア一発なるも伏線の回収ぶりが見事.フランシス・デステインのモデルはニコラ・テスラかね?
○倉橋由美子『最後の祝宴』(幻戯書房 2015)
 『<盗作>の文学史』ではわずかしか引用されていなかった江藤淳への反論の全文が読める.
○花輪和一『刑務所の中』(講談社漫画文庫 2006.親本 青林工藝社 2000)
 文庫サイズは小さすぎるけど必読の増補改訂版.
○同『花輪和一初期作品集』(青林工藝社 2007)
○同『天水 完全版』(講談社漫画文庫 2009)
○同『コロポックル 完全版』(講談社KCデラックス 2004)
○同『風童』(小学館 2013)
 自分の中では3度目くらいの花輪ブーム.増補改訂版を揃えたい.
○吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』(イースト・プレス 2013)
○近藤ようこ『五色の舟』(KADOKAWA 2014)
 原作者 津原泰水の作風はあまり好きじゃないが本作についてはいずれ原作も読みたい.
○清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫 2016.親本 2013)
 「文庫X」版.「調査報道」のお手本でありリアル「犯人に告ぐ」ドキュメンタリ.そういえば産経の馬鹿記者が『南京事件 兵士たちの証言』(清水が制作したNNNドキュメント)にイチャモンをつけて返り討ちにあっていたが所詮敵う相手ではない.
○上野顕太郎『さよならもいわずに』(エンターブレイン 2010)
 愛妻との死別を描いた悲痛なドキュメントの中でも冗談をカマさずにはいられないギャグマンガ家の性に感動.
○萩尾望都・田中アコ『菱川さんと猫』((講談社アフタヌーンKC 2010)
 青森市(作中では穴森市)を舞台にした化け猫ファンタジーマンガ.続編を切望.
○村上竹尾『死んで生き返りましたれぽ』(双葉社 2014)
○いましろたかし『デメキング 完結版』(太田出版 2007)
 1991年「ビジネスジャンプ」で連載〜打切りされた未完の怪作にして偉大なる失敗作の完結編.著者の世界に共感できるマンガ読者層はどんどん減っているに違いないからファンは応援し続けなくちゃ.

映画
○山本透『猫なんかよんでもこない』(日 2015)
 猫好き以外は観る必要がないが猫好きにとっては「あるある」の連続.主役の風間俊介は若い頃のエンケンに似ている.映画の後で原作マンガ全4巻も読んだがそちらも良し.
○園子温『紀子の食卓』(日 2005)
△同『エクステ』(日 2007)
○森達也『FAKE』(日 2016)
○宮藤官九郎『TOO YOUG TO DIE! 若くして死ぬ』(日 2016)
○庵野秀明・樋口真嗣『シン・ゴジラ』(日 2016)
 2回観たのは2回観ないと分からない台詞が多かったから.
○デヴィッド・ヴェンド『帰ってきたヒトラー』(独 2015)
○シャルミーン・ウベード=チナーイ・アンディ・ショーケン『ソング・オブ・ラホール』(米 2015)
△新海誠『君の名は。』(日 2016)
 思い返せば電通臭さプンプンのヒット狙い作品ではある.
○田中登『(秘)色情めす市場』(日 1974)
 6度目の鑑賞.トークショー付き上映会で芹明香を初めて生で見られて感無量.
△ティム・バートン『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(米・英 2007)
△山口雅俊『闇金ウシジマくん 2』(日 2015)
×ジョン・ヒューストン『許されざる者』(米 1960)
 カイオワ族何モ悪クナイ.何故皆殺シニサレルカ?
△三浦大輔『何者』(日 2016)
◎片渕須直『この世界の片隅に』(日 2016)
 2回観たのは素晴らしかったから.実写・アニメを問わず近年最上の映画の一つ.白木リンのエピソードを含むディレクターズカット制作に期待.
△赤堀雅秋『葛城事件』(日 2016)
△白石和彌『日本で一番悪い奴ら』(日 2016)
△中野量太『湯を沸かすほどの熱い愛』(日 2016)
 脚本は無茶だが俳優陣の熱い演技に助けられている.宮沢りえ男前.りりィの遺作か.
△行定勲『ジムノペディに乱れる』(日活 2016)
 ロマンポルノリブート・プロジェクト第1弾.そつが無い出来でリブートというよりリアピアランス.板尾創路演じるサイテーなのにやたら持てる主人公のモデルは相米慎二らしい.主人公に絡む女性たちは往年のロマンポルノ女優のスター性を欠く.風祭ゆきのカメオ出演(板尾の植物人間状態の妻役)は嬉しい.
○塩田明彦『風に濡れた女』(日活 2016)
 同プロジェクト第2弾.監督+主演2人の舞台挨拶付き上映だったが「日活お正月映画」との監督の弁(笑).笑かすシーンもある欲望一直線のパワフルなエロは『ジムノペディ』の衰弱したエロよりも○.

イヴェント
○3.20 日比谷図書文化館『祖父江慎+コズフィッシュ展 ブックデザイ』
 祖父江さんは好き勝手にやらせてもらえて羨ましいなーと思う装幀家は多いことでしょう.
△7.23 江戸東京博物館『大妖怪展』
 大人の事情があるとしても水木しげるが全く除かれていて妖怪ウォッチが入っている妖怪展ってどーよ? おかしいでしょ.
○10.16 テルプシコール『天麩羅劇場の欄干 VOL.3』
 30分の短さに驚いたがいっそ清々しい.長時間の芝居は疲れるだけなのでもう結構です.

音楽関係は省略.良いものは良く悪いものは悪かった.

2017.01.09 GESO

タイトルGESORTING 203 still memorize
記事No110   [関連記事]
投稿日: 2016/03/12(Sat) 01:52:39
投稿者geso
2014年後半から2015年末にかけて,病気になったり失業したり入院したり通院したりと私は散々な目にあって,ものを考えたり書いたりする余裕がまるでなかった.辛うじて本を読むことと映画を見ることは――キツかったが――できたけれど,音楽は聞く気にならず,ライヴやイヴェントにも殆ど行かなかった.
今も困難な状況は続いているが,やや落ち着いてきてはいるので,この間に読んだ本と観た映画(DVDを含む)をメモすることにした.記録漏れもあるけど...
震災からちょうど5年目の昨日は何事も無かった.

2014年(5月以降)

○森達也・森巣博『ご臨終メディア――質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社新書 2005)
 本書ではメディアの「ご臨終」の契機を1995年の阪神淡路大震災とオウム事件と捉えてはいるものの,森は「「臨終」はつまり「終わりに臨む」わけで、まだ正確には終わりじゃない」と後書きに書いている.だがその後,2011年の東日本大震災と福島原発事故を経て,メディアは本当にご臨終したのではないか?
(追記)2015年には間違いなくご臨終したと思う.

△遠藤武文『プリズン・トリック』(講談社文庫 2012.親本 2009)
 冒頭の(実在する)市原交通刑務所の描写のリアルさは花輪和一『刑務所の中』並みで,実際に入ったことがなければ書けないのではないかと思わせるし,他の描写も逐一リアル.兎に角勉強してるのね.密室殺人トリックはじめアイディアもテンコ盛りだし,水準以上のミステリではある.でも今一つ楽しめないのは,文章が練れてないから.このプロットで例えば島田荘司が書いていたら,もっと面白くなっただろう――作者には失礼ながら.

○松井今朝子『三世相』(ハルキ文庫 2010.親本 2007)

○クラフト・エヴィング商會プレゼンツ『猫』(中公文庫 2009.親本 2004.底本 1955)
 有馬頼義・猪熊弦一郎・井伏鱒二・大佛次郎・尾高京子・坂西志保・瀧井孝作・谷崎潤一郎・壺井栄・寺田寅彦・柳田國男の短編(主に随筆)を収めた底本に,クラフト・エヴィング商會の書下ろし漫画――蛇足だと思う――を加えて再編集したもの.猫もののアンソロジー自体はありふれているが,本書は粒が揃っている.

△芦刈いづみ・飯富崇生『時計じかけのハリウッド映画 脚本に隠された黄金法則を探る』(角川SSC新書 2008)
 イントロダクション〜インサイティング・インシデント〜ファースト・ターニング・ポイント〜ミッド・ポイント〜セカンド・ターニング・ポイント〜クライマックス〜エンディング.それを2時間以内に収める... 物語映画に対する在米大衆の平均的欲望(?)を充足し得る脚本という点に限って言えば,この構成は黄金律として慥かにあるのだろう.聖林映画はそれを帰納的に発見し,演繹的に洗練してフォーマットを作り,観衆を馴致/再生産する実験場だったのだろう.その流れにあっては,リンチやタランティーノの<フォーマット崩し>はジャズに対するフリージャズのような存在で,結果的には精々本流を補完し延命させるのに役立っただけなのかも知れない...
 しかし,世界中の映画が聖林映画と同じ構造で作られる必然性など,もとよりない.この手の本は反面教師的に役立てるのが正しいと思う.

○マックス桐島『ハリウッドではみんな日本人のマネをしている』(講談社+α選書 2009)
 タイトルと著者名から胡散臭い愛国エッセイかも知れないと危惧したが,どんな国にもどんな民族にも良い所もあれば悪い所もあるというバランス感覚に基づいた真っ当な現場報告/比較文化論だった.善し悪しの基準自体がそれぞれ違うという問題はあるにせよ,大筋で善意は通じるという楽観/性善説は私には眩しすぎるけど...
 『時計じかけのハリウッド映画』と併読すると,近年の聖林映画は必ずしも「黄金法則」を遵守する姿勢ではなくなっていることが窺えて面白い.桐島は『時計じかけ...』の著者たち――現職はライターと写真家――よりも20歳以上先輩と思しき聖林の現役プロデューサーで,説得力はこっちのほうが上.

△森巣博『セクスペリエンス』(集英社文庫 2006)
○同『蜂起』(幻冬舎文庫 2007.親本 金曜日 2005)
 前者はオーストラリアを舞台に,ギャンブルに負けた代償で性的に蹂躙されたヒロインがギャンブルと性を利用して男たちに復讐するお話.後者は階層化が進んだ近未来の日本でプレカリアートたちが蜂起し内乱――革命ではない――を起こすお話.全ての森作品がそうであるように「市民」を挑発する「非国民/不敬小説」.評価は分かれるだろうが,私は楽しんだ.
(追記)『蜂起』のリアリティが昨今増してきた.

○池田清彦『科学とオカルト』(PHP新書 1999)

○松田洋子『好きだけじゃ続かない』(エンターブレイン 2014)
 1980年代初頭の(東京に憧れる)田舎の中高生の思春期を容赦なくリアルに描いた作品集.多分に自伝的作品が多い.「年をとると何でも「いい思い出」に出来るので都合いいもんです」と作者はあっさり述べているが,ここで描かれる沢山の苦しい思い出を「いい思い出」に昇華させるのはかなり大変だったに違いない.

○梨木香歩『水辺にて』(ちくま文庫 2010.親本 2006)
 著者が,水辺好きが嵩じて(非力なのに)一人でカヤックを漕ぐ人となり,日本のみならずカナダやアイルランドやスコットランドの河や湖にまで足を運んでいたというのは意外だったが,アウトドアスポーツとしてではなく,観察と空想のための乗り物としてカヌーイングしていることが分かって納得.

○山田参助『あれよ星屑(1)』(KADOKAWA 2014)
 敗戦直後,大陸で死に損なった二人の帰還兵の東京焼け跡グラフィティ.ハードゲイ漫画を描いてきた作者初の「普通」作品らしいが,バロン吉元『柔侠伝』シリーズを彷彿させる傑作の予感.絵柄も守村大+バロン吉元という感じ.

○樋口毅宏『日本のセックス』(双葉文庫 2012.親本 2010)
 『さらば雑司ヶ谷』はちょっと期待外れだったが,これは傑作.

○島田荘司『写楽 綴じた国の幻 上下』(新潮文庫 2013.親本 2010)
 チェックしていないが,本作も多分いろんな批判をされたことだろう――「江戸編」の会話文をどういう積もりで現代語にしたんだ?とか.だが,毀誉褒貶あっても島田荘司はやはり面白い.

○赤江瀑『春喪祭』(徳間文庫 1985.親本 1977)

△勢古浩爾『まれに見るバカ』(洋泉社新書 2002)
 半分くらいはいいところを突いてるが,悪口のセンスが下品で見苦しい.

