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記事No : 66
タイトル GESORTING 161  小人たちがこわいのでずっとお城で暮らしてる
投稿日: 2008/12/20(Sat) 13:52:34
投稿者GESO

[いわゆる「異色作家」の走り]
 乱雑極まる部屋の乱脈極まる本棚をいじくってたら,昔の「少年マガジン」数冊から切り取った「異色作家サキ短編傑作」シリーズの束が出て来た.
 これは複数の漫画家/劇画家にサキ原作の短編を競作させるという意欲的な試みである.今なら青年誌がやるところだろうが,当時は漫画雑誌のセグメント化が進んでおらず,少年誌の中に子供向け作品と大人向け作品が共存していたのだな.時代の空気の影響もあって,当時のマガジンやサンデーは随分トンガった企画を連発していたと記憶する.
 俺は雑誌の切り抜きは殆どしないので,当時よほど気に入っていたものと思われる.漫画と原作のどちらを先に読んだのかは覚えていないが...
 で,このシリーズは未だに単行本化されていない.一巻に纏めるには作品数が足りなかったからだろう――部数が見込めないということもあったかも知れない――が,惜しいことである.もう何作か書き下ろしを加えて出せば良かったのに...
 備忘のため作者名・作品名・原題を記録しておく.ちゃんとした蒐集家でも書誌学者でもないから,発行月日や掲載号の記録をしてなくて,1970年の発行だということしか判らない.今にして思えば残念.
1 真崎・守「運命」(「運命」より)
2 松本零士「妄想鬼」(「スレドニ・ヴァシュタール」より)
3 辰巳ヨシヒロ「人猫」(「トバーモリー」より)
4 上村一夫「灰色の森」(「狼少年」より)
5 川本コオ「古井戸に落ちた悪魔ちゃん」(「物置小屋」より)
6 池内誠一「おせっかい」(「おせっかい」より)
7 石原春彦「ひとでなし」(「贖罪」より)
 以上7編.辰巳ヨシヒロや池内誠一は意外な人選という気もするが,どの作品も作者独自のスタイルで咀嚼・換骨奪胎されており,甲乙付けがたい.松本版と上村版以外は全て舞台が日本に置き換えられていて,例えば池内版の登場人物は木こりとマタギだし,石原版の舞台は恐らく釜ヶ崎である.中では,当時絶好調だった(と思う)真崎・守版が一番好み.
 「開いた窓」が原作に選ばれなかったのは,小説としては傑作だけど絵にすると地味そうだったからかも.

[「異色作家」のご歴々]
○ロアルド・ダール『あなたに似た人』(ハヤカワ・ミステリ文庫 2001.原著 1948)
 人間の本質的な残酷さを黒いユーモアに包んでノホホンと描くダールの逸品15編を田村隆一の翻訳で読むという,ささやかな贅沢.「おとなしい兇器」という意訳した邦題なんて,原題("Lamb to the Slaughter")より良いかも.都筑道夫や植草甚一を引き合いに出した,訳者自身による後書きも楽しい.
 俺が買ったのは37刷で,初版は1976年だから,堂々のロングセラー.もはや古典と言って良いでしょう.

○シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫 2007.原著 1962)
 タイトルだけでそそられて前から読みたかったのを漸く図書館から借りて読了した直後,ブクォーフで発見,結局買ってしまう.「お城」に引き籠もって暮らす,一家毒殺事件で生き残った裕福な姉妹とその叔父.彼らを妬み憎悪する貧しい村人たち.対立関係の緊張が高まり遂に破局を迎え...てな感じの,邪悪な少女小説にして心理ホラー.
 腰巻きの惹句は「すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物」.うまいこと言うねー,桜庭一樹さんに座布団一枚と直木賞をやっとくれ.

