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記事No : 106
タイトル GESORTING 202 Time is off my side.
投稿日: 2014/05/03(Sat) 11:12:39
投稿者geso < >

 「完成したらアップしよう」なんて思っていたらいつまでもアップできないことがわかったので,メモ書きでもアップすることにした.推敲なんかやってる時間はない...

本.
△海堂尊『ゴーゴーAi』(講談社 2011)
 副題「アカデミズム闘争4000日」.小説を地で行く...というか,小説の元ネタになった学会や官僚との闘いの記録.出版は震災前だが,震災の影響はあったのか/未だ書かれていないのかは,未確認.

○小池昌代『弦と響』(光文社文庫 2012.親本 2011)
 弦楽四重奏団のラストコンサートの模様をメンバーと関係者の独白体で描いた作品.小説的手法は陳腐だが音楽は慥かに聞こえてくる.

△後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫 2011.親本 2010)
 元ヤクザの回想録.印税を全額震災被災者に寄付するのはエライとしても,本当にヤバイことは隠して書いてる感じ.

○諸星大二郎『妖怪ハンター 稗田の生徒たち(1) 夢見村にて』(集英社ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ 2014)
 傑作.

○森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫 1984)
 何にせよ基盤――この人の場合は「文豪のお嬢様」――が強固な人は強いというか,無敵.意固地だけど可愛い茉莉さん.

○吉行和子『浮かれ上手のはなし下手』(文春文庫 2013.親本 2010)
 無境界の女優.母親以外の身内は皆さん亡くなったのね...

○品川正治『激突の時代 「人間の眼」vs.「国家の眼」』(新日本出版社 2014)
 著者は昨年死去.こういうしっかりした<大人>が居なくなるのは惜しい.軍産複合体の中心 AIG(American International Group)の話が不気味.

○石井光太『絶対貧困』(光文社 2009)
 「貧困学」を提唱する著者が世界の貧困地帯を巡って最下層の人々と暮らしたルポ.富める者が進んで清貧を選ばない限りは貧困問題は解決しない...でもまぁ無理だろな.

△川崎草志『弔い花 長い腕III』(角川文庫 2014)
 三部作の完結編.悪くないが,回を追うにつれてどうしても勢いは落ちてくる.


○連城三紀彦『小さな異邦人』(文藝春秋 2014)
 ほかの単行本未収録作品は版元がバラバラで纏められる可能性は低いから,おそらく最後の短編集になってしまうだろう.後は長編が何とか出ないものか... 表題作は誘拐ものの傑作.「無人駅」は『ロシアン・ルーレット』あたりの山田正紀ふう.やっぱり巧い「ミステリ作家」なのだった.

△犬飼六岐『蛻』(講談社 2010)
 尾張藩江戸下屋敷内に実在した「御町屋」と呼ばれる人工の宿場町では,掻き集められた町人たちが架空の生活を営んでいた.そこで起こるはずのない/起こってはならない連続殺人事件が起こり...という設定は間違いなく面白いけれど,ミステリとしては物足りない出来.

○東村アキコ『かくかくしかじか 1』『同 2』(集英社 2012,2013)
 美大出身でなくても楽しめる(苦しめる?)自伝漫画.作者の恩師 日高先生のキャラが,全く共感できないのに圧倒的な魅力.

○ベン・ワトソン『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』(以下「ワトソン本」.工作舎 2014.原著 2010)
・ザッパ研究者でもある著者は,アドルノ,フランクフルト学派,状況主義の影響を受けているというだけあって,非常に<偏向>した書き方になっているが,そこはむしろ楽しむべき.そもそも中立的な立場などあり得ないし.
・ベイリーや周辺のインプロヴァイザーの出自/出身階級の問題(これが存外に大きい)/「めかくしジュークボックス」で全然当てられず癇癪を起こしそうになるベイリー/偏屈なユーモリストとしてのベイリー/多数の関係者インタヴュー(引用を含む)から知る様々な即興観/裏話満載なところ等々,すこぶる面白い.ザックリ一気読みしたけどジックリ再読したい/ズッと持っていたい/ゼン即興演奏ファンに薦めたいゾ,と.
・ベイリーが理想としていた即興演奏は<ヒトの知性>と<オオカミの時間>を共存させるという,そもそも不可能な試みだったのではないか?と想う今日この頃,皆様如何お過ごしでしょうか?
・ライヴやアルバムのレヴューに当たり,著者ができるだけ正確な描写を心懸けていることは伝わってくるが,それでも比喩が無理矢理だったり印象批評に留まっているように感じられるのは,音楽を言葉で説明することの困難さ(あるいは不可能性)によるのか.
・木幡和枝の訳文は明解で読みやすい.だが,これだけ日本語に長けた人でも「すべからく」を誤用しているのにはちょっとガッカリ.
・本書の出版に刺激を受けたのか,ベイリーの音源を聴く会が発足↓.