○四方田犬彦『月島物語』(集英社文庫 1999.親本 1992)
○吉田秋生『海街diary 5 群青』(フラワーコミックス 2012)
○同『海街diary 6 四月になれば彼女は』(フラワーコミックス 2014)
○小島毅『増補 靖国史観』(ちくま学芸文庫 2014.親本 ちくま新書 2007)
○日本橋ヨヲコ『少女ファイト 11』(講談社 2014)
△堀井憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』(講談社現代新書 2014)
○笠井潔・白井聡『日本劣化論』(ちくま新書 2014)
○清野とおる『ウヒョッ! 東京都北区赤羽 第3巻』(双葉社 2014)
○泉流星『僕の妻はエイリアン』(新潮文庫 2008.親本 2005)
△小出裕章『騙されたあなたにも責任がある』(幻冬舎新書 2012)
△森達也『アは「愛国」のア』(潮出版社 2014)
△呉智英・適菜収『愚民文明の暴走』(講談社 2014)
○藤井聡・中野剛志『日本破滅論』(文春新書 2012)
○ウォルター・ブロック『不道徳な経済学』(講談社+α文庫 2011.親本『不道徳教育』 2006)
△本間祐編『超短編アンソロジー』(ちくま文庫 2002)
○ジャレド・ダイアモンド他『知の逆転』(NHK出版新書 2012)
△連城三紀彦『処刑までの十章』(光文社 2014)
△古屋兎丸『鈍器降臨』(メディアファクトリー 2004)
○F.ヴェデキント『地霊・パンドラの箱』(岩波文庫 1984.原著 1906)
○山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた』(光文社選書 2002)
○山田正紀『クトゥルフ少女戦隊 第一部』『同 第二部』(創土社 2014)
△楡周平『「いいね!」が社会を破壊する』(新潮新書 2013)
△岸博幸『アマゾン、アップルが日本を蝕む』(PHPビジネス新書 2011)
○テッサ・モーリス・スズキ『過去は死なない』(岩波現代文庫 2014.親本 2004)
○山田参助『あれよ星屑(2)』(KADOKAWA 2014)
×中島浩籌『心を遠隔管理する社会――カウンセリング・教育におけるコントロール技法』(現代書館 2010)
○品川正治『激突の時代「人間の眼」VS.「国家の眼」』(新日本出版社 2014)
○F.ヴェデキント 『地霊・パンドラの箱――ルル二部作』(岩波文庫 1984.原著 1895・1906)

映画
×橋本一『探偵はBARにいる』(日 2011)
 前半の<映画っぽく作ったテレビドラマ>風の軽さと後半の<シリアスなテレビドラマみたいな映画>風の軽さとでバランスを取った積もりなのだろうか? ハードボイルドのお約束から外れようとする思惑は想像できるので原作は読んでみたくなったが,映画は何しろテンポが悪い.

△神代辰巳『濡れた欲情特出し21人』(日 1974)
○神代辰巳『四畳半襖の裏張り しのび肌』(日 1974)
○呉美保『そこのみにて光輝く』(日 2014)

△武内英樹『テルマエ・ロマエII』(日 2014)
 前作のヒットのお陰で作ることが出来た同工異曲の2作目.3作目も準備中らしいが,もう作らなくていいと思う.

○矢口史靖『WOOD JOB!~神去なあなあ日常〜』(日 2014)
○神代辰巳『赤線玉の井 ぬけられます』(日 1974 

○田中登『(秘)色情めす市場』(日 1974)
 5回目の鑑賞.何度観ても良いものは良い.

○ウェス・アンダーソン『グランド・ブダペスト・ホテル』(独・英 2014)
 全く好き放題に作っているのにこの監督が同業者に敬愛されているのは,才能だけではなく人柄にもよるのだろう.

△同『ファンタスティックMr.FOX』(米・英 2009)
△トラビス・ファイン『チョコレート・ドーナツ』(米 2012)

○深作欣二『仁義の墓場』(日 1975)
 狂暴なヤクザをモデルにした実録もの.全く同情の余地がない渡哲也の狂いぶりが素晴らしい.東京を所払いになった渡に芹明香がシャブを教える(洒落にならん)大阪潜伏中のシークエンスは,明らかに『(秘)色情めす市場』へのオマージュ.

○神代辰巳『濡れた欲情 開け!チューリップ』(日 1975)

△中島哲也『渇き。』(日 2014)
 『下妻物語』と『パコと魔法の絵本』の原作は未読だが,既読の『嫌われ松子の一生』と『告白』が原作よりも面白かったので,中島監督には注目していた.今回はあの後味の悪い小説をどう料理したか,それと,近頃稀な賛否真っ二つの評判――大多数は「否」らしい――に興味があったので,観に行った.
 客は6分の入りだったが,途中で席を立つ人が私よりも前の列だけで6,7人もいたのには驚いた.この程度の「暴力描写」や「不快さ」や「救いのなさ」にも耐えられない客がいて,こうした連中がボロクソの評価をツイートしているのか?
 だけど,本作は元々そういう挑発的な映画として作られているのだから,そこに文句を付ける客は来る場所を間違えているとしか言い様がない.自らノイズ系のライヴを観に行っておきながら「音がうるさい」と文句をつけて帰るのと同じだ.
 「ムカツク登場人物ばかり」(多数意見)というのには同感だが,だからといって「全く感情移入できない」(多数意見)というのは,自分の想像力の乏しさの表明でしかない.私の場合,殆どのキャラに感情移入できた――ムカツクけれど.
 本作は監督が本気で原作に惚れ込んで精緻に作り上げた作品であり,映画ファンだったら観る価値はあると思う.タランティーノに似ている所もあるが,中島作品には往年の映画作品へのオマージュという側面はなくて,唯我独尊.映像センスは蜷川実花に似ているが,中島のほうが遥かに上手い.
 本人の好感度が下がりそうな作品に出てハイテンションな演技をしている皆さんの役者根性も立派だが,汗と血に塗れた役所広司のクローズアップの頻度が高すぎる点に限っては,評価が分かれても仕方ないと思う.
 残念だったのは,物語のテンポが次第に緩まり――そのこと自体は計算尽くなのだろうが――最後の辺りが遅すぎると感じられたこと.ここまでスローダウンしなくても良かったのに.でもまぁ,前半の目まぐるしいカット割りが最後まで続いていたら,観るほうは疲れて最後まで持たなかったかも知れない.

○ジョー・ライト『つぐない』(英 2007)
○石井輝男『殺し屋人別帳』(日 1970)
○アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』(チリ・仏 2013)
○荒井晴彦『身も心も』(日 1997)
○中島貞夫『鉄砲玉の美学』(日 1997)
○中島貞夫『唐獅子警察』(日 1974)
○ジェームズ・ガン『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(米 2014)
○園子温『TOKYO TRIBE』(日 2014)
○中島貞夫『狂った野獣』(日 1976)
○クリント・イーストウッド『ジャージー・ボーイズ』(米 2014)

○エリック・クー『TATSUMI』(シンガポール 2011)
 クールジャパンならぬダークジャパン.敗戦〜70年代までの高度成長期の繁栄の陰で蠢いていた清くも美しくもなくただ貧しく下世話なニッポン人を描いた辰巳ヨシヒロの漫画数編を,アニメーション映画化したもの.
 原作を深く理解した見事な出来映えで,シンガポールの映画監督にこんな作品を撮られて日本の映画人は口惜しくないのかしらと,愛国奴じゃない私でも思った.
 辰巳は手塚を師と崇めていたというが,絵柄は――緻密な背景と漫画的な人物のコントラストなどを含めて――明らかに水木系である.といっても彼は水木のように妖怪の世界に遊ぶこともしなかったし,手塚のように反戦を訴えることもしなかった.暗くて救いようのない状況に絶望して死を選ぶ主人公や「人生なんて所詮こんなもんさ」といじましく生き続ける主人公ばかりで,幸福な主人公はいなかった(と記憶する)し,イデオロギーも感じさせなかったので,右にとっても左にとっても「利用」し難い作風だったことも,映画化しにくかった一因かも知れない.
 映画には辰巳本人も登場するが,作品から想像されるほど暗い感じではなく坦々とした印象で,海外での評価の高さ――日本国内より高い――を本当に喜んでいる様子だった.
(追記)辰巳は2015年に死去.悲しい.

○きうちかずひろ『JOKER ジョーカー』(日 1996)
△吉田大八『紙の月』(日 2014)
○山崎貴『寄生獣』(日 2014)
○内田吐夢『たそがれ酒場』(日 1955)

2015年

○堀井憲一郎『いつだって大変な時代』(講談社現代新書 2011)
○矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル 2014)
△東雅夫編『怪獣文藝』(メディアファクトリー 2013)
△中島浩籌『心を遠隔管理する社会 カウンセリング・教育におけるコントロール技法』(現代書館 2010)
△山本夏彦『オーイどこ行くの』(新潮文庫 2002.親本 同題1994+『その時がきた』前半のみ1996)

△樋口毅宏『民宿雪国』(祥伝社文庫 2013.親本 2010)
 新潟を舞台にした小説を読むのは『戦争の法』以来かも.
 ミステリなら結末に置かれそうな場面が本作では冒頭に置かれているように,樋口の小説は「書かれたものは全て虚構である」という開き直りとケレンに満ちていて,そこが水道橋博士のような虚実の間で生きる芸人に受けるのだろう.
 だが,例えば竹中直人がいくらシリアスな演技をしても,初期のお笑い芸を擦り込まれている観客(私)には嘘臭いものにしか見えないように,樋口作品は,本当はシリアスなのだと言いたいのかも知れないが,徹底的に底の浅い(ポストモダンな?)コラージュにしか見えない.サブカル雑誌編集者上がりの作者は,多読はするが熟読はしない人なのではないか.
 あとがきや梁石日との対談を読んでも,朝鮮人差別の問題についてかなり真面目に考えている様子ではあるが,本心なのかどうかは疑わしい――というか,少なくとも私には判断がつかない.
 あらかじめ嘘であると開き直って書かれたものに嘘臭いと文句を言っても詮無いことだが,「作品」としては,嘘の中にもリアリティが必要だと思う――そのリアリティをもたらすものを「技巧」に含めるべきかどうかは別にしても.
 例えば往年のひさうちみちおは偽セックスルポをよく書いていたが,ひさうちの場合は虚構の中にもどうしようもない己の性癖のリアリティが漏れ出していて,そのヘンタイ性が演技ではないことを告げていた.
 しかし,これまで読んだ範囲では,樋口の小説にそうしたリアリティは感じられない――ヘンタイとして信用できないのである.

○ルディー和子『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』(日経プレミアシリーズ 2013)
○ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』(文春文庫 1998.親本 1990)
○原朗『日清・日露戦争をどう見るか』(NHK出版新書 2014)
○西谷大『歴博ブックレット18 食は異なもの味なもの』((剤)歴史民俗博物館振興会 2001)
○孫崎享『戦後史の正体』(創元社 2012)
○同『日米開戦の正体』(祥伝社 2015)
○ドリヤス工場『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』(リイド社 2015)
○三上延『ビブリア古書堂の事件手帳 5』(メディアワークス文庫 2014)
○アゴタ・クリストフ『悪童日記』(ハヤカワepi文庫 2001.原著 1986)
△ 大濠藤太,沢野健草 『路上のうた ホームレス川柳』(ビッグイシュー 2010)
△東田直樹『風になる――自閉症の僕が生きていく風景』(ビッグイシュー 2012)
○オリバー・ストーン,ピーター・カズニック,乗松聡子『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか オリバー・ストーンが語る日米史の真実』(金曜日 2014)
○鈴木智彦『ヤクザと原発』(文春文庫 2014.親本 2011)
○ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』(文春文庫 1998.原著 1990)
○原郎『日清・日露戦争をどう見るか』(NHK出版新書 2014)
○西谷大『食は異なもの味なもの 食から覗いた中国と日本』(歴博ブックレット 2001)
△東山彰良『流』(講談社 2015)

△筒井康隆「モナドの領域」(『新潮』2015年10月号掲載)
 大半が(通称)GODのご託宣から成る思弁小説だが,GODは作者の自我の投影にしか見えない.筒井センセイ,神様のつもり?!――そうだったりして.

映画
△リチャード・リンクレイター『6才のボクが、大人になるまで』(米 2014)
○川村泰祐『海月姫』(日 2014)
○武正晴『百円の恋』(日 2014)
○安藤桃子『0.5ミリ』(日 2014)
△ティム・バートン『ビッグ・アイズ』(米 2014)
×山下敦弘『味園ユニバース』(日 2015)
△ソフィー・タチチェフ『家族の味見』(仏 1976)
○ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(仏・伊 1958)
△ルネ・クレマン『左側に気をつけろ!』(仏 1936)
△ニコラス・リボウスキー『ぼくの伯父さんの授業』(仏 1967)
△ジャック・タチ『ぼくの伯父さんの休暇』(仏 1953)
△本広克行『幕が上がる』(日 2015)
△松尾スズキ『ジヌよさらば〜まほろば村へ〜』(日 2015)
○山崎貴『寄生獣 完結編』(日 2015)

ケージが「目的なしに書く(作曲する)こと,純粋に書くこと,また純粋に聴くことは可能.それらの行為は互いに無関係.」というのはそのとおりだが,これがイデオロギーになってしまってはまずい.
ケージが夢想していた「社会」は有用性(ユーティリティ)の意識を共有したユートピアなのか......何かロハス臭い.