○ジョン・ブラックバーン『小人たちがこわいので』(創元推理文庫 1974.初版1973)
 これもタイトルにそそられてた小説.長らく絶版で,アマゾンでも1,500円〜と高かったので,図書館で済ませる.
 北ウェールズを舞台に,環境問題・北アイルランド問題・先住民族の呪い・ナチスの生物兵器等々一見ばらけたファクターを巧みに縒り合わせたオカルト・ミステリ.下手な作家ならもっと長大な小説にするところを,手際よくコンパクトに纏めてる.サスペンスとしても出来が良く,他の作品も読みたくなったが,訳文がちょっと古臭いのが玉に瑕.
 読了後,デビュー作『刈りたての干草の香り』の本邦初訳が最近出たことを知る.これも図書館から借りよっと.
 でも,この人は「異色作家」じゃないな.英本国ではかつて結構売れてた大衆作家らしい.

○シャーリイ・ジャクスン『くじ』(早川書房 2006.原著 1949)
 これもまた前から読みたかった早川版「異色作家短篇集」の一冊(初版 1964).名作の誉れ高い表題作は歴然と怖い作品だが,他は一見「何事も起こらない」お話が多い.それでいて読んで肌が粟立つのは,どの作品にも共通して,普通の人々が無自覚に抱いている隠微な悪意――それはときには善意と誤認されさえする――が,やはり隠微に描かれているからだと思う.フラナリー・オコナーに通じるものも感じたが,あちらに較べて表現はやはり隠微.インビインビとくどいけど淫靡じゃなくて隠微だよ.
 作者は本作や『お城』のような情け容赦ない小説を書く一方で,コミカルな育児書(邦訳あり)も著したというが,そうやって精神の均衡を保っていたのだろう.40代で早逝したのは残念.

[現代作家の方々]
△蒼井上鷹『最初に探偵が死んだ』(ジョイ・ノベルス 2008)
 最新長編.幽霊たちが探偵役,という設定に今更驚きはしないけど,本作のプロットはいくらなんでもやりすぎというか,奇矯すぎると思う.西澤保彦『ファンタズム』(講談社ノベルス 2002)を読んで唖然としたときに似た気分.この路線では早晩行き詰まるだろうから,今後の予想としては,作者はもう少し正統派的な,今まで手掛けていなかったシリーズものの本格推理路線に転ずるのではないかしら.はてさて.

○町山智浩『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文藝春秋 2008)
 表題は,調査に基づく事実.馬鹿で間抜けな米国白人め,と嗤ってばかりもいられなくなる米国社会の悲惨な現状報告.政策的にずっと米国の後を追ってきた日本の,これが明日の姿かも知れないと思うと暗澹になる.筆者はオバマ大統領に一縷の希望を託してるみたいだけど,期待できるもんかね?

○キアラン・カーソン『琥珀捕り』(東京創元社 2004.原著 1999)
 アルファベット順の標題が付された26章から成る作品.琥珀自体については実はさほど徹底追究されてはおらず琥珀を鍵言葉とした主とした欧州――特に阿蘭陀・愛蘭・希臘・羅馬――古今の膨大な書物・史実・神話・伝承・法螺話等々からの引用の織物.虚実皮膜の寄木細工.自由連想と緻密な構成との絶妙な混淆物.澁澤龍彦数人分の博覧-狂気の書.ロジェ・カイヨワ『蛸――想像の世界を支配する論理をさぐる』(中央公論社 1975.原著 1973)を想起させもする想像力の体操.これは詩か将亦エッセイか?――矢張り小説だろう.例えば畳畳列挙される執拗精緻な事物描写に読者がウンザリする直前で視線を転じることにより飽きさせぬ技は反小説ではなく知的娯楽小説のそれだ.実在する絵画や図像の細密描写が多く実際に図版を見たくなるのだが若しそれらの図版が親切に添付されていたならば読者の想像する楽しみを奪うことになっていたであろうから矢張り付けなくて正解なのだ.博物誌なら兎も角これは言葉を楽しむ小説なのだから.

○武田邦彦『日本人はなぜ環境問題にだまされるのか』(PHP新書 2008)
 二酸化炭素が増えたから地球が温暖化したんじゃなくて,実は地球が温暖化したから二酸化炭素が増えた――環境保護派の主張と原因と結果が真逆じゃないの... 環境問題は科学の問題じゃなくて政治問題であることを平明に解説した一冊.二酸化炭素悪玉説の,例えば山田玲司あたりには作者と討論して欲しいものだが,『絶望に効くクスリ』――すげぇ無定見な対談漫画シリーズ――も終わっちゃったことだし,機会はないか.

