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タイトルGESORTING 199 喪中葉書受取枚数過去最高記録
記事No101
投稿日: 2013/12/08(Sun) 18:07:20
投稿者geso
○皆川博子『笑い姫』(文春文庫 2000.親本 朝日新聞社 1997)
 冒頭の,顔を施術されて笑い顔しかできなくなった子供の話が,山田風太郎のジュブナイル「笑う肉仮面」(1958年作)とほぼ同内容だったので一瞬吃驚したが,元ネタはヴィクトル・ユゴー「笑う男」(1869)であり,「推理小説の世界でも、このモチーフは形を変えて脈々と受け継がれており、江戸川乱歩の最高傑作といわれる長編『孤島の鬼』から、風太郎作品を経て、綾辻行人の中編集『フリークス』、皆川博子の伝奇小説『笑い姫』へと至る系譜を見ることができる。」と,日下三蔵が『山田風太郎ミステリー傑作選9 笑う肉仮面』の「解題」で書いていたのを忘れていたのだった.
 本作のような,山風や都筑が書き継いできた「読本」系を継承している小説は,今あるか? 木内一裕の近作かしら――未読だが.

△松井今朝子『道絶えずば、また』(集英社文庫 2012.親本 2009)
 『風姿三部作』完結編.<いい話>だが,ミステリ的な面白さは前2作に及ばず.

△近藤史恵『エデン』(新潮社 2010)
 『サクリファイス』の続編.ヒット作の続きを書くのはなかなか大変なんだなぁ...

○『日本文学全集 横光利一集』(集英社 1966)
 横光作品は「ナポレオンと田虫」(1926年作)しか読んでいなかったが,それを含む9編を収録した本アンソロジーは,ヴァラエティに富んでいて楽しめた.取り分けスパイアクション小説の一面も持つ「上海」(1935年作)は,<資本主義リアリズム小説>とでも呼びたくなる佳作――と言っても彼の立場は反共ではなく,<反プロレタリア文学>だと思う.
 登場人物が「世界同時革命」という幻想を巡って議論する場面は,1970年代まで繰り返されたアポリアの先例みたいで興味深いし,ちょくちょく出て来る格言めいた決め台詞――例「同じ人間が二人もいちゃ、辷るだけだよ」――も楽しい.
 横光が活躍した時代は日本にシュールレアリスム運動が輸入された時代と重なるはずだが,彼はその影響を受けていないようだ.リアリストだったから,マルキシズムに秋波を送りつつ幻想に溺れるプチブル的なシュールレアリスムに与することはできなかったのでは? もし影響を受けていたら,筒井康隆の「虚人たち」のような作品を書いていたかも知れない...などと妄想は膨らむ.

△諸星大二郎『蜘蛛の糸は必ず切れる』(講談社 2007)
 短編4作を収めた第2小説集.
 いつ来るとも知れない船を待ち続ける人々を描く不条理劇めいた「船を待つ」は,諸星漫画の味わいに最も近い.漫画で描くと地味すぎるから小説にしたのかも知れないが,小説にしてもやはり地味だった.
 「いないはずの彼女」は,複数の語り手による断章から成るが,「いないはずの彼女」――都市伝説的存在と説明されるが,幽霊と断じることはできない――自身の視点からも語られている点が面白い.
 「同窓会の夜」は,一人称の語り手の正体がキモとなるが,割と早い段階で判ってしまう所が残念.それでも最後まで引っ張る所は巧い.
 「蜘蛛の糸」のパロディである表題作は,原作よりも面白い.本作で描かれる<地獄>は,鬼たちによる徹底的にシステマティックな官僚社会であり,仏陀がただの気紛れで垂らした一本の蜘蛛の糸はその管理社会を無用な混乱に陥れる...「あの方も困ったことをしてくれる...」と嘯く,管理職としての閻魔大王.

○結城光考『衛星を使い、私に』(光文社文庫 2013)
 長編『プラ・バロック』の前日談に当たる短編集.結果的にほぼ連作となっている.相変わらず格好いい.