イベントとアクシデントは対立ではなく並存するという考え方が小山博人のイベント=アクシデントなのか?

2016年

○三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 6』(メディアワークス文庫 2014)
△六田登『世界は二人のために、二人は世界のために』(幻冬舎 2013)
△大沼紀子『真夜中のパン屋さん 午前2時の転校生』(ポプラ文庫 2012)
△同『真夜中のパン屋さん 午前3時の眠り姫』(ポプラ文庫 2013)
△渡部直己『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』(太田出版 1996)
○平出隆『猫の客』(河出文庫 2009.親本 2001)
△深沢七郎『生きているのはひまつぶし』(光文社 2005)
△下村敦史『闇に香る嘘』(講談社 2014)
△深水黎一郎『最後のトリック』(河出文庫 2014.親本『ウルチモ・トルッコ』講談社ノベルス 2007)
△甲野善紀・田中聡『身体から革命を起こす』(新潮文庫 2007.親本 2005)
○清野とおる『ウヒョッ!東京都北区赤羽 5』(双葉社 2016)
○浅木原忍『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド 増補改訂版』(Rhythm Five 2015)
△増田こうすけ『ギャグマンガ日和 巻の15』(ジャンプコミックス 2014)
△同『ギャグマンガ日和GB 1』(ジャンプコミックス 2015)

映画
△羽住英一郎『劇場版 MOZU』(日 2015)
○ルノー・バレ&フローラン・ドゥ・ラ・テューレ『ベンダ・ビリリ!〜もう一つのキンシャサの奇跡』(仏 2010)
○マイケル・ムーア『シッコ』(米 2007)
○同『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』(米 2009)
△ラリー・チャールズ『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(米 2006)
△サーシャ・ガヴァシ『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』(米 2009)
○想田和弘『牡蠣工場』(日 2016)

2016.03.12 GESO

タイトルGESORTING 202 Time is off my side.
記事No106   [関連記事]
投稿日: 2014/05/03(Sat) 11:12:39
投稿者geso < >
 「完成したらアップしよう」なんて思っていたらいつまでもアップできないことがわかったので,メモ書きでもアップすることにした.推敲なんかやってる時間はない...

本.
△海堂尊『ゴーゴーAi』(講談社 2011)
 副題「アカデミズム闘争4000日」.小説を地で行く...というか,小説の元ネタになった学会や官僚との闘いの記録.出版は震災前だが,震災の影響はあったのか/未だ書かれていないのかは,未確認.

○小池昌代『弦と響』(光文社文庫 2012.親本 2011)
 弦楽四重奏団のラストコンサートの模様をメンバーと関係者の独白体で描いた作品.小説的手法は陳腐だが音楽は慥かに聞こえてくる.

△後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫 2011.親本 2010)
 元ヤクザの回想録.印税を全額震災被災者に寄付するのはエライとしても,本当にヤバイことは隠して書いてる感じ.

○諸星大二郎『妖怪ハンター 稗田の生徒たち(1) 夢見村にて』(集英社ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ 2014)
 傑作.

○森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫 1984)
 何にせよ基盤――この人の場合は「文豪のお嬢様」――が強固な人は強いというか,無敵.意固地だけど可愛い茉莉さん.

○吉行和子『浮かれ上手のはなし下手』(文春文庫 2013.親本 2010)
 無境界の女優.母親以外の身内は皆さん亡くなったのね...

○品川正治『激突の時代 「人間の眼」vs.「国家の眼」』(新日本出版社 2014)
 著者は昨年死去.こういうしっかりした<大人>が居なくなるのは惜しい.軍産複合体の中心 AIG(American International Group)の話が不気味.

○石井光太『絶対貧困』(光文社 2009)
 「貧困学」を提唱する著者が世界の貧困地帯を巡って最下層の人々と暮らしたルポ.富める者が進んで清貧を選ばない限りは貧困問題は解決しない...でもまぁ無理だろな.

△川崎草志『弔い花 長い腕III』(角川文庫 2014)
 三部作の完結編.悪くないが,回を追うにつれてどうしても勢いは落ちてくる.


○連城三紀彦『小さな異邦人』(文藝春秋 2014)
 ほかの単行本未収録作品は版元がバラバラで纏められる可能性は低いから,おそらく最後の短編集になってしまうだろう.後は長編が何とか出ないものか... 表題作は誘拐ものの傑作.「無人駅」は『ロシアン・ルーレット』あたりの山田正紀ふう.やっぱり巧い「ミステリ作家」なのだった.

△犬飼六岐『蛻』(講談社 2010)
 尾張藩江戸下屋敷内に実在した「御町屋」と呼ばれる人工の宿場町では,掻き集められた町人たちが架空の生活を営んでいた.そこで起こるはずのない/起こってはならない連続殺人事件が起こり...という設定は間違いなく面白いけれど,ミステリとしては物足りない出来.

○東村アキコ『かくかくしかじか 1』『同 2』(集英社 2012,2013)
 美大出身でなくても楽しめる(苦しめる?)自伝漫画.作者の恩師 日高先生のキャラが,全く共感できないのに圧倒的な魅力.

○ベン・ワトソン『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』(以下「ワトソン本」.工作舎 2014.原著 2010)
・ザッパ研究者でもある著者は,アドルノ,フランクフルト学派,状況主義の影響を受けているというだけあって,非常に<偏向>した書き方になっているが,そこはむしろ楽しむべき.そもそも中立的な立場などあり得ないし.
・ベイリーや周辺のインプロヴァイザーの出自/出身階級の問題(これが存外に大きい)/「めかくしジュークボックス」で全然当てられず癇癪を起こしそうになるベイリー/偏屈なユーモリストとしてのベイリー/多数の関係者インタヴュー(引用を含む)から知る様々な即興観/裏話満載なところ等々,すこぶる面白い.ザックリ一気読みしたけどジックリ再読したい/ズッと持っていたい/ゼン即興演奏ファンに薦めたいゾ,と.
・ベイリーが理想としていた即興演奏は<ヒトの知性>と<オオカミの時間>を共存させるという,そもそも不可能な試みだったのではないか?と想う今日この頃,皆様如何お過ごしでしょうか?
・ライヴやアルバムのレヴューに当たり,著者ができるだけ正確な描写を心懸けていることは伝わってくるが,それでも比喩が無理矢理だったり印象批評に留まっているように感じられるのは,音楽を言葉で説明することの困難さ(あるいは不可能性)によるのか.
・木幡和枝の訳文は明解で読みやすい.だが,これだけ日本語に長けた人でも「すべからく」を誤用しているのにはちょっとガッカリ.
・本書の出版に刺激を受けたのか,ベイリーの音源を聴く会が発足↓.

イヴェント.
△「デレク・ベイリーを聴く会 Vol.01」モデレーター 泉秀樹・渡邊未帆・山崎春美・石原剛一郎 ゲスト 竹田賢一・木幡和枝(吉祥寺 Sound Cafe dzumi 3/29)
・モデレーターって初めて聞いたけど,何?と思ってググったら,
 1a仲裁[調停]者. b調節[調整]器. 2a(討論会などの)司会者. b《主に米国で用いられる》 (町会などの)議長. 3[しばしば M[N16-A12A]] 【キリスト教】 (長老派教会の)教会総会議長. 4【物理学】 (原子炉の中性子の)減速体.
 だそうである.本件の場合は多分4だろう.
・「ベイリーが遺した250枚以上もの関連アルバムを(中略)年代ごとに1枚ずつじっくりと聴き込んで」いくというのだが,1枚の収録時間を平均40分と見ても250枚聴き通すには約167時間掛かる.1回の会合は約2時間だから,単純計算すれば全84回,月イチペースで7年間続けないと聴き終わらないわけで,これは到底無理だ.
 そこは現実的に「重用と思われるアルバムからピックアップして年代順に聴き込む」とするしかないし,1回目の「聴く会」は実際そのような形で進行した.
・レジュメには掛ける予定の1960年代音源――LP,CD,CD-R等計14枚――がリストアップされていたが,やはり全部聴くのは無理で,実際に掛かったのは次の7枚,それも各アルバムから1トラックずつ――しかも7は途中でFO――だった.
 なお,4はオーネット・コールマンをフィーチュアしたオノ・ヨーコのアルバムから参考として掛けたもので,ベイリーとは無関係.

 1. 1965, "Rehearsal extract", Incus CD single 01. Joseph Holbrooke Trio (with Gavin Bryars b: Tony Oxley ds).
 2. 19 March 1966, "live at Club 43, Manchester, UK". audience recording. Lee Konitz Quartet (with Lee Konitz as: Gavin Bryars b: Tony Oxley ds).
 3. 18 Feb. 1968, "Karyobin", Chronoscope CPE2001-2. Spontaneous Music Ensemble (with Kenny Wheeler tp, fl-h: Evan Parker ss: Dave Holand b: John Stevens ds).
 4. 29 Feb. 1968, "AOS" from "Yoko Ono/Plastic Ono Band". Apple SAPCOR 17. Yoko Ono vo: Ornette Coleman tp: Edward Blackwell ds: Charles Haden b: David Izenzon b.
 5. 28 Aug. 1968, "Infraudibles" (composed by Herbert Br&#252;n) from "Cybernetic Serendipity Music", ICA ICA 01. Various (with Bernard Rands czimbalum: Gavin Bryars b: Richard Howe fr-h: Evan Parker ts).
 6. 3 Jan. 1969, "Stone Garden" from "The Baptised traveller", CBS (GB) 52664/Sony-Columbia 494438. Tony Oxley Quintet (with Kenny Wheeler t, fl-h: Evan Parker ss: Jeff Clyne b: Tonny Oxley ds).
 7. June 1969, "European echoes", FMP 0010/UMS/ALP232CD. Manfred Schoof (with Arjen Gorter, Buschi Niebergall, Peter Kowald b: Han Bennink, Pierre Favre ds: Alexander von Schlippenbach, Fred Van Hove, Ir&#232;ne Schweitzer p: Evan Parker ss: Gerd Dudek, Peter Br&#246;tzmann ts: Paul Rutherford tb: Enrico Rava, Hugh Steinmetz, Manfred Schoof tp).

・<年代順に聴く>という非ポストモダン的な聴き方には共感.「誰と誰とがどういう順序で出逢ったか」という<歴史>の検証は,やはり重用.
・この時期のベイリーの演奏は,竹田賢一が指摘したように慥かにアンサンブルの中で<異物感>を放ってはいるが,制約下でのフリーフォームという印象.共演者たちの出自が演奏全体の雰囲気を特徴づけているため,多くはフリージャズの範疇に入る演奏だ――サイバネティック・セレンディピティ・ミュージックは電子音楽系だけど.ベイリーのギターは,集団の中にあって,こう言っちゃ何だが<効果音>的機能を果たしているように聞こえる.
・トニー・オクスリーds,ギャビン・ブライヤーズbと組んだジョゼフ・ホルブルック・トリオ(英国マイナー作曲家の名を借りた,ベイリー最初のグループ)は「マイルス・モード」を演奏しているが,ベイリーのギターは「最初と最後にテーマを演奏しとけば,真中辺りの演奏はモードもテンポも無視して構わないでしょ?」と言いたげ.10分に1回濡れ場を入れさえすれば後は好きに撮って構わなかった往年のロマンポルノを連想.そういう点では<制約つきのフリー>.
・ちなみにワトソン本所収のオクスリーのインタヴューを読むと,ジョゼフ・ホルブルック・トリオは当時(1963〜1966),日本のティポグラフィカを想起させる拍子分割の実験をさんざん試みていたらしく興味深い.
・ベイリーは楽曲も演奏しているが,原曲に忠実にやっているとは思えない.また,コール・アンド・レスポンス的なやり取りもしているけれど,フレーズを応酬するようなオーセンティックなものではない.その辺りに,後の<非イディオマティック的な>即興演奏の萌芽が窺われる.
・横井一江は自著『アヴァンギャルド・ジャズ――ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷 2011)の中で,ベイリーが,自著『インプロヴィゼーション――即興演奏の彼方へ』(工作舎 1981.原著 1980)で提唱していた<非イディオマティックな即興演奏>がドグマとして一人歩きすることの危うさを訴えていたと思う(うろ覚え).そのとおりかも.
 ベイリーが問題にしていたのは演奏そのもの――<結果>ではなく<過程>――以外ではなかったということに注意.<非イディオマティックな即興演奏>は,終了した演奏やその録音物といった<結果>に対して求めるべきものではなく,また,それ自体を<目的>とするものでもない.
・意外な演奏家がベイリーファンだった↓.
 h t t p : / / e - d a y s . c c /(注:ここまでの文字はベタ打ちに直す)music/column/takada/201003/30432.php
・ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル『小鳥たちのために』(青土社 1982.原著 1976)を読むと,ケージとベイリーの意外な類似点に気付く.
 例えば:感情から自由になること/自我を開放すること/行為の結果に対する無関心/「あらゆる音に対して開かれた耳には,すべてが音楽的に聞こえるはず,私達が美しいと判断する音楽だけではなく,生そのものであるような音楽」/フリージャズが観念と音楽的関係の世界に閉じ込められているという批判(コール&レスポンスの重視や,時間的なビート感覚を保持することで音楽の範疇に留まっていること)/ダンサー(舞踏家)との共演における一見無関係な関係/etc.
 相違点ももちろんある.例えば<偶然>について,ピーター・ライリーはケージ型の偶然は意図して実践するある種の慣性であるのに対して,ベイリー型の偶然は抑圧から解放までの広い範囲にわたる作業課題であると述べる(ワトソン本).偶然を技法化すること自体が矛盾だと私も思うが,これは作曲家と演奏家(取り分けギター)という立場の違いに由来するものかも知れない.
・作品をつくる<方法>や<手段>に作者の署名が入ることでそれ自体が作品化してしまうことには,疑問を抱かざるを得ない.
・ちなみに,次のイヴェント↓と重なったため「聴く会 Vol.02」には行けなかった.