○小田ひで次『続 ミヨリの森の四季』(秋田書店 2008)
 『ミヨリの森』シリーズ3巻/完結編.1巻目のアニメ版――大いに不満な出来――が話題になったお陰か,旧作『拡散』と『クーの世界』の新装版もほぼ同時発売.ファンタジーとしては宮崎駿より遙かに好ましい.宮崎の1/100でもいいから売れて欲しい.

△「月刊プレイボーイ 日本版・終刊号」(集英社 2008)
 買ったことのない雑誌でも,終刊号だけはつい買ってしまう.「月刊平凡」のときも「ヤングサンデー」のときもそうだった.過去のベスト記事が特集されてたりしてて,お得感があるからかな(ヤンサンは違ったけど).存命中に買っといてあげたら少しは延命したかもしれないのに,スマンこってす.

?とりのなん子『とりぱん 6』(ワイドKCモーニング 2008)
?武富健治『鈴木先生 6』(双葉社 2008)
 シリーズものなので買ってしまう.積ん読中.

[本はリンクする]
 『琥珀捕り』と並行して読んだ福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書 2008)の中には,琥珀の中から2億年前のアリマキが発見された話題が出てきたりするのだが,それ以上に興味深い偶然のリンクは,同一人物に関する言及である.
 その人物とは,17世紀後半の阿蘭陀デルフトに暮らしたフェルメールと同郷・同時代のアマチュア顕微鏡研究家 アントニー・ファン・レーウェンフック.
 優れた視力と <見る人> としての知的好奇心に溢れたレーウェンフックは,自作の単レンズ(!)の顕微鏡で「ブヨの目玉、象の歯の切断面、子羊の毛、赤血球、蜘蛛の糸状突起、(後略)」等々,身辺のあらゆるもの――「琥珀」も当然その一つ――を観察し続けた.
 田舎の沼から採取した濁水を観察し「ちっぽけな一滴の水の中に何千もの生き物が生息し、おのおの勝手気ままに動いていながら互いに共生してもいるこの光景は、かつて目にしたことがないくらい愉快な眺めだった。これは、ひとつの理想共和国の幻像であった」と記す。清潔への強迫観念に毒された現代人なら恐らく「気持ち悪い」と忌避するだろう光景を「愉快な眺め」と評しているのが愉快.
 以上は『琥珀捕り』の記述を受けて書いたものだが,『できそこない』に於けるレーウェンフック関連の記述はより詳細であり,阿蘭陀の博物館で実物を見て来たという自家製顕微鏡とその構造についてまで,写真入りで説明されている.
 福岡によれば,レーウェンフックは「精子を最初に「見た」男」であり,特筆すべきは,彼が「見えるべくして見えるものを、見えるように」したのではなく,「見えなかったものを初めて見えるようにした」ことにある.「つまり、私たちは知っているものしか見ることができない」のである.
 『できそこないの男たち』は,生命のデフォルト仕様は「女性」であり,「男性」はそのカスタマイズされたいわば「できそこない」であるという,現在ではほぼ定説として知られるようになった生物観を平易に論じた本で,一般向け生物学解説書と言ってもいいだろう.
 だが,そのテーマ以上に筆者が力を入れていることは,前作『生物と無生物のあいだ』と同様,歴史の蔭に埋もれていった「二等賞以下の」科学者たちの営為を評伝ふうに記述することだ.無味乾燥な教科書的科学史に,切り捨てられた物語と詩情を復権させることと,それによって一般読者の知的好奇心を刺激する狙いがあるのだろう.
 それはそれとして評価するけれど,個人的には「エピローグ」の中で提示される仮説が最も興味深かった.
 筆者は,身体の何処で検出されているのか未だに不明の「加速度を感じる感覚」を「加速覚」と仮称し,それが時間の流れを知る唯一の行為=時間を追い越す「快感」として「射精感」と結び付いている,という仮説を述べる.
 すなわち,自然は「加速覚を生物に与えた。進化とは、言葉のほんとうの意味において、生存の連鎖ということである。生殖行為と快感が結びついたのは進化の必然である。そして、きわめてありていにいえば、できそこないの男たちの唯一の生の報償として、射精感が加速覚と結合することが選ばれたのである」.
 射精の快感を,ジェットコースターやスピードレース等におけるの加速の快感――カイヨワ流に言えば眩暈 ilynx に属する快感――と比定する見方は,男性には経験的に納得できることだと思うから,この仮説は別に意外なものではないのだが,それをおずおずと自著の末尾で示すに留めたのは,立証の見込みがない仮説を主張することにはやはり科学者として抵抗を感じるからなのではないか.そこのところの心性が面白かった――面白がるところじゃないかもですが.
 ただ,男性の快感は快感として理解できるとしても,それでは女性の「加速覚」は,どんな快感と具体的に結び付いているのか? また,XXXとかXXYとかXYYといった遺伝子を持つ人たちの場合は? そうした考察もなければ,この仮説は片手落ちという気がする.それぞれの性を持つ科学者たちでない限り担えない仕事かも知れないが.