イヴェント.
△「デレク・ベイリーを聴く会 Vol.01」モデレーター 泉秀樹・渡邊未帆・山崎春美・石原剛一郎 ゲスト 竹田賢一・木幡和枝(吉祥寺 Sound Cafe dzumi 3/29)
・モデレーターって初めて聞いたけど,何?と思ってググったら,
 1a仲裁[調停]者. b調節[調整]器. 2a(討論会などの)司会者. b《主に米国で用いられる》 (町会などの)議長. 3[しばしば M[N16-A12A]] 【キリスト教】 (長老派教会の)教会総会議長. 4【物理学】 (原子炉の中性子の)減速体.
 だそうである.本件の場合は多分4だろう.
・「ベイリーが遺した250枚以上もの関連アルバムを(中略)年代ごとに1枚ずつじっくりと聴き込んで」いくというのだが,1枚の収録時間を平均40分と見ても250枚聴き通すには約167時間掛かる.1回の会合は約2時間だから,単純計算すれば全84回,月イチペースで7年間続けないと聴き終わらないわけで,これは到底無理だ.
 そこは現実的に「重用と思われるアルバムからピックアップして年代順に聴き込む」とするしかないし,1回目の「聴く会」は実際そのような形で進行した.
・レジュメには掛ける予定の1960年代音源――LP,CD,CD-R等計14枚――がリストアップされていたが,やはり全部聴くのは無理で,実際に掛かったのは次の7枚,それも各アルバムから1トラックずつ――しかも7は途中でFO――だった.
 なお,4はオーネット・コールマンをフィーチュアしたオノ・ヨーコのアルバムから参考として掛けたもので,ベイリーとは無関係.

 1. 1965, "Rehearsal extract", Incus CD single 01. Joseph Holbrooke Trio (with Gavin Bryars b: Tony Oxley ds).
 2. 19 March 1966, "live at Club 43, Manchester, UK". audience recording. Lee Konitz Quartet (with Lee Konitz as: Gavin Bryars b: Tony Oxley ds).
 3. 18 Feb. 1968, "Karyobin", Chronoscope CPE2001-2. Spontaneous Music Ensemble (with Kenny Wheeler tp, fl-h: Evan Parker ss: Dave Holand b: John Stevens ds).
 4. 29 Feb. 1968, "AOS" from "Yoko Ono/Plastic Ono Band". Apple SAPCOR 17. Yoko Ono vo: Ornette Coleman tp: Edward Blackwell ds: Charles Haden b: David Izenzon b.
 5. 28 Aug. 1968, "Infraudibles" (composed by Herbert Br&#252;n) from "Cybernetic Serendipity Music", ICA ICA 01. Various (with Bernard Rands czimbalum: Gavin Bryars b: Richard Howe fr-h: Evan Parker ts).
 6. 3 Jan. 1969, "Stone Garden" from "The Baptised traveller", CBS (GB) 52664/Sony-Columbia 494438. Tony Oxley Quintet (with Kenny Wheeler t, fl-h: Evan Parker ss: Jeff Clyne b: Tonny Oxley ds).
 7. June 1969, "European echoes", FMP 0010/UMS/ALP232CD. Manfred Schoof (with Arjen Gorter, Buschi Niebergall, Peter Kowald b: Han Bennink, Pierre Favre ds: Alexander von Schlippenbach, Fred Van Hove, Ir&#232;ne Schweitzer p: Evan Parker ss: Gerd Dudek, Peter Br&#246;tzmann ts: Paul Rutherford tb: Enrico Rava, Hugh Steinmetz, Manfred Schoof tp).