△「不図(ふと) 小山博人とは何ものだったのか」(高田馬場プロト・シアター)
・2010年7月に急逝した小山を偲ぶイヴェント.何で今頃?という思いもあるが,諸事情あったようだ.
・出演:入間川正美(チェリスト)/湯田康(演劇)/morning landscape(演劇)/荒井真一(パフォーマンス)/小林保夫(演劇)/IZA(シンガーソングライター哲学者)/海上宏美(批評)/多田正美(元GAP,サウンド・エンカウンター)/3 l-in-es(河崎純,入間川正美,遠藤寿彦)[以上4/26].新崎博昭(イベントアクシデント'77-'11)/山田工務店(演劇ユニット)/鈴木健雄(サウンド・パフォーマー)/ONNYK/GESO/大熊ワタル(シカラムータ)/遠藤寿彦(ダンス/回路派)/竹田賢一(A-Musik)[以上4/27].肩書きはおおむね自称らしい.ぷふい.
・出演してしかるべき人――特に名を秘すが清水唯史――がスタッフの一人――誰とは言わぬが遠藤寿彦――と喧嘩しているせいで呼ばれていなかったり,スタッフの一人――匿名だが湯田康――に疎まれているにも拘わらず平然と来場し打上げにも参加する図太い奴――勿論園田佐登志――がいたり,人生いろいろである.
・自分の出番になるまでに見たそれぞれの実演は,海上宏美と新崎博昭と鈴木健雄以外は「小山博人とは何ものだったのか」という問題意識を感じさせない,いつもやっていることと変わりないのでは,と思わせるものばかりで,退屈さと苛立ちを覚えた――折角の機会なんだから,もう少し小山絡みの実演を工夫すればいいのに.
・もとより追悼も鎮魂も嘘臭くて嫌いな私としては,今回限りの「小山博人に関わる回想(あるいは回顧)及び検証」を試みた――失敗したか成功したかはどうでもよいが.
・小山がやっていた架空の(?)グループの正式名は「イヴェント・アクシデント7711」なのか「イヴェント=アクシデント7711」なのか「イヴェントアクシデント7711」なのか「イベントアクシデント7711」なのか...etc.「クレイジーキャッツ」「クレージーキャッツ」「クレイジー・キャッツ」etc.に通じる表記の曖昧さは戦略ならぬ戦略だったのか.EVENT=ACCIDENT,イヴェントとアクシデントは等価の謂と,私は思っていたけれど.「わざわざおいで戴いても何もおもしろいことはありません」は彼(ら)が遺した名キャッチコピーで,私の座右の銘の一つである.

映画.
△ジェフ・ワドロウ『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』(米 2013)
 続編が本編を超えることはやはり難しい... 技術的向上とは関係ないことだから.

○佐々部清『東京難民』(日 2013)
 ホームレス役の井上順の演技が脂の抜けた感じが良かった.

△ジャン=マルク・ヴァレ『ダラス・バイヤーズクラブ』(米 2013)
 マシュー・マコノヒーの,役作りのために21キロ減量したという役者馬鹿ぶりを愛でる映画.

○ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』(丁・諾・英 2012)
 インドネシアで共産主義者(及びそう見なされた人)たちを大量虐殺した本物のヤクザたちが,過去の虐殺を自ら再演する映画...の撮影ドキュメンタリー.悪夢のようだが目が離せない画期的作品.

○黒木和雄『竜馬暗殺』(日 1974)
 久し振りに再観.役者陣で魅せていたのだな.上映後の中川梨絵と後藤幸一のトークショーが楽しかった.

△山口義高『猫侍』(日 2014)
 北村一輝が役作りのために9本歯を抜いたのはこの映画ではないが,その役者馬鹿ぶりと,白猫の玉乃丞を愛でる映画.演出は駄目.

 阿佐谷 ラピュタの特集「わたしたちの芹明香」から2作.
○曽根中生『(秘)極楽紅弁天』(日 1973)
 この監督の明るさはロマンポルノにあっては貴重.

△白鳥信一『狂棲時代』(日 1973)
 ロマンポルノなるも根は真面目な青春映画.当時24歳の風間杜夫に18歳の浪人生役はちょっと無理あり.

2014.05.03 GESO

タイトルGESORTING 201 雪掻きとエントロピー
記事No104   [関連記事]
投稿日: 2014/02/15(Sat) 13:46:46
投稿者geso
×ジュゼッペ・トルナトーレ『鑑定士と顔のない依頼人』(2013 伊)
 <極上のミステリー>というキャッチコピーに騙された.全然意外性のないプロットだし,一方的な「騙し」が描かれるだけでコン・ゲームにもなっていない.美術ミステリ映画として『トランス』より面白そうだと期待していたのに,残念.

△想田和弘『選挙2』(2013 日・米)
 監督は被写体に普通に関与していてもはや観察者の立場からは逸脱しているから,「観察映画」というキャッチコピーは止めてもいいのでは.音楽とナレーションを排しているという特徴はあるけど,普通に「ドキュメンタリー映画」といえばいいんじゃないか?
○同『Peace』(2011 日)
 と思ったら,『選挙2』よりも古い本作――介護と猫を巡るドキュメンタリー――では,今まで観たうちでいちばん被写体に話し掛けていた.
 観察映画「番外編」とのことだが,改めて「観察」の意味を考えさせられた.通常「観察」は「事物や現象を注意深く組織的に把握する行為」(ブリタニカ百科事典)を意味するが,想田の「観察」は「組織的に把握する」ことを避けている.先入観を排して事象そのものの「一瞬」に立ち会おうとする意思.「観察映画」ではなく「直観映画」.

○石井裕也『川の底からこんにちは』(2010 ユーロスペース/ぴあ)
 平凡なOLが病に倒れた父親に呼び戻されて田舎のシジミ工場を継ぐという設定に目新しさはないが,初めは全然いいところなしと思わせながらいつの間にか共感を抱かせる満島ひかりのリアルな演技や,真面目ぶりと巫山戯ぶりのバランスが絶妙なオフビートギャグの連続に引き込まれる(ちょっとカウリスマキっぽい).脚本と演出さえ良ければ低予算でも面白い映画は作れるという好例.

△池田敏春『女囚さそり 殺人予告』(1991 東映ビデオ)
 岡本夏生が4代目松島ナミを演じたVシネマ.伊藤俊也版へのオマージュとしてハチャメチャ振りは受け継いでいるが,演技力不足の岡本夏生には荷が重かった...

△黒澤明『羅生門』(1950 大映京都)
 ちゃんと観たのはひょっとしたら初めて.『羅生門』の設定も借りているが原作は『藪の中』.多視点による作劇法は当時としては新鮮だったのだろう.
 気になったこと: いくら平安時代でも,屍体の刀傷が太刀によるものなのか短刀によるものなのかの区別くらいはつくんじゃないのか(いくら短刀が紛失していたとはいえ)? 最後に棄て児の赤ん坊を引き取った木樵り(志村喬)はその後ちゃんとその子を育てたのかな?

○道尾秀介『月と蟹』(文春文庫 2013.親本 2010)
 登場人物の心情の揺らぎを胸苦しいほど生々しく描いた純文学寄りの長編.久し振りに読んだら格段に巧くなっていたので吃驚.直木賞は当然かも.
 主人公を中学生に設定したら生臭くなりすぎるから小学六年生に設定したのかも知れないし,舞台は平成の鎌倉なのに昭和っぽい雰囲気を醸し出しているのも狙ったことかも知れないが,同業者に「道尾の文節の構築には」「あざとさは皆無である」(伊集院静の解説)と信じ込ませるくらいだから,計算ずくであったとしても大した伎倆ではある.
 という訳で,気になったので道尾作品を続けて読んだ.

○道尾秀介『カラスの親指』(講談社文庫 2011.親本 2008)
○同『龍神の雨』(新潮文庫 2012.親本 2009)
○同『片眼の猿』(新潮文庫 2009.親本 2007)
 どの作品も見事でした.
 『カラスの親指』はコン・ゲーム小説とも言えるが,ミスディレクションの手口からミステリファンの読者を想定していると思われる.
 しかし,『龍神の雨』あたりからは,ミスディレクションは使ってもミステリファンに限定しない読者を想定しているようだ.『月と蟹』もそうだが,純文学っぽい表題――未読作品では『球体の蛇』や『光媒の花』――が増えていることからもその傾向は窺える.ミステリに括られるのが嫌なのだろう.
 『片眼の猿』は読み始めてすぐ既読だったことを思い出した.4年前に読んで,震災後処分していたのだった.癪ではあるが,ダブり買いはままあることだし,再読しても楽しめたのでよしとする.改めて感じたのは伊坂幸太郎のセンスとの近似性.『片眼の猿』にはそれが顕著で,『アヒルと鴨のコインロッカー』などが想起される.

○ゲイル・キャリガー『ソフロニア嬢、発明の礼儀作法を学ぶ』(ハヤカワ文庫FT 2013)
 スチームパンク乗りのラノベ.こういうキャラがはっきりしたシリーズものは,何も考えずに楽しめばよい.

○久住昌之・谷口ジロー『散歩もの』(扶桑社文庫 2009.親本 フリースタイル 2006)
 『孤独のグルメ』のコンビによる散歩エッセイ漫画.谷口の細密な絵が文庫版の限界に挑むかのような「原画再現力」をもって採録されたのは,印刷所の担当者が『孤独のグルメ』の大ファンで命懸けでやってくれたお陰だという,イイ話.最終話に出て来る川上宗薫の絶筆「死にたくない!」が読みたくなった.

○諸星大二郎『瓜子姫の夜・シンデレラの朝』(朝日新聞出版 2013)
 久々に諸星の新作が読めた.それだけで嬉しい.

○清野とおる『ウヒョッ!東京都北区赤羽 第1巻』(双葉社 2013)
○同『ウヒョッ!東京都北区赤羽 第2巻』(双葉社 2013)
 Bbmfマガジン版の9巻目がなかなか出ないなと思っていたら,そういう訳だったのか!と読んで吃驚の双葉社版.全くパワーは落ちていない,ただ事ではない面白さ.

△南條竹則『人生はうしろ向きに』(集英社新書 2011)
 ホラティウス,吉田兼好,チャールズ・ラム,デイヴィド・ヒュームらを引いて,進歩主義を「根拠のない野蛮な思想」として退け,「うしろ向き」に生きることを慫慂する書.私も「Nothing changes for the better.」には同感だが,進歩主義者たちを論破するにはもう少し詳細な内容にしないと,単なる反動主義として無視される危惧もある.

○佐藤正午『身の上話』(光文社文庫 2011.親本 2009)
 「不倫相手と逃避行の後、宝くじが高額当選。巻き込まれ、流され続ける女が出合う災厄と恐怖とは。」(カバー裏より).
 たまたまテレビドラマ版『書店員ミチルの身の上話』の方を先に観たため「語り手」に仕掛けられた工夫に驚く楽しみが失われたのは残念だったが,覆水盆に返らず... だが,文章が非常に巧みなので,筋書きが分かっていても問題なく楽しめた.振り返ってみれば,原作にほぼ忠実だが独自設定を加え細部を膨らませたドラマ版もかなりの出来.

○乾緑郎『完全なる首長竜の日』(宝島社文庫 2012.親本 2011)
 植物状態の患者とコミュニケートできる医療器具が開発された世界という設定はSFだが,展開はマジックリアリズム的.途中で結末の予想はついたが,それでも面白かった.今まで読んだ「このミス」大賞受賞作の中ではベスト.