[最近観た最近の映画]
△ベン・スティラー『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(2008 米)
 ハリウッド映画界を批判したハリウッド映画という枠組みの中に,ヴェトナム戦争の映画を撮ってたのに実際の戦争――正確に言えばタイの麻薬密造組織の村との戦闘――に巻き込まれた役者たち,という昔の筒井康隆作品みたいな設定を組み込んだ,ブラックで下品で血腥いメタ・コメディー.やや中弛みはあるが,結構気に入った.でも,こういうアクの強いお笑いは日本では余り受けないと思う.
 監督・製作・脚本・原案を全部こなすベン・スティラーは何故か同業者の人望が厚いそうで,多数のハリウッド・スターがカメオ出演している.割と出ずっぱりなのは悪辣な映画プロデューサー役のトム・クルーズで,頭をツルツルにして馬鹿演技や馬鹿踊りしてて,実に楽しそう.

○ロジャー・ドナルドソン『バンク・ジョブ』(2008 英)
 金庫破りものというだけでもワクワクするのに,それは冒頭1/3に過ぎず,その後追いつ追われつのサスペンスが展開して盛り上がる.時代設定となった1971年の雰囲気はリアルに再現されているし,主演のジェイソン・ステイサムは相変わらず格好いいうすらハゲぶり.しかも驚きの実話ベース作品.文句なしに面白い.

△本田隆一『GSワンダーランド』(2008 日)
 全然期待しないで観に行ったのにちゃんとした作品だったのは嬉しい驚き.出だしのライヴシーンがライオンズ「すてきなエルザ」のカバーってところはツカミオーケーだったし,ストーリー的には音楽青春映画の正道をおちゃらけじゃなく真面目に踏まえていて好感が持てた.楽器も衣装も小物も時代設定(1968〜1970)的に違和感なかったし――楽器類は,本物を使ってるだけに,当時は新品だった筈なのに既に古びているという,やむを得ぬ違和感を生んでいたけれど――細部はちゃんとマニアックだったし.
 しかし,当時実在したバンドがレコードジャケットとBGMでしか登場しなかったり,GSを中心にした音楽シーン以外に当時の世相の描写が殆どなかったりするので,拡がりが乏しく,閉塞感を感じさせる.予算的に厳しかったということもあるのかも知れないが.
 どうせGS映画を作るなら,ネオGSブームの時分――それとて既に20年以上前だ――にファントムギフト主演で作って欲しかったけれど,もし当時作ってたら本作よりショボいものになったであろうことは想像に難くないので,まぁ仕方ないのかなー...

[最近観たちょっと前の映画]
△トッド・ソロンズ『おわらない物語〜アビバの場合』(2004 米)
 DVDで観た.人種も年齢も体型も異なる8人の女優が代わる代わる同一人物=少女アビバを演じるという「実験的」作品.「世俗的なリベラル派とキリスト教保守派、中絶合法化の賛成派と反対派のふたつの世界」(監督 談)が描かれる.真面目なテーマを猥褻に描く監督の手法は一貫しているが,今回はやや生真面目すぎる印象.
 このインディーズ映画の雄も,2009年公開予定の次作=最新作でハリウッドデビューするらしいが,毒が薄まらないことを希望する.