○同『奇跡の表現』『同II 雨の役割』『同III 龍<ドラゴン>』(電撃文庫 2005〜2006)
 結城のデビュー作にして第11回電撃小説大賞銀賞受賞作と,その続編2巻.
 猪の顔をしたサイボーグとして甦った元ヤクザの親分が,修道院で暮らす孤独な少女を護る <ライトノベル版レオン> (高橋京一郎).
 設定はいかにもラノベ臭いが,内容はごくシリアスな近未来ハードボイルドで,後のクロハシリーズとさほど掛け離れてはいないし,お約束の展開なのに読者を飽かすことなく引っ張る力量あり.
 これまたいかにもラノベなイラストに想像力を削がれるのと,続編が書かれる気配がなく未完結なのが残念.

○浅羽道明『右翼と左翼』(幻冬舎新書 2006)
 右翼と左翼の定義の歴史を辿るタメになるお勉強本.教科書的によく纏まっている.結論は「これからは右翼・左翼じゃなく,宗教と民族主義でしょ」という感じで,普通.
○日垣隆『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎新書 2006)
 職業的物書きになるための実用書.
 成る程と思わせるノウハウが羅列されているが,「何かでお金を取ろうと思ったら、目安として最低1万時間はやり続けなければならない」とか「1テーマにつき最低本棚1本分(が目安)」といった指示には,ハードルを高くして若い芽を摘んでおこうという――商売敵を減らそうという――魂胆が透けて見える.
○坂東眞砂子『「仔猫殺し」を語る』(双風舎 2009)
 東琢磨・小林照幸,佐藤優との討論を含む.
 生まれたばかりの仔猫を崖から投げ捨てたことを書いたエッセイで筆者は徹底的にバッシングされたが,ちゃんと原文を読んだうえで非難した人はどれだけいたのか? 自分を含めて反省.
○堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書 2006)
 1983年以降の日本資本主義が「若者」を食い物にする方向で進んできたことを,個人史に沿って立証した本.全くアカデミックではないが,概ね納得できる内容.
△大鶴義丹『昭和ギタン』(バジリコ 2005)
 自伝的エッセイ.あの二人の間の息子なのに(だから?)割と素直に育ったんだな.かなり正直に書いているように見えて,結構隠してることも多い感じ.人は遂に本当のことは書かない(by山本夏彦)のかも知れない.
△佐々木敦『「批評」とは何か? 批評家養成ギブス』(メディア総合研究所 2008)
 日垣本同様実用書といえるが,結局,対象は何であっても構成力とレトリックがあれば批評は書ける,と言っているように読める――私は何かオブセッションがない批評は,読んでも詰まらないと思うけど...
 「批評とは何か」と問いながら,批評と批判の違いについて何の論考もない点が物足りない.

 以上6人の著者は私の友人知人には割と敬遠されている面々だが,読んでみたら良くも悪くも楽しめた.
 矢張り食わず嫌いはいかんな...とはいっても,豊崎シャチョーみたいに敢えて石原慎太郎を読み直そうなどとは思わないが.

○池上永一『レキオス』(角川文庫 2006.親本 2000)
 オキナワン大風呂敷伝奇SF.ハードさと馬鹿っぽさが渾然一体となった疾走感がこの作者の魅力でしょう.