○福田和代『怪物』(集英社文庫 2013.親本 2011)
 これも<匂い>にまつわる小説.<死>の匂いを嗅ぎ取れる定年間際の刑事,その特殊能力――勿論誰にも信じてもらえないから秘密――によって真犯人と見抜かれるも証拠不十分で逮捕されなかった幼女誘拐殺人の元容疑者,屍体を完全に処理できるテクノロジーを罪悪感なしに使える<怪物>のような青年.彼らが結び付くとどうなるか.
 「先の読めない展開の釣瓶打ち」(三橋曉の解説)というのは嘘で先は読めるが,それでも最後まで目が離せないのは,本作が謎解きのミステリではなく,ヒトが隠し持つ<怪物性>を描くサイコサスペンスとして秀逸だから.
 気に入ったので,テレビドラマ版(読売テレビ 2013)のDVDも観たが,こちらは×.尺やキャスティングによる制約もあろうが,単純化しすぎた脚本と,<正義>が復権するかのように書き換えられたエンディングが,原作の良さを台無しにしている.佐藤浩市――定年間際には見えないので左遷間際の刑事という設定に変えられている――の熱演はまだしも,向井理はツルンとしすぎて闇を抱えた<怪物>には見えずミスキャスト.

○我孫子武丸『さよならのためだけに』(徳間文庫 2012.親本 2010)
 DNA診断を活用して組合せの良否をランク付けする結婚仲介企業――その創始者は流石に公言はしないものの,最大多数の最大幸福と優生主義が人類の未来のために正しいと信じている――が政府と結託して世界を牛耳っている近未来が舞台.そこで「特A」の組合せとされたカップルが新婚直後に相性が合わないことに気付き,成田離婚しようとするも様々な妨害に遭いながら「共闘」する... 先の展開は読めるけれども面白い.絵空事とは思えない設定のディテールに説得力あり.

 という訳で,先の展開が読めても楽しめる小説がたまたま続いた.要はプロットに意外性がなくてもディテールと文章力で引っ張ることは可能だという,当たり前のことなのだが.

△樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』(新潮文庫 2012.親本 2009)
 サブカル系に偏った博覧強記ぶりで一部で人気があるらしい作者のデビュー作.巻末のネタリストに舞城王太郎の名前はないが,舞城の初期作品が持つスピード感を想起させるドシャメシャなピカレスク小説.良くも悪くもB級映画を小説化したような底の浅さを感じるが,そこが良いという人もいるんだろうな.

△城平京『名探偵に薔薇を』(創元推理文庫 1998)
 数多のミステリを研究したうえで敢えて大時代的な作品を書く反時代的姿勢には好感が持てる.そういえばやはり反時代的なミステリを書き続けた加賀美雅之は去年亡くなったんだっけ...

○天藤真『大誘拐』(創元推理文庫 2000.親本 カイガイ出版社 1978)
 誘拐ミステリの古典.営利誘拐された大富豪(聡明な田舎のお婆さん)が犯人グループ(間の抜けたムショ仲間3人組)を指導して(!)警察と破天荒な攻防を繰り広げる.現在では使えそうにないトリックも多いが,今読んでも十分に面白い.久々に爽やかな読後感.

○赤江瀑『八雲が殺した』(文春文庫 1987.親本 1984)
 泉鏡花賞受賞の表題作を含む短編集.皆川博子の旧作・新作が続々刊行されている昨今,皆川と並ぶ幻視者でありもはや新作を読むことは叶わない赤江瀑の全集が出ることを切望.

●前回の続き
 清水義範『迷宮』(1999)と貫井徳郎『微笑む人』(2012)の両作品は,「犯人はほぼ確定している――自供も得られている――が動機は異常と見なされる殺人事件に興味を持った小説家が,ノンフィクション作品として纏めるべく取材を進める過程を描く」というプロットが共通している.
 こうしたプロット自体は特に珍しいものではなく,例えば折原一の複数の作品にもあったと記憶するが,折原作品と異なるのは,両作品とも「叙述トリック」を排している――その意味では設定上ストレートなミステリである――という点.
 より重要なのは,茶木則雄による清水作品の解説文から引用すれば,「犯罪報道における「事実」とは何か。人は、自分に理解できる「事実」を捏造し、勝手に理屈を付けたがっているだけではないか。人間の行動には、言葉では説明できない部分がある。人の心の奥底にある真相は、他人にはそう簡単に、わかるものではない」というテーマが,両作品に共通していることである.
 両作品とも犯人の<真意>という存在自体に疑問を投げ掛けており,ミステリとしては掟破りとも言える訳だ.
 しかし,プロットとテーマが共通しているのは偶然の一致であって,貫井が清水作品を盗作をしたとは思えない.
 それは,『微笑む人』の刊行によせて,「既存のミステリーとはまるで似ていない」「言霊がぼくに書かせた作品」であり,「読者が無意識に抱いてしまう、物語への期待」を「粉々に打ち砕くだろう」と貫井が自負していることから,彼が清水作品を未読だと推測されるからである... 類似する先行作品を「知らなかった」とあっては,ミステリ専業作家として不見識の誹りを免れないかも知れないが.
 両作品の最大の相違点は,清水が結末を「ミステリ小説」の内部に着地させようとしたのに対して,貫井はその外部に着地させようとしたことだろう.
 どちらの試みが成功しているかの判断は読者によって異なるであろうが,私はいずれの結末にも満足できなかった.一読者の我が儘に過ぎないが,いずれでもない着地点があり得たのではないか――それが読みたかった――という思いが強いのだ.

2014.02.15 GESO

タイトルRe: GESORTING 200 師走の覚書
記事No103   [関連記事]
投稿日: 2013/12/29(Sun) 20:42:18
投稿者あかなるむ
 ご無沙汰しています。

> ●降誕祭の夜こっそり口ずさんだ<酸鼻歌>
 NY大停電のことを思い出し、毎年12月24日の午後8時から25日午前8時まで東京で大停電・インフラ喪失を実行したら少子化に歯止めがかかるのでは無いか、などと不謹慎なことを考えたあかなるむでした。

・「祈祷の書」1995/12/21より

あなたが悪行の種を蒔けば
神はカラスを使わしてその種をほじる
あなたが善行の種を蒔けば
神は鳩を使わしてその種をほじる

あなたがどのような行いの種を蒔いても
神はあなたの種をほじる
神は常に共にいる
ああめん


あなたが悪徳の肉を炙れば
神は鳶を使わしてその肉を攫う
あなたが善行の肉を焼けば
神は鷹を使わしてその肉を攫う

あなたがどのような行いの肉を焼いても
神はあなたの肉を攫う
神は常に共にいる
ああめん

タイトルGESORTING 200 師走の覚書
記事No102   [関連記事]
投稿日: 2013/12/29(Sun) 19:42:13
投稿者geso
●降誕祭の夜こっそり口ずさんだ<酸鼻歌>

 諸人ころびて 向かえません
 久しく待ちにし 主は来ません
 主は来ません 主は、主は来ません

 悪魔と一夜を 現忘れ
 虜となりせば 主は来ません
 主は来ません 主は、主は来ません

 この世の闇路を 照らせません
 妙なる光の 主は来ません
 主は来ません 主は、主は来ません

 萎めるぺにすに 花を咲かせ
 恵みの露置く 主は来ません
 主は来ません 主は、主は来ません

 (以下略.<酸鼻歌>はあかなるむの造語.

○麻耶雄嵩『隻眼の少女』(文藝春秋 2010)
 何よりも<吃驚>したくてミステリを読んできたけれど,擦れてしまった所為か驚くことは滅多になくなってしまった.だから本作は久々に嬉しい驚きだった.
 帯の惹句「古式ゆかしき装束を身にまとい、美少女探偵・御陵みかげ降臨! 究極の謎 究極の名探偵 そしてちょっぴりツンデレ! 云々」にも騙された...そんな甘い作品ではない.
 アンチにもメタにもSFにも叙述トリックにも逸脱せずあくまで新本格の領域に踏み留まりながら次々と予想を裏切るというのはかなりの力業に思えるが,この著者はデビュー時から大胆だったから,さほど不思議でもないか.
 普通の(≒陳腐な)小説に較べれば非常識な設定であるが,本格ミステリはもとより人工美の世界なんだから,<非常識>という言葉は何の非難にもなるまい.

○日垣隆『偽善系』(文春文庫 2003.親本 2000・2001)
 著者の言説は<右>からは<左>と思われ,<左>からは<右>と思われそうだが,理不尽なことが大嫌いで糾弾しているだけで,右でも左でもなさそうだ.きっちりデータを集めて書いている強みからか,著者の書き方にブレはない.
 是々非々でしか判断できない私には賛同できる論もあればできない論もあるけれど,理不尽を正そうたってなぁ...ストレス溜まるだろうな,と思う.
 理屈や理性というものが存在し――私は想像上の産物だと思うが――大多数の人間にそれが備わっているのであれば,世の中の理不尽自ずと正され,<民主主義>など疾うの昔に実現している筈だけれど...
 「裁判がヘンだ!」の章にあった,(殺人の)「動機というのは、あくまで言葉である。言葉で表現されないものは、動機ではない。だから、犯罪をおかす前に動機なんて存在しないケースはたくさんある。」という見解には,賛同する.(続く)
 著者は資料代(主に本代)に月額最高40万円も使うそうだが,全部経費で落とすにしても,物書きの中でも並みではない.

△小池昌代『屋上への誘惑』(光文社文庫 2008.親本 2001)
 小池の本業は詩人だが,小説――例えば『黒蜜』――のほうが面白い.
 エッセイは初めて読んだけど,真剣かつナイーヴに<言葉>に拘る姿勢には,皮肉抜きに感心した.でも,哲学を<てつがく>,思うを<おもう>などと平仮名表記するセンスはあまり好きじゃない.
 「人殺し」と題されたエッセイには,殺人を犯して「どうしてこんなことになったのか、わからない」という妻に対して「問い詰めても仕方ないと思った」と語る夫を,裁判長が理解できない一幕を記録した公判記事が引用されている.
 「検察官も裁判官も、裁く側が、殺した理由を説明せよ、というなかで、この夫だけが、「問い詰めても仕方がない」として、妻を、罪そのもののなかへ、闇のなかへ送り返している。妻は、この闇のなかで、この先も自分の為したことを考えていくだろう。」
(続き)やはり殺人には「動機」がなければならないと――少なくとも司法上は――されているのである.
 ちなみに本書で一番気に入ったのは本人の文章ではなく,「母の怒り」と題されたエッセイ中に引用されている野見山朱鳥の次の俳句である.
 「犬の舌枯野に垂れて真赤なり」...いいネ!

○佐藤亜紀『激しく、速やかな死』(文藝春秋 2009)
 サド侯爵の「弁明」に始まり,タレイランが元愛人に送った手紙の体の「荒地」や,「戦争と平和」の脇役(クマ)の一人称で綴った「アナトーリとぼく」等を挟んで,ボードレールの独白「漂着物」で終わる7つの短編.
 仏蘭西革命を鍵言葉に,18世紀後半から1世紀弱のスパンで編年体で書かれた連作小説のように見える.
 「作者による解題」に現れる「...と考えていただいて構わない」とか「言わずもがなだが」とか「読んだことのある方なら...に気が付かれることだろう」といった言い回しからも「分かる奴にだけ分かればいい」という姿勢は明らかだが,いっそ仏蘭西語で書いて地元で出版すればいいのにと思えるくらい良く出来た(トルストイのパロディを含む)仏蘭西文学のイミタツィオーンである.
 最近の作品は未読なので分からないが,今までに読んだ著者の小説にハズレはなく,本作も(私の乏しい教養では充分理解できないものの)楽しめる内容になっている.
 ちなみに,ネットで「作品はいいのだが本人はどうも...」といった記述を複数目にしたので,久々にネットでサトウアキを検索したところ,ブログは実質休止状態だったがツイッターにはヒットした.
 で,読んでみたら...成る程,慥かに「敵」と見なした相手に対する著者の「狂犬」染みた罵詈雑言を見て,あの流麗な文章の書き手とこの汚い文句の吐き手が同一人物とは...と感慨深かった.くわばらくわばら...