 東京国立近代美術館フィルムセンター「蔵原惟繕監督特集」のうち2本鑑賞.
○『黒い太陽』(1964 日)
 2年振りに再観.今回気になったのは,アビー・リンカーンがマックス・ローチのカルテットをバックに――終わり近くで準主演俳優チコ・ローランドも――歌う主題歌.「6ビット(=75セント)分の切符をおくれ/どっかへ行く汽車の/この街を離れて/どこでもいいから他の街に行きたいんだ」といった歌詞(うろ覚え).この詩はラングストン・ヒューズの「75セントのブルース Six-bit Blues」だけど,作曲は誰なのかな.
 で,この曲が浅川マキ「夜が明けたら」の元ネタなのでは,という気がしたのである.少なくともフシュウ,じゃない,踏襲はしてるな,と.何を今更なんですけど.
 因みに,かつて武蔵野たんぽぽ団が演奏した「ミッドナイトスペシャル」の歌詞は「75セントのブルース」に酷似しているが,恐らくレッドベリーの同名曲の旋律にヒューズの詩を翻案した歌詞を載せたもので――「75セント」が「500円」になってたりする――「75セント」原詩とは異なる.

 もう1本の蔵原監督作品.
△『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(1962 日)
 フェリーニ『道』を下敷きにした作品なのか.だとしたら,知恵遅れの娘みふね(芦川いずみ)が歌う「硝子のジョニー」は「ジェルソミーナのテーマ」に相当するわけ? なんだかなー...
 歌謡映画のフォーマットに縛られたご都合主義的展開に無理がある半面,娯楽映画にしては暗すぎて救いもなく,全体として散漫な出来に終わっていると思うが,芦川はじめ,宍戸錠,南田洋子ら俳優陣の演技には胸に迫るものがあり,捨てがたい.アイ・ジョージも悪くなかったし.

(追記)
 蔵原監督の2本のジャズ・ビートニク映画『黒い太陽』と『狂熱の季節』(1960)を併せた2枚組サウンドトラックCDが去年出ていたことを知り,気になったついでに購入した.
 音楽はいずれも黛敏郎となっているが,どの程度関与したのか怪しいものである.あ,ひょっとしたら「75セントのブルース」の作曲が黛ということはあり得るな.だが,録音データは殆ど不明で,曲名の記載もないから――「シーンA」とか「B」とかいうトラック表示のみ――よく分からない.少なくとも『黒い太陽』はマックス・ローチ・グループによるアド・ホックな演奏のように聞こえるが... 『狂乱の季節』の方は,誰が演奏しているのかさえ不明.

△亀井文夫『のり平 アメリカ紀行』他2本
 日本航空の企業PR映画.ガイド役の三木のり平以外に特に見るところはない.
 日航と言えば,1985年の御巣鷹山墜落事故を即座に思い出すが,これが謀略事件だったという説を雑誌で読んだ.
 「別冊ナックルズ VOL.7 ニッポン"タブー"事件簿」(ミリオン出版 2008)というムックで,この「日航123便墜落事故」をはじめ,「三億円事件」「グリコ・森永事件」「赤報隊事件」「世田谷一家4人殺害事件」「尾崎豊怪死事件」等々の未解決ないし一応解決はしているが真相が曖昧な事件を取材し,真相解明を試みている.一見際物っぽい本だが,馬鹿にしたものではない.「外交」「政治家」「宗教」のいずれかが絡む事件の場合は,「犯人」が分かっていても「未解決事件」になってしまうケースが多々あることが,様々な傍証と共に示される.一言でいって「怖いです」.

 他に
○ロイ・アンダーソン『散歩する惑星』(2000 瑞典・仏)
○フィリップ・ミュイユ『パピヨンの贈り物』(2002 仏)
 等も観たが,長くなりすぎたので略.
 今年出た本では,牧薩次『完全恋愛』や貴志祐介『新世界より 上下巻』や水村美苗『日本語が亡びるとき』も読みたいのだが,どこの図書館でも予約者が数十人.買って読むしかないのかなぁ...

2008.12.20 GESO


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