△第15回見世物学会総会(東京芸術大学美術学部第三講義室 11/10)
 見世物学会とは「1999年に学者と見世物興行の関係者の手によって設立された、産学協同の見世物研究団体である」(Wiki).一般客として初めて見物した.
 第1部は「種村季弘・小沢昭一・山口昌男 追悼放談会」で,パネラーは西村太吉(理事長.的屋 東京松坂屋当代),秋山祐徳太子(理事),真島直子(鉛筆画家),石塚純一(元札幌大学文化学部教授).出席予定だった田之倉稔(会長),高山宏(評議委員),坂田春夫(的屋 會津家六代目)らは欠席.種村の子息や山口の未亡人も客として来ており,故人の想い出を語った.
 種村は会員ではなかったらしいが,小沢は顧問,山口は理事に名を連ねていた.会発足の言い出しっぺは山口で,最後まで積極的に催しに出席していたが,種村や小沢はそれほど顔は出していなかったようだ.だが,この三人が――知名度と相俟って――学会の精神的支柱だったことは確からしく,今回は彼らを偲ぶ合同のお通夜のような催しだった.
 内容は,結局「面白い人たちだった」ということに尽きて,石塚が山口の学者としての業績――私はよく知らないが――を称揚していた以外は余りアカデミックな話題にならなかったところがむしろ清々しかったけれど,物足りなく感じた人もいたことだろう.
 第2部は「佐伯俊男・会田誠――変態絵画と見世物小屋の境界感覚――」と題したシンポジウムで,パネラーは福住治夫(元美術手帖編集長),佐藤一郎(東京芸術大学絵画科教授),坂入尚文(司会進行.見世物学会評議委員.東京松坂屋).
 坂入は,会田の担任教授だった佐藤に学生時代の会田のことを語らせ,福住には大盛況だった「会田誠展 天才でごめんなさい」及び同展に対する女性団体等からの抗議――うんざりさせられる野暮な正論――への感想を語らせ,自身は佐伯と会田の差異について僅かに語った.
 しかし,いずれも舌足らずな説明に留まり,掲げられたテーマを全く掘り下げ切れず,散漫なままにシンポジウムが終わったのは不満.
 そもそも会田や佐伯の絵に見世物を関連付けること自体,かなり強引である.佐伯の絵は,色使いや構図はポップなのに「見てはいけないもの」を描かずにはいられない作者の「業」が感じ取られ,それが「見世物」に通じないこともないが,会田作品における不具や奇形はファッショナブルなものにすぎず,あざとさしか感じ取れない.
 見世物学会という団体を見るのは初めてのことで,予備知識は殆ど無かったが,当日の観察結果+当日配布された「大見世物報」+Wiki等から得た情報から気になった点をランダムに挙げると:
・会長が病気で欠席していた
・西村理事長が会の「象徴的存在」として重用されていた
・秋山祐徳太子は会の潤滑油的存在に見えた
・鵜飼正樹(理事)を含む何人かの古参役員が近年相次いで脱退していた
・坂入尚文が会のヘゲモニーを握っている/握ろうとしているように見えた
・評議委員には田中優子・内藤正敏・中沢新一・松岡正剛の名も見えるが,実際にどの程度参加しているかは不明
 等々であるが,どこまでを「見世物」として研究対象に含めるかを巡って会員の意見が一致していないことは,当日配布された会報「大見世物報」の記事からも窺えた.
 種村らが死んだ後も,彼らの意志を継いで学会を継続・発展させていこう,と自らを鼓舞する雰囲気はあったが,会員間の意見の不一致が深刻な対立に至れば,会は分裂〜解体する可能性もある.だが,そうなったところで詮ないこと――どんな共同体にも必ず終わりが来るのだから.

○伊藤俊也『女囚さそり 第41雑居房』(1972 東映東京)
 一作目以上に幻想的で,もはや篠原とおるの原作とは掛け離れた世界だが,漫画より映画のほうが面白い――と横山リエも過日のトークショーで言っていた.園子温が積極的に影響を受けていることも明瞭に感じた.
 本作で脱獄〜バスジャックする女囚を演じる役者たちは皆曲者揃いだが,白石加代子の狂いぶりと梶芽衣子の冷徹さが強烈すぎて他の女優――伊佐山ひろ子や八並映子など――の影は薄い.最後の標的渡辺文雄を惨殺して取り敢えず復讐を終えたさそりには,後は逃避行しかない訳だが...
 腰を抜かし失禁して女囚たちの慰み者になる戸浦六宏や,男根串刺しで磔にされる小松方正など,笑える見せ場多し.