・<年代順に聴く>という非ポストモダン的な聴き方には共感.「誰と誰とがどういう順序で出逢ったか」という<歴史>の検証は,やはり重用.
・この時期のベイリーの演奏は,竹田賢一が指摘したように慥かにアンサンブルの中で<異物感>を放ってはいるが,制約下でのフリーフォームという印象.共演者たちの出自が演奏全体の雰囲気を特徴づけているため,多くはフリージャズの範疇に入る演奏だ――サイバネティック・セレンディピティ・ミュージックは電子音楽系だけど.ベイリーのギターは,集団の中にあって,こう言っちゃ何だが<効果音>的機能を果たしているように聞こえる.
・トニー・オクスリーds,ギャビン・ブライヤーズbと組んだジョゼフ・ホルブルック・トリオ(英国マイナー作曲家の名を借りた,ベイリー最初のグループ)は「マイルス・モード」を演奏しているが,ベイリーのギターは「最初と最後にテーマを演奏しとけば,真中辺りの演奏はモードもテンポも無視して構わないでしょ?」と言いたげ.10分に1回濡れ場を入れさえすれば後は好きに撮って構わなかった往年のロマンポルノを連想.そういう点では<制約つきのフリー>.
・ちなみにワトソン本所収のオクスリーのインタヴューを読むと,ジョゼフ・ホルブルック・トリオは当時(1963〜1966),日本のティポグラフィカを想起させる拍子分割の実験をさんざん試みていたらしく興味深い.
・ベイリーは楽曲も演奏しているが,原曲に忠実にやっているとは思えない.また,コール・アンド・レスポンス的なやり取りもしているけれど,フレーズを応酬するようなオーセンティックなものではない.その辺りに,後の<非イディオマティック的な>即興演奏の萌芽が窺われる.
・横井一江は自著『アヴァンギャルド・ジャズ――ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷 2011)の中で,ベイリーが,自著『インプロヴィゼーション――即興演奏の彼方へ』(工作舎 1981.原著 1980)で提唱していた<非イディオマティックな即興演奏>がドグマとして一人歩きすることの危うさを訴えていたと思う(うろ覚え).そのとおりかも.
 ベイリーが問題にしていたのは演奏そのもの――<結果>ではなく<過程>――以外ではなかったということに注意.<非イディオマティックな即興演奏>は,終了した演奏やその録音物といった<結果>に対して求めるべきものではなく,また,それ自体を<目的>とするものでもない.
・意外な演奏家がベイリーファンだった↓.
 h t t p : / / e - d a y s . c c /(注:ここまでの文字はベタ打ちに直す)music/column/takada/201003/30432.php
・ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル『小鳥たちのために』(青土社 1982.原著 1976)を読むと,ケージとベイリーの意外な類似点に気付く.
 例えば:感情から自由になること/自我を開放すること/行為の結果に対する無関心/「あらゆる音に対して開かれた耳には,すべてが音楽的に聞こえるはず,私達が美しいと判断する音楽だけではなく,生そのものであるような音楽」/フリージャズが観念と音楽的関係の世界に閉じ込められているという批判(コール&レスポンスの重視や,時間的なビート感覚を保持することで音楽の範疇に留まっていること)/ダンサー(舞踏家)との共演における一見無関係な関係/etc.
 相違点ももちろんある.例えば<偶然>について,ピーター・ライリーはケージ型の偶然は意図して実践するある種の慣性であるのに対して,ベイリー型の偶然は抑圧から解放までの広い範囲にわたる作業課題であると述べる(ワトソン本).偶然を技法化すること自体が矛盾だと私も思うが,これは作曲家と演奏家(取り分けギター)という立場の違いに由来するものかも知れない.
・作品をつくる<方法>や<手段>に作者の署名が入ることでそれ自体が作品化してしまうことには,疑問を抱かざるを得ない.
・ちなみに,次のイヴェント↓と重なったため「聴く会 Vol.02」には行けなかった.