△内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文春文庫 2011.親本 2008)
 内田センセーは最近もガンガン本を出しているけど,私はブクォーフの105円棚に落ちて来たものを主に読んでいる.数歩遅れで時事ネタを読むほうが<クール>に判断できるという利点もあるが,もとよりセンセーの著書は同工異曲で特に古びるということもなく,どれを読んでもどれから読んでも構わないので,たいへん重宝なのである.
 ヘーゲルやレヴィナスを称揚する一方でマルクス主義やフェミニズムを否定する記述――個人史に由来する反動かも知れない――はほかの著書でも繰り返されているが,<理屈>(理論,とは言うまい.)としてはどっちもどっちだという気がする.私の理解力が足りない所為なんでしょう,どうせ.
 ただ,センセー本人が「「話半分」の人」と自認し明記しているくらいだから,センセーが書いていることを読者が話半分に読んだとしても<フェア>であって,盲信する必要は毛頭ない――当然でしょ.
 センセーは,自身が構造主義文化人類学的に<クールでリアル>と捉えている自明の原理――原理が幾つあるのかは明示されていないが,一例を挙げれば,レヴィ=ストロースによる「親族の存在理由は」「親族の再生産である」という同義反復――に基づいて人間社会は動いており,それで大概の事象の説明はつくと考えているようだ――構造主義が定説化しているとは知らなかったけれど.
 センセーは,マスコミが飽きもせず投げ掛けてくる「どうして現実社会はあるべき状態になっていないのか?」という類の質問に対して,その都度律儀に答えている.
 それは,センセー自身によると,相手が「どういう答えを聞きたがっているか」を探り当てられるので,どんな質問(愚問?)に対しても「即答することができる」からだという.
 センセーは,理論と現実の齟齬なんてつまらないことに悩むこともなく,相手のニーズに応じて如何様にでも回答できる――なんとサービス精神豊かなことか.
 センセーは,朝日新聞を取るのを止めた理由について,「どのような問題についても「正解」があり、それを読者諸君は知らぬであろうが、「朝日」は知っているという話型に対する不快感が限度を超えた」からだと書いている.「朝日」をセンセーの名前に置き換えて,センセーの本を買うのを止める理由にしてもちゃんと成り立つ文章になっている――なんと気が利いていることか.
 内田センセーの著書は,氏を手本にして知的な物言いを処世術ないし芸として身を立てたい売文業志望者にとっても,氏の存在を似非文化人/反面教師の例として肝に銘じたい知的読者にとっても,有用なテキストだと私は思う.
 ちなみに私はセンセーの書くものが嫌いな訳では全くない.SF――speculative fictionのほうね――エッセイとして楽しめるものが結構あるので.
 本書の中では,「共同体の作法」の章が特に面白かった.
 例えば「食の禁忌」と題された文章では,トマス・ハリスの『ハンニバル』シリーズで人肉嗜食者レクター博士に法外な威信が与えられている理由を,「「人間を殺して食う人間」は「動物を殺して食う人間」に「罰」を下しているということである」と説明している.つまり,動物を殺して食う<罪>を,人を殺して食う<罪>によって<相殺>しているという解釈.面白いでしょ.でも定説になれるかな?
 なお,本書でいちばん残念だったのは,『ひとりでは生きられないのも芸のうち』という書名をまえがきで自画自賛している図.どう見てもダッセえタイトルだと思うが...

△貫井徳郎『微笑む人』(実業之日本社 2012)
 著者が「ぼくのミステリーの最高到達点です」と自負している一方で,読者の評価は賛否真っ二つに別れているようなので,好奇心に駆られて読んでみた.
 本作は,殺人犯が告白した動機が信じがたいものであったことに違和感を覚えた小説家が,「真実」を求めて関係者への取材を始め,初の「ノンフィクション」作品を書き進める過程を,一人称のドキュメンタリーとして描いた<偽ドキュメンタリー小説>である.
 折原一ふうの叙述ミステリとして着地するのかと思ったら,予想は全く裏切られた.ミステリの場合,予想を裏切られるのは大概快感なのだが,本作の場合は...
 これはミステリからの逸脱というよりも遁走,あるいはフィクションの(ノンフィクションに対する)敗北宣言なのか? 慥かにこの結末では,桐野夏生『柔らかな頬』の結末以上に賛否が分かれることだろう.
 桐野の場合は,著者の作品史においてミステリへの決別とも位置付けられる作品であり,その後の作品がミステリの枠から離れているのも納得できるのだが,貫井の場合は,本作を書いた後でぬけぬけと<普通>のミステリの世界へ戻って来れるのだろうか? 今度,最新長編『ドミノ倒し』を読んでから判断しよう.
 急に思い出したが,本作は清水義範『迷宮』に似ている.あの作品を読んだときはつまらないと思ったが,本作を読んだらあっちのほうが面白かったような気がしてきた.それは何故かを考えるために『迷宮』を再読してみよう.
 (続き)しかし,フィクションの場合は,殺人に納得できる動機がないとなると(サイコホラーなら兎も角)Whydunitは成立し得ない.私はミステリに限っては保守派なので,それではカタルシスが得られそうにないから,嫌だ.

●NHK
 傾向雑誌『週刊金曜日』の中で唯一面白い連載「高須芸能」で,高須基仁がNHKの「鎹思案」偏向路線を一刀両断している(2013年12月20日号).
 『あまちゃん』は「岩手県は宮城県に比べ、"津波"のダメージが少ないということで、三陸を舞台に」して,「複雑に入り組んだ東日本大震災のパラドックスを"じぇじぇじぇ"に集約して、単純化し、一刻ではあるが、東日本大震災の"身もフタもない状況"を忘却の彼方に追いやり、バラエティ化」したものだし,『八重の桜』は「福島原発から離れ、放射線量の点から安全地帯の扱い」である「会津若松を舞台に設定し、福島県の中で永く"国賊"扱いをうけた明治以降の"おんねん"を、新島襄の妻に光を当てることで晴らした」が「根柢にあるのは、明治天皇と会津藩の"和解"であり、安倍晋三首相の出自である"長州藩"との確執には片目をつぶり、まさに"半眼"的視点の歴史ドラマ化」を図ったもので、いずれも"まっ赤なウソ"のドラマである,という指弾.
 また,NHKが今年の紅白歌合戦にトーホク出身の司会者や"ドラマ役者"を大勢投入するのは「事実・真実から国民の目をそらせるかのような」キャスティングであり,目玉出演歌手に抜擢された泉谷しげるは「役者として生業を成功させ、強面でバラエティに出て、歌といえば「春夏秋冬」しかないというのに」「「フォーク時代の旗手」としてまっ赤なウソをつきとおし、いつの間にやら、反戦フォーク歌手っぽいフンイキさえ醸し出させている」「故・高田渡の足元にも及びつかず、単なるバラエティ強面暴言役者兼、歌うたいだ」と指摘する.
 やや穿ちすぎの感もあるが,ほぼ的を射ているのではないか.泉谷については全くそのとおりだと思うし,ドラマに関しては,クドカンも視聴者もNHKの狡知な罠に嵌まって結果的に踊らされていたんじゃないのかね?
 要は,慰撫と目眩ましによって愚民の怒・哀の高まりを抑え,喜・楽の境地に導こうという有難い政策の一環という訳である.分かりやすすぎて恥ずかしい.

△三池崇史『悪の教典』(2012.東宝)
 2時間ちょっとの長さに纏めたのはかなりの力業だと思う.原作よりも分かりやすくしすぎた所も端折りすぎた所もあるが,結果的に原作以上に無理の多い話になってしまった.
 主人公の度重なる凶行が用意周到なのか行き当たりばったりなのかよく分からない所が逆にリアルとも言えるのだが,あれだけ大胆なことを繰り返してもなかなかバレないのは相当(悪)運に恵まれているとしか言い様がないし,警察は何をやってるんだ,ここまで無能か?と,原作以上に戸惑わされた.
 ちなみに,最期の大量殺戮シーンの欠点は<残虐さ>にあるのではなく――残虐性を描いた映画を観て残虐性を非難するのは頓珍漢なことでしかない――殺し方と死に方の描き方がマンネリズムに陥っている所にある.もっと工夫が欲しかった.

△瀬々敬久『ヘヴンズストーリー』(2010 ムヴィオラ)
 予備知識がなかったので,途中までは刑法39条を扱った映画なのかなと思って観ていたが,全然違った.複数の突発的な殺人事件の被害者・加害者たちが絡み合い結び付き<救われる>迄を描いた「現代の『罪と罰』」ということだったらしい.
 最悪の体調で観たにもかかわらず4時間38分という上映時間を長いと感じなかったのは,飽きないように全体を9章に分けて作ってあるからだろう――まだ30分以上削れる気はしたが.
 悪い映画ではない.だが,ドキュメンタリー然として撮られた場面を含む概ねリアルな映像の中で,手描きアニメに差し替えられた鳥が羽ばたく場面や,死者たちが皆<天国>で平穏に暮らしているかのように描かれるラストには,違和感を覚えざるを得ない.
 個々の役者の演技はいいけれど,彼岸に救いを求めるかのような監督の思想?には疑問.信じる者は巣くわれる.

△トーク&「不屈の民」ライヴ!!!!! 出演 竹田賢一・大谷能生・大熊ワタル(吉祥寺Sound Cafe dzumi 12/15)
 3人による「不屈の民」の演奏15分+トーク1時間45分.
 演奏は可も無く不可も無し.
 トーク内容で興味深かったのは,大谷が本格的に演奏と音楽批評を始めた1990年代には,既にあらゆるジャンルの音楽が並列的に聴かれる<ポストモダン>的状況が現実と化している半面,音楽に関わる有用な資料やナヴィゲータが払底していたために,歴史を遡って勉強するのに苦労したという述懐.彼は「JAZZ」誌等のバックナンバーを古本屋で捜し,竹田の過去の文章を収集していたという.「『地表に蠢く音楽ども』は20年前に出して欲しかった」という恨み言には全く同感である.
 大谷や菊地成孔なら分かるが,竹田もまたバークリー・メソッドを面白いと発言していたのは,意外――でもないか.楽曲分析理論の一つとして――万能理論と勘違いしないで――使う分には慥かに有用かも知れない.ただし,記号論的還元はある意味気分をスッキリさせるとはいえ,それをもって面白い音楽が作れるかどうかは全然別の話である.
 ほかにも,竹田の若い頃の未公開ネタが幾つか聞けたのは興味深かったが,肝心の『地表…』の内容自体について殆ど語り合われかったのは残念.

●今月はほかに2つコンサートを観たが,想定内の演奏ばかりで面白くなかった.客には受けていたけど.
 今後は実演内容を再確認するために観に行くようなことはなるべく止めようと思う.

●汝の敵を愛せよ
 何故なら敵なくしては味方も味方の結束も生まれないから.
 敵にとっても事情は同じである.
 全ての者の敵になろうとする者は全ての者の敵となる.
 全ての者の味方になろうとする者も全ての者の敵となる.

2013.12.29 GESO

タイトルGESORTING 199 喪中葉書受取枚数過去最高記録
記事No101   [関連記事]
投稿日: 2013/12/08(Sun) 18:07:20
投稿者geso
○皆川博子『笑い姫』(文春文庫 2000.親本 朝日新聞社 1997)
 冒頭の,顔を施術されて笑い顔しかできなくなった子供の話が,山田風太郎のジュブナイル「笑う肉仮面」(1958年作)とほぼ同内容だったので一瞬吃驚したが,元ネタはヴィクトル・ユゴー「笑う男」(1869)であり,「推理小説の世界でも、このモチーフは形を変えて脈々と受け継がれており、江戸川乱歩の最高傑作といわれる長編『孤島の鬼』から、風太郎作品を経て、綾辻行人の中編集『フリークス』、皆川博子の伝奇小説『笑い姫』へと至る系譜を見ることができる。」と,日下三蔵が『山田風太郎ミステリー傑作選9 笑う肉仮面』の「解題」で書いていたのを忘れていたのだった.
 本作のような,山風や都筑が書き継いできた「読本」系を継承している小説は,今あるか? 木内一裕の近作かしら――未読だが.

△松井今朝子『道絶えずば、また』(集英社文庫 2012.親本 2009)
 『風姿三部作』完結編.<いい話>だが,ミステリ的な面白さは前2作に及ばず.

△近藤史恵『エデン』(新潮社 2010)
 『サクリファイス』の続編.ヒット作の続きを書くのはなかなか大変なんだなぁ...

○『日本文学全集 横光利一集』(集英社 1966)
 横光作品は「ナポレオンと田虫」(1926年作)しか読んでいなかったが,それを含む9編を収録した本アンソロジーは,ヴァラエティに富んでいて楽しめた.取り分けスパイアクション小説の一面も持つ「上海」(1935年作)は,<資本主義リアリズム小説>とでも呼びたくなる佳作――と言っても彼の立場は反共ではなく,<反プロレタリア文学>だと思う.
 登場人物が「世界同時革命」という幻想を巡って議論する場面は,1970年代まで繰り返されたアポリアの先例みたいで興味深いし,ちょくちょく出て来る格言めいた決め台詞――例「同じ人間が二人もいちゃ、辷るだけだよ」――も楽しい.
 横光が活躍した時代は日本にシュールレアリスム運動が輸入された時代と重なるはずだが,彼はその影響を受けていないようだ.リアリストだったから,マルキシズムに秋波を送りつつ幻想に溺れるプチブル的なシュールレアリスムに与することはできなかったのでは? もし影響を受けていたら,筒井康隆の「虚人たち」のような作品を書いていたかも知れない...などと妄想は膨らむ.