△同『女囚さそり けもの部屋』(1973 東映東京)
 伊藤俊也による「さそり」三部作の最終話.電車の中で刑事(成田三樹夫)に捕まり手錠をかけられたさそりは,刑事の腕を出刃包丁でぶった切り,それをぶら下げたまま逃走する...この冒頭は実に良いのだが,後の展開は三作中で最も整合性がなく,怪談じみていて,時に妙に感傷的で,まぁ怪作でしょう.
 長谷部安春による4作目(蛇足?)や,多岐川裕美,夏樹陽子,岡本夏生主演による各種リメイク版は未見なので,機会があれば観たいが,やはり梶芽衣子主演の最初の2作がベストであることは揺らぐまい...

○白石和彌『凶悪』(2013 日活)
 クソリアリズムで描かれた<社会派>犯罪映画.誰が書いていたのか忘れたが,「日本人男優は総じて演技が下手だが,ヤクザやチンピラなどの犯罪者役にだけはピッタリはまる」という趣旨の映画評論を読んで同感した記憶が,本作を観て甦った.
 「あまちゃん」で薬師丸ひろ子に「デニーロのつもり?」と揶揄されていたピエール瀧のヤクザ演技はデニーロには似てないが本物のヤバさを感じさせるし,善人っぽい役が嘘臭くて個人的に嫌いなリリー・フランキーもここでは快楽殺人者を生々しく演じている.山田孝之は正義の味方(って何だ?ということを考えさせる雑誌記者役)なのに怖い顔で,殺人事件の真相究明にのめり込むにつれて更に怖い顔になっていく.
 引き攣り笑いを催させる場面もあるが総じて重苦しく,後味は悪い.好き者同士でない限りデート映画には向かない.

○森崎東『喜劇・特出しヒモ天国』(1975 東映京都)
 幾組ものストリッパーとヒモたちの群像劇.山城新伍や川谷拓三もいいが,幾つかの場面で池玲子が珍しく可憐に撮られているのが貴重.冒頭と最後で聴ける殿山泰司(坊主役)のラップ説法と,芹明香(アル中のストリッパー役)が仲間の通夜の席で歌う「黒の舟唄」が聴けただけでも観る甲斐があった.撮影場所の1/3くらいは私が住んでいた頃の京都市内.

○同『生まれかわった為五郎』(1972 松竹)
 フーテンの寅+無責任男みたいなキャラクターのハナ肇(為五郎役),全編通して汗だくで熱演する財津一郎(成績の悪いセールスマン→偽大学教授役),即席の民謡酒場で緑魔子(元キャバレー嬢役)がアカペラで春歌を唄う場面,北林谷栄(魔子の祖母役)が訥々と語る漁村の伝承,それに倣って瀕死のハナを全裸の魔子が温めて蘇生させる場面,サウナでハナが三木のり平(ヤクザの親分役)を襲う場面で白黒テレビに映る学生と機動隊の衝突映像〜そのバックに流れる「統一戦線の歌」,最後の場面で緑魔子一家が演じるちんどん屋――殿山泰司(魔子の義父・元ヤクザ役)がちんどん,都家かつ江(魔子の母親役)が三味線,魔子が旗持ち――等々,印象に残る場面満載だが,公開当時は中途半端な出来,と不評だったらしい.確かに泣いていいやら笑っていいやら訳が分からない映画だが,そこがいいんでしょ?

○同『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985 キノシタ映画)
 上原由恵がそれまでに出会った人全員(!)の名前を夜通し喋る場面と,倍賞美津子が原田芳雄の仇討ちで梅宮辰夫を撃ち殺す場面は,いつまでも記憶に刻まれそう...

△小原宏裕『実録おんな鑑別所 性地獄』(1975 日活)
 梢ひとみ.ひろみ麻耶,芹明香の三枚看板の所為で却って焦点が暈けた感じ.「さそり」シリーズの影響が感じられるが,強烈さではあちらに敵わない.

2013.12.08 GESO