△「不図(ふと) 小山博人とは何ものだったのか」(高田馬場プロト・シアター)
・2010年7月に急逝した小山を偲ぶイヴェント.何で今頃?という思いもあるが,諸事情あったようだ.
・出演:入間川正美(チェリスト)/湯田康(演劇)/morning landscape(演劇)/荒井真一(パフォーマンス)/小林保夫(演劇)/IZA(シンガーソングライター哲学者)/海上宏美(批評)/多田正美(元GAP,サウンド・エンカウンター)/3 l-in-es(河崎純,入間川正美,遠藤寿彦)[以上4/26].新崎博昭(イベントアクシデント'77-'11)/山田工務店(演劇ユニット)/鈴木健雄(サウンド・パフォーマー)/ONNYK/GESO/大熊ワタル(シカラムータ)/遠藤寿彦(ダンス/回路派)/竹田賢一(A-Musik)[以上4/27].肩書きはおおむね自称らしい.ぷふい.
・出演してしかるべき人――特に名を秘すが清水唯史――がスタッフの一人――誰とは言わぬが遠藤寿彦――と喧嘩しているせいで呼ばれていなかったり,スタッフの一人――匿名だが湯田康――に疎まれているにも拘わらず平然と来場し打上げにも参加する図太い奴――勿論園田佐登志――がいたり,人生いろいろである.
・自分の出番になるまでに見たそれぞれの実演は,海上宏美と新崎博昭と鈴木健雄以外は「小山博人とは何ものだったのか」という問題意識を感じさせない,いつもやっていることと変わりないのでは,と思わせるものばかりで,退屈さと苛立ちを覚えた――折角の機会なんだから,もう少し小山絡みの実演を工夫すればいいのに.
・もとより追悼も鎮魂も嘘臭くて嫌いな私としては,今回限りの「小山博人に関わる回想(あるいは回顧)及び検証」を試みた――失敗したか成功したかはどうでもよいが.
・小山がやっていた架空の(?)グループの正式名は「イヴェント・アクシデント7711」なのか「イヴェント=アクシデント7711」なのか「イヴェントアクシデント7711」なのか「イベントアクシデント7711」なのか...etc.「クレイジーキャッツ」「クレージーキャッツ」「クレイジー・キャッツ」etc.に通じる表記の曖昧さは戦略ならぬ戦略だったのか.EVENT=ACCIDENT,イヴェントとアクシデントは等価の謂と,私は思っていたけれど.「わざわざおいで戴いても何もおもしろいことはありません」は彼(ら)が遺した名キャッチコピーで,私の座右の銘の一つである.

映画.
△ジェフ・ワドロウ『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』(米 2013)
 続編が本編を超えることはやはり難しい... 技術的向上とは関係ないことだから.

○佐々部清『東京難民』(日 2013)
 ホームレス役の井上順の演技が脂の抜けた感じが良かった.

△ジャン=マルク・ヴァレ『ダラス・バイヤーズクラブ』(米 2013)
 マシュー・マコノヒーの,役作りのために21キロ減量したという役者馬鹿ぶりを愛でる映画.

○ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』(丁・諾・英 2012)
 インドネシアで共産主義者(及びそう見なされた人)たちを大量虐殺した本物のヤクザたちが,過去の虐殺を自ら再演する映画...の撮影ドキュメンタリー.悪夢のようだが目が離せない画期的作品.

○黒木和雄『竜馬暗殺』(日 1974)
 久し振りに再観.役者陣で魅せていたのだな.上映後の中川梨絵と後藤幸一のトークショーが楽しかった.

△山口義高『猫侍』(日 2014)
 北村一輝が役作りのために9本歯を抜いたのはこの映画ではないが,その役者馬鹿ぶりと,白猫の玉乃丞を愛でる映画.演出は駄目.

 阿佐谷 ラピュタの特集「わたしたちの芹明香」から2作.
○曽根中生『(秘)極楽紅弁天』(日 1973)
 この監督の明るさはロマンポルノにあっては貴重.

△白鳥信一『狂棲時代』(日 1973)
 ロマンポルノなるも根は真面目な青春映画.当時24歳の風間杜夫に18歳の浪人生役はちょっと無理あり.

2014.05.03 GESO


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