△諸星大二郎『蜘蛛の糸は必ず切れる』(講談社 2007)
 短編4作を収めた第2小説集.
 いつ来るとも知れない船を待ち続ける人々を描く不条理劇めいた「船を待つ」は,諸星漫画の味わいに最も近い.漫画で描くと地味すぎるから小説にしたのかも知れないが,小説にしてもやはり地味だった.
 「いないはずの彼女」は,複数の語り手による断章から成るが,「いないはずの彼女」――都市伝説的存在と説明されるが,幽霊と断じることはできない――自身の視点からも語られている点が面白い.
 「同窓会の夜」は,一人称の語り手の正体がキモとなるが,割と早い段階で判ってしまう所が残念.それでも最後まで引っ張る所は巧い.
 「蜘蛛の糸」のパロディである表題作は,原作よりも面白い.本作で描かれる<地獄>は,鬼たちによる徹底的にシステマティックな官僚社会であり,仏陀がただの気紛れで垂らした一本の蜘蛛の糸はその管理社会を無用な混乱に陥れる...「あの方も困ったことをしてくれる...」と嘯く,管理職としての閻魔大王.

○結城光考『衛星を使い、私に』(光文社文庫 2013)
 長編『プラ・バロック』の前日談に当たる短編集.結果的にほぼ連作となっている.相変わらず格好いい.

○同『奇跡の表現』『同II 雨の役割』『同III 龍<ドラゴン>』(電撃文庫 2005〜2006)
 結城のデビュー作にして第11回電撃小説大賞銀賞受賞作と,その続編2巻.
 猪の顔をしたサイボーグとして甦った元ヤクザの親分が,修道院で暮らす孤独な少女を護る <ライトノベル版レオン> (高橋京一郎).
 設定はいかにもラノベ臭いが,内容はごくシリアスな近未来ハードボイルドで,後のクロハシリーズとさほど掛け離れてはいないし,お約束の展開なのに読者を飽かすことなく引っ張る力量あり.
 これまたいかにもラノベなイラストに想像力を削がれるのと,続編が書かれる気配がなく未完結なのが残念.

○浅羽道明『右翼と左翼』(幻冬舎新書 2006)
 右翼と左翼の定義の歴史を辿るタメになるお勉強本.教科書的によく纏まっている.結論は「これからは右翼・左翼じゃなく,宗教と民族主義でしょ」という感じで,普通.
○日垣隆『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎新書 2006)
 職業的物書きになるための実用書.
 成る程と思わせるノウハウが羅列されているが,「何かでお金を取ろうと思ったら、目安として最低1万時間はやり続けなければならない」とか「1テーマにつき最低本棚1本分(が目安)」といった指示には,ハードルを高くして若い芽を摘んでおこうという――商売敵を減らそうという――魂胆が透けて見える.
○坂東眞砂子『「仔猫殺し」を語る』(双風舎 2009)
 東琢磨・小林照幸,佐藤優との討論を含む.
 生まれたばかりの仔猫を崖から投げ捨てたことを書いたエッセイで筆者は徹底的にバッシングされたが,ちゃんと原文を読んだうえで非難した人はどれだけいたのか? 自分を含めて反省.
○堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書 2006)
 1983年以降の日本資本主義が「若者」を食い物にする方向で進んできたことを,個人史に沿って立証した本.全くアカデミックではないが,概ね納得できる内容.
△大鶴義丹『昭和ギタン』(バジリコ 2005)
 自伝的エッセイ.あの二人の間の息子なのに(だから?)割と素直に育ったんだな.かなり正直に書いているように見えて,結構隠してることも多い感じ.人は遂に本当のことは書かない(by山本夏彦)のかも知れない.
△佐々木敦『「批評」とは何か? 批評家養成ギブス』(メディア総合研究所 2008)
 日垣本同様実用書といえるが,結局,対象は何であっても構成力とレトリックがあれば批評は書ける,と言っているように読める――私は何かオブセッションがない批評は,読んでも詰まらないと思うけど...
 「批評とは何か」と問いながら,批評と批判の違いについて何の論考もない点が物足りない.

 以上6人の著者は私の友人知人には割と敬遠されている面々だが,読んでみたら良くも悪くも楽しめた.
 矢張り食わず嫌いはいかんな...とはいっても,豊崎シャチョーみたいに敢えて石原慎太郎を読み直そうなどとは思わないが.

○池上永一『レキオス』(角川文庫 2006.親本 2000)
 オキナワン大風呂敷伝奇SF.ハードさと馬鹿っぽさが渾然一体となった疾走感がこの作者の魅力でしょう.

△第15回見世物学会総会(東京芸術大学美術学部第三講義室 11/10)
 見世物学会とは「1999年に学者と見世物興行の関係者の手によって設立された、産学協同の見世物研究団体である」(Wiki).一般客として初めて見物した.
 第1部は「種村季弘・小沢昭一・山口昌男 追悼放談会」で,パネラーは西村太吉(理事長.的屋 東京松坂屋当代),秋山祐徳太子(理事),真島直子(鉛筆画家),石塚純一(元札幌大学文化学部教授).出席予定だった田之倉稔(会長),高山宏(評議委員),坂田春夫(的屋 會津家六代目)らは欠席.種村の子息や山口の未亡人も客として来ており,故人の想い出を語った.
 種村は会員ではなかったらしいが,小沢は顧問,山口は理事に名を連ねていた.会発足の言い出しっぺは山口で,最後まで積極的に催しに出席していたが,種村や小沢はそれほど顔は出していなかったようだ.だが,この三人が――知名度と相俟って――学会の精神的支柱だったことは確からしく,今回は彼らを偲ぶ合同のお通夜のような催しだった.
 内容は,結局「面白い人たちだった」ということに尽きて,石塚が山口の学者としての業績――私はよく知らないが――を称揚していた以外は余りアカデミックな話題にならなかったところがむしろ清々しかったけれど,物足りなく感じた人もいたことだろう.
 第2部は「佐伯俊男・会田誠――変態絵画と見世物小屋の境界感覚――」と題したシンポジウムで,パネラーは福住治夫(元美術手帖編集長),佐藤一郎(東京芸術大学絵画科教授),坂入尚文(司会進行.見世物学会評議委員.東京松坂屋).
 坂入は,会田の担任教授だった佐藤に学生時代の会田のことを語らせ,福住には大盛況だった「会田誠展 天才でごめんなさい」及び同展に対する女性団体等からの抗議――うんざりさせられる野暮な正論――への感想を語らせ,自身は佐伯と会田の差異について僅かに語った.
 しかし,いずれも舌足らずな説明に留まり,掲げられたテーマを全く掘り下げ切れず,散漫なままにシンポジウムが終わったのは不満.
 そもそも会田や佐伯の絵に見世物を関連付けること自体,かなり強引である.佐伯の絵は,色使いや構図はポップなのに「見てはいけないもの」を描かずにはいられない作者の「業」が感じ取られ,それが「見世物」に通じないこともないが,会田作品における不具や奇形はファッショナブルなものにすぎず,あざとさしか感じ取れない.
 見世物学会という団体を見るのは初めてのことで,予備知識は殆ど無かったが,当日の観察結果+当日配布された「大見世物報」+Wiki等から得た情報から気になった点をランダムに挙げると:
・会長が病気で欠席していた
・西村理事長が会の「象徴的存在」として重用されていた
・秋山祐徳太子は会の潤滑油的存在に見えた
・鵜飼正樹(理事)を含む何人かの古参役員が近年相次いで脱退していた
・坂入尚文が会のヘゲモニーを握っている/握ろうとしているように見えた
・評議委員には田中優子・内藤正敏・中沢新一・松岡正剛の名も見えるが,実際にどの程度参加しているかは不明
 等々であるが,どこまでを「見世物」として研究対象に含めるかを巡って会員の意見が一致していないことは,当日配布された会報「大見世物報」の記事からも窺えた.
 種村らが死んだ後も,彼らの意志を継いで学会を継続・発展させていこう,と自らを鼓舞する雰囲気はあったが,会員間の意見の不一致が深刻な対立に至れば,会は分裂〜解体する可能性もある.だが,そうなったところで詮ないこと――どんな共同体にも必ず終わりが来るのだから.

○伊藤俊也『女囚さそり 第41雑居房』(1972 東映東京)
 一作目以上に幻想的で,もはや篠原とおるの原作とは掛け離れた世界だが,漫画より映画のほうが面白い――と横山リエも過日のトークショーで言っていた.園子温が積極的に影響を受けていることも明瞭に感じた.
 本作で脱獄〜バスジャックする女囚を演じる役者たちは皆曲者揃いだが,白石加代子の狂いぶりと梶芽衣子の冷徹さが強烈すぎて他の女優――伊佐山ひろ子や八並映子など――の影は薄い.最後の標的渡辺文雄を惨殺して取り敢えず復讐を終えたさそりには,後は逃避行しかない訳だが...
 腰を抜かし失禁して女囚たちの慰み者になる戸浦六宏や,男根串刺しで磔にされる小松方正など,笑える見せ場多し.

△同『女囚さそり けもの部屋』(1973 東映東京)
 伊藤俊也による「さそり」三部作の最終話.電車の中で刑事(成田三樹夫)に捕まり手錠をかけられたさそりは,刑事の腕を出刃包丁でぶった切り,それをぶら下げたまま逃走する...この冒頭は実に良いのだが,後の展開は三作中で最も整合性がなく,怪談じみていて,時に妙に感傷的で,まぁ怪作でしょう.
 長谷部安春による4作目(蛇足?)や,多岐川裕美,夏樹陽子,岡本夏生主演による各種リメイク版は未見なので,機会があれば観たいが,やはり梶芽衣子主演の最初の2作がベストであることは揺らぐまい...

○白石和彌『凶悪』(2013 日活)
 クソリアリズムで描かれた<社会派>犯罪映画.誰が書いていたのか忘れたが,「日本人男優は総じて演技が下手だが,ヤクザやチンピラなどの犯罪者役にだけはピッタリはまる」という趣旨の映画評論を読んで同感した記憶が,本作を観て甦った.
 「あまちゃん」で薬師丸ひろ子に「デニーロのつもり?」と揶揄されていたピエール瀧のヤクザ演技はデニーロには似てないが本物のヤバさを感じさせるし,善人っぽい役が嘘臭くて個人的に嫌いなリリー・フランキーもここでは快楽殺人者を生々しく演じている.山田孝之は正義の味方(って何だ?ということを考えさせる雑誌記者役)なのに怖い顔で,殺人事件の真相究明にのめり込むにつれて更に怖い顔になっていく.
 引き攣り笑いを催させる場面もあるが総じて重苦しく,後味は悪い.好き者同士でない限りデート映画には向かない.

○森崎東『喜劇・特出しヒモ天国』(1975 東映京都)
 幾組ものストリッパーとヒモたちの群像劇.山城新伍や川谷拓三もいいが,幾つかの場面で池玲子が珍しく可憐に撮られているのが貴重.冒頭と最後で聴ける殿山泰司(坊主役)のラップ説法と,芹明香(アル中のストリッパー役)が仲間の通夜の席で歌う「黒の舟唄」が聴けただけでも観る甲斐があった.撮影場所の1/3くらいは私が住んでいた頃の京都市内.

○同『生まれかわった為五郎』(1972 松竹)
 フーテンの寅+無責任男みたいなキャラクターのハナ肇(為五郎役),全編通して汗だくで熱演する財津一郎(成績の悪いセールスマン→偽大学教授役),即席の民謡酒場で緑魔子(元キャバレー嬢役)がアカペラで春歌を唄う場面,北林谷栄(魔子の祖母役)が訥々と語る漁村の伝承,それに倣って瀕死のハナを全裸の魔子が温めて蘇生させる場面,サウナでハナが三木のり平(ヤクザの親分役)を襲う場面で白黒テレビに映る学生と機動隊の衝突映像〜そのバックに流れる「統一戦線の歌」,最後の場面で緑魔子一家が演じるちんどん屋――殿山泰司(魔子の義父・元ヤクザ役)がちんどん,都家かつ江(魔子の母親役)が三味線,魔子が旗持ち――等々,印象に残る場面満載だが,公開当時は中途半端な出来,と不評だったらしい.確かに泣いていいやら笑っていいやら訳が分からない映画だが,そこがいいんでしょ?

○同『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985 キノシタ映画)
 上原由恵がそれまでに出会った人全員(!)の名前を夜通し喋る場面と,倍賞美津子が原田芳雄の仇討ちで梅宮辰夫を撃ち殺す場面は,いつまでも記憶に刻まれそう...

△小原宏裕『実録おんな鑑別所 性地獄』(1975 日活)
 梢ひとみ.ひろみ麻耶,芹明香の三枚看板の所為で却って焦点が暈けた感じ.「さそり」シリーズの影響が感じられるが,強烈さではあちらに敵わない.

