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タイトルGESORTING 198 オイニー
記事No100
投稿日: 2013/11/05(Tue) 20:48:57
投稿者geso
[たちまち古びる時事ネタ]
 「あまちゃん」は悪くなかったけれど,あまちゃん翼賛体制は凄く気持ち悪かったので,番組が終わってホッとしている.まぁどうせ半年も経てば皆さん忘れることでしょうが...
 そして「ごちそうさん」のベタな予定調和.こちらはこちらで人気あるそうで,NHKはホクホクしていることだろう.今放映中なのは絵に描いたような「嫁いびり編」だが,時代設定からいえば間もなく関東大震災が起こる筈.NHK朝ドラに2クール続けて震災が出て来るのは作為的なのか偶然なのか?
 そういえば,かつて「NHKに捧げる歌」でNHKを批判していた早川義夫が,今年初めNHK「眠いい音楽」に出演していたのには,時の流れを感じた.
 早川義夫に限らず,人が変節するのは当たり前だから,首尾一貫していないからといって非難するつもりはない.
 ただ,弁明も開き直りも後ろめたさも示さず何事も無かったかのように変節されちゃうのもなんだかなぁ...と,むかし天安門事件や反核騒ぎのときに偉そうなことを言っていた文化人やタレントたち――いとうせいこうなど――のその後の言動を見ても,思ってしまうのである.
 「森永」と聞くといまだに反射的に「砒素ミルク!」と返してしまう私にも無論問題はあるが,罪を憎んで人を憎まず,でいいんだろうか本当に?

 連城三紀彦の死去を知り落胆.実業之日本社,講談社,双葉社,集英社,光文社の各社は,せめて餞にお蔵入りの長編作品を出してほしいが,今のところその兆しはない.去年赤江瀑が死んだときも,何も無かったしなぁ...
 毎年好きな作家が死んでいくが,嫌いな作家はなかなか死なない.

[匂いの本を巡る雑感]
A 浅暮三文『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス 1999)○
 再読.犬の嗅覚を持ち,匂いを「見る」ことができる隻眼の男の視点で描かれるハードボイルド幻想小説.生理的に受け付けない読者もいるだろうが――こんなに面白いのに勿体ない――浅暮作品の中ではいまだにベスト.

B ライアル・ワトソン『匂いの記憶 知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官』(光文社 2000.原著 2000)
 読み物としては○だが,どうもこの人の書くことは胡散臭くて抵抗がある.

C パリティ編集委員会『色とにおいの科学』(丸善 2001)△
 為にはなるが専門向けで概して面白くない.だが,匂いを分析することと識別することとは違うという点に着目し,ニューラルネットワーク解析法の一つバックプロパゲーション(逆伝播)認識法を用いて(説明略),いわば人間の匂い識別能を増幅する形で,薄すぎて人間では識別不能な匂いを識別する「においセンサー」が開発された話は面白い.

D 大瀧丈二『嗅覚系の分子神経生物学 においの感覚世界』(フレグランスジャーナル社 2005)○
 これも専門向けだが,メインテーマにも増して「科学論」の説明に紙幅が割かれており,その書きっぷりが意外に熱いところが面白い.

E エイヴリー・ギルバート『匂いの人類学 鼻は知っている』(ランダムハウス講談社 2009)○
 著者は心理学者/認知科学者/匂い関係の企業家で博覧強記の人.洒脱な科学読み物としてワトソンより信憑性も高く,今回読んだうちでは一番面白かった.
 独逸人と日本人の匂いの好みの著しい違い――例えば独逸人女性の40%近くがヴィックスヴェポラップの匂いを食用に適した匂いと感じている――だとか,本書が採り上げた死臭や腐臭絡みの実話の幾つかが後に映画化されていること――例えば『127時間』や『THE ICEMAN 氷の処刑人』――だとか,プルースト「失われた時を求めて」における「ふやけたマドレーヌ」の効果が過大評価されていることへの反証だとか,興味深い話題が盛り沢山.
 味覚の話もかなり出てくるが,「料理」は必ずしも必要のない文化的習慣などではなくて,人間が生存するうえで生物学的に必要な行為であることの論証が面白かった.

F 新村芳人『興奮する匂い食欲をそそる匂い』(技術評論社 2012)○
 今回読んだ中では記述の科学性と面白さのバランスではベスト.精子にも嗅覚受容体が機能している――いわば卵子を「嗅ぎ当てる」――とか,辛味や渋味は味覚ではなく痛覚であるとか,アポクリン腺から分泌されるヒトフェロモンは雄ブタの唾液に含まれる性フェロモン(アンドロステノン)と同じもので,何故か利き腕の脇の下からより多く分泌されるとか.
 E本とかぶる話題――独逸人と日本人の匂いの快不快に関する著しい相違など――も出て来て,読み較べるのも一興.

 匂いの学界では,リンダ・バックとリチャード・アクセルによる1991年の嗅覚受容体の発見――2004年にノーベル生理学・医学賞を受賞――が画期をなしたというのが,匂い学者たちのコンセンサスであるらしい(C〜F本).

 ヤコブソン器官――現在では一般に「鋤鼻器」と呼ばれる――は,大部分の哺乳類に加えて殆どの両生類と爬虫類も持っている――魚類や鳥類は持っていない――「フェロモン用の鼻」(F本)のことで,哺乳類の場合は鼻の穴の下側に左右一対ある.
 ワトソンはヒトにもこの器官があり,フェロモンを感知し,更には「第六感」を作動させる重要な器官であると大風呂敷を拡げているが(B本),ヒトではこの器官は退化して痕跡の窪みを残すのみで――正確に言えば,発生の初期段階には鋤鼻器に繋がる神経が一旦形成されるが,発生後36週目には消失し,誕生時には痕跡しか残らない――機能していない,というのが定説らしい(D本,F本).
 しかし,養老孟司はヤコブソン器官とそれに繋がる神経を「ヒトの胎児および新生児、さらには成人で解剖して」「きちんと追跡することができた」という(B本解説).嘘を書くとも思えないから,持つ人と持たない人がいるということなのだろうか?

 ヒトにもフェロモンがあることは,マクリントク効果――共同生活する女性の生理周期がシンクロしてくる現象――が脇の下から分泌されるフェロモンの作用によること等から実証されているが,どうやら鼻で感知している可能性が高いらしい.

 ワイン・アロマホイールやビア・