2013.12.08 GESO

タイトルGESORTING 198 オイニー
記事No100   [関連記事]
投稿日: 2013/11/05(Tue) 20:48:57
投稿者geso
[たちまち古びる時事ネタ]
 「あまちゃん」は悪くなかったけれど,あまちゃん翼賛体制は凄く気持ち悪かったので,番組が終わってホッとしている.まぁどうせ半年も経てば皆さん忘れることでしょうが...
 そして「ごちそうさん」のベタな予定調和.こちらはこちらで人気あるそうで,NHKはホクホクしていることだろう.今放映中なのは絵に描いたような「嫁いびり編」だが,時代設定からいえば間もなく関東大震災が起こる筈.NHK朝ドラに2クール続けて震災が出て来るのは作為的なのか偶然なのか?
 そういえば,かつて「NHKに捧げる歌」でNHKを批判していた早川義夫が,今年初めNHK「眠いい音楽」に出演していたのには,時の流れを感じた.
 早川義夫に限らず,人が変節するのは当たり前だから,首尾一貫していないからといって非難するつもりはない.
 ただ,弁明も開き直りも後ろめたさも示さず何事も無かったかのように変節されちゃうのもなんだかなぁ...と,むかし天安門事件や反核騒ぎのときに偉そうなことを言っていた文化人やタレントたち――いとうせいこうなど――のその後の言動を見ても,思ってしまうのである.
 「森永」と聞くといまだに反射的に「砒素ミルク!」と返してしまう私にも無論問題はあるが,罪を憎んで人を憎まず,でいいんだろうか本当に?

 連城三紀彦の死去を知り落胆.実業之日本社,講談社,双葉社,集英社,光文社の各社は,せめて餞にお蔵入りの長編作品を出してほしいが,今のところその兆しはない.去年赤江瀑が死んだときも,何も無かったしなぁ...
 毎年好きな作家が死んでいくが,嫌いな作家はなかなか死なない.

[匂いの本を巡る雑感]
A 浅暮三文『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス 1999)○
 再読.犬の嗅覚を持ち,匂いを「見る」ことができる隻眼の男の視点で描かれるハードボイルド幻想小説.生理的に受け付けない読者もいるだろうが――こんなに面白いのに勿体ない――浅暮作品の中ではいまだにベスト.

B ライアル・ワトソン『匂いの記憶 知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官』(光文社 2000.原著 2000)
 読み物としては○だが,どうもこの人の書くことは胡散臭くて抵抗がある.

C パリティ編集委員会『色とにおいの科学』(丸善 2001)△
 為にはなるが専門向けで概して面白くない.だが,匂いを分析することと識別することとは違うという点に着目し,ニューラルネットワーク解析法の一つバックプロパゲーション(逆伝播)認識法を用いて(説明略),いわば人間の匂い識別能を増幅する形で,薄すぎて人間では識別不能な匂いを識別する「においセンサー」が開発された話は面白い.

D 大瀧丈二『嗅覚系の分子神経生物学 においの感覚世界』(フレグランスジャーナル社 2005)○
 これも専門向けだが,メインテーマにも増して「科学論」の説明に紙幅が割かれており,その書きっぷりが意外に熱いところが面白い.

E エイヴリー・ギルバート『匂いの人類学 鼻は知っている』(ランダムハウス講談社 2009)○
 著者は心理学者/認知科学者/匂い関係の企業家で博覧強記の人.洒脱な科学読み物としてワトソンより信憑性も高く,今回読んだうちでは一番面白かった.
 独逸人と日本人の匂いの好みの著しい違い――例えば独逸人女性の40%近くがヴィックスヴェポラップの匂いを食用に適した匂いと感じている――だとか,本書が採り上げた死臭や腐臭絡みの実話の幾つかが後に映画化されていること――例えば『127時間』や『THE ICEMAN 氷の処刑人』――だとか,プルースト「失われた時を求めて」における「ふやけたマドレーヌ」の効果が過大評価されていることへの反証だとか,興味深い話題が盛り沢山.
 味覚の話もかなり出てくるが,「料理」は必ずしも必要のない文化的習慣などではなくて,人間が生存するうえで生物学的に必要な行為であることの論証が面白かった.

F 新村芳人『興奮する匂い食欲をそそる匂い』(技術評論社 2012)○
 今回読んだ中では記述の科学性と面白さのバランスではベスト.精子にも嗅覚受容体が機能している――いわば卵子を「嗅ぎ当てる」――とか,辛味や渋味は味覚ではなく痛覚であるとか,アポクリン腺から分泌されるヒトフェロモンは雄ブタの唾液に含まれる性フェロモン(アンドロステノン)と同じもので,何故か利き腕の脇の下からより多く分泌されるとか.
 E本とかぶる話題――独逸人と日本人の匂いの快不快に関する著しい相違など――も出て来て,読み較べるのも一興.

 匂いの学界では,リンダ・バックとリチャード・アクセルによる1991年の嗅覚受容体の発見――2004年にノーベル生理学・医学賞を受賞――が画期をなしたというのが,匂い学者たちのコンセンサスであるらしい(C〜F本).

 ヤコブソン器官――現在では一般に「鋤鼻器」と呼ばれる――は,大部分の哺乳類に加えて殆どの両生類と爬虫類も持っている――魚類や鳥類は持っていない――「フェロモン用の鼻」(F本)のことで,哺乳類の場合は鼻の穴の下側に左右一対ある.
 ワトソンはヒトにもこの器官があり,フェロモンを感知し,更には「第六感」を作動させる重要な器官であると大風呂敷を拡げているが(B本),ヒトではこの器官は退化して痕跡の窪みを残すのみで――正確に言えば,発生の初期段階には鋤鼻器に繋がる神経が一旦形成されるが,発生後36週目には消失し,誕生時には痕跡しか残らない――機能していない,というのが定説らしい(D本,F本).
 しかし,養老孟司はヤコブソン器官とそれに繋がる神経を「ヒトの胎児および新生児、さらには成人で解剖して」「きちんと追跡することができた」という(B本解説).嘘を書くとも思えないから,持つ人と持たない人がいるということなのだろうか?

 ヒトにもフェロモンがあることは,マクリントク効果――共同生活する女性の生理周期がシンクロしてくる現象――が脇の下から分泌されるフェロモンの作用によること等から実証されているが,どうやら鼻で感知している可能性が高いらしい.

 ワイン・アロマホイールやビア・フレーバーホイールが実用化されているのなら,腋臭スメロホイールや○○香アロマホイールを作ることも可能なのではないか...

 ちなみに「DNAは物質名ですが、遺伝子とは同義語ではない」(D本)し,「「遺伝子」とはタンパク質の設計図のことで」「概念であり、DNAは分子の名前である」(F本)ならば,「遺伝子はDNAと呼ばれる物質である」と断じる池田清彦(『新しい生物学の教科書』(新潮文庫 2004.親本 2001))は間違ってるというか,説明を端折りすぎてるのではないか.これでは本人が批判する教科書とあまり変わりがないと私は思う.

[匂いの本ではないが匂う本]
○深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫 1987.親本 1958)
 「風流夢譚」よりもこの手の作品のほうが面白いと思う.

△山本夏彦『無想庵物語』(文藝春秋 1989)
 筆者と親子二代にわたって友人だった「失敗した芸術家」武林無想庵の評伝.ただし「評伝」という言葉は版元が使っているだけで,著者は「物語」と称している.読売文学賞受賞とは信じがたい/名編集長・名コラムニストのものとも思えない纏まりのない作品なので――時系列も話題もあちこちに飛ぶし同じ挿話が繰り返し出てくる――そのように称したのか? あるいは著者自ら記すように自伝的要素が強く「主観的」にならざるを得なかったから,「評伝」ではなく「物語」としたのかも知れない.まぁ亡友に対する哀惜の念は慥かに伝わってくるけれど.
 評伝であれば大概巻末に置かれるべき略年譜もなく,代わりに,人名と事項を一緒くたにした著者自身による変わった「索引」が付されている.

◎皆川博子『恋紅』(新潮文庫 1988.親本 1986)
 卓越した技巧を気取らせない/そんなことはどうでもいいと感じさせる作者/演者のみが名人と呼ばれるべきだ...という点で,皆川博子は名人の一人である.
 本作は一見地味なビルドゥングス時代小説だが,どこにも文句の付けどころがない.直木賞などどうでもいいが,本作が受賞したのも当然だと思う.

○同『散りしきる花 恋紅 第二部』(新潮文庫 1990)
 前作を未読の読者にも分かるように折々粗筋めいた説明が入る点は,親切だがくどい――前作を読まずに本作を読む読者など,まず居ないだろうから.
 前作で主人公に感情移入した読者は,本作での過酷な運命に居たたまれなくなるし,その後の成行きが気になるのに第三部以降が書かれていないことに苛立ちもする... それでも秀作であることは確か.

△海堂尊『ナニワ・モンスター』(新潮社 2011)
 医療改革を基盤にした国家変革を唱えるプロバガンダ小説.主な舞台は浪速府――可能世界における大阪府――だが,桜宮サーガを読んでいなければ分からないし面白くもないという点で,対象読者はシリーズのファンに限定される.作者はそれを承知のうえで書いていて,良くも悪くも一貫して旗幟鮮明.

△柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』(角川文庫 2009.親本 2005)
 倫敦留学中に心を病み,自身をホームズと思い込んだ夏目漱石が,事件を「解決しない」ユーモアミステリ.記述者は当然ワトスンである.ホームズもののパスティーシュとしては上出来のほうだと思うが,頻出する文明批評の的確さと較べてメインの殺人事件やトリックがショボいのが残念.

○ダニー・ボイル『トランス』(2013 英)
 名画泥棒と催眠療法という組合せの妙.派手な事件や犯罪が相次ぐのに警察が殆ど出張ってこないのは不自然だが,まぁ面白いから許す.さいみんじゅつのめいしゅはひとをどうにでもあやつることができてこわいなあ,でもそれだとどんなむりめのおはなしでもありになってしまうからずるい,とおもいました.

○村山新治『おんな番外地 鎖の牝犬』(1965 東映東京)
 扇情的なタイトルに反して非常に「教育的」な映画.音楽は冨田勲だが主題歌はド演歌.主演は当時21歳の緑魔子.興味深い点が多い拾いもの.

×小杉勇『金語楼の俺は殺し屋だ』(1960 日活)
 あまり面白くない喜劇.当時の柳家金語楼は国民的人気者だったが,百面相以外にどこが面白かったのか,今となっては謎である.ヤクザの女親分役の宮城千賀子が格好いい.

△春原政久『この髭百万ドル』(1960 日活)
 喜劇.益田喜頓は金語楼よりも芸があって○.

○小杉勇『刑事物語 ジャズは狂っちゃいねえ』(1961 日活)
 シリアスな犯罪映画.喜頓も『百万ドル』と打って変わってシリアスな刑事役.白木秀雄クインテットの「クールな」演奏シーンがフィーチュアされる貴重な作品.

○舛田利雄『大幹部 殴り込み』(1969 日活)
 青春/ヤクザ映画の佳作.経済ヤクザ――表向きは不動産屋.インテリヤクザは未だ登場しない――に転身した親分・大幹部を含む組員(多数派)と,彼らに使い捨てられた守旧派の任侠ヤクザ(少数派)の内紛が描かれる.最も下っ端の「愚連隊」(貧しいチンピラたち)が守旧派で,「造反有理」の立て看を掲げたりゲリラ戦術で多数派に攻撃を仕掛けるところに,時代背景が感じられる.この頃の渡哲也はやけに格好いい.青木義朗と藤竜也の死に様もイカす.
 私が観に行った日(11/2)はヒロイン役の横山リエのトークショーがあったので,定員48人の阿佐谷ラピュタが80人近い大入りだった.65歳になった横山リエは今もなお魅惑的.

○伊藤俊也『女囚701号 さそり』(1972 東映東京)
 映画館で観るのは何十年ぶりか...やはり面白いものは面白い.
 主人公のさそり(松島ナミ)はやられたらやり返す女だが,倍返しどころではなく,相手を半殺しか全殺しにするまでやめない.普通に考えるとやり過ぎで,一種のサイコパスとも思えるから,リアルに描けば観客の共感は得られない筈だが,暴力とエロスの基準値をかなり高めに取った非現実的な物語世界――主な舞台は閉ざされた刑務所――を設定し,演劇的描写やホラー映画的描写を援用することによって,監督はこの問題を解決している.暴力的ファンタジーの世界だから,主人公はいくら虐待されても陵辱されても汚れることはなく美しい――常に顔はツルツル,髪の毛はツヤツヤである.
 ...てなことは見終わった後で思ったことで,映画は分析しながら観てはつまらない.観ている間はひたすら享受するのが正解である.逆に言えば,観ている間に分析したくなるような映画は退屈,ということだ.
 極端に類型化された役者たちのキャラ――梶芽衣子の強烈な復讐心とタランティーノも悩殺された目力,横山リエの悪辣さと剃り落とされた眉,司葉子の男前な姐御っぷり等々――だけでもお腹一杯になれます.

2013.11.05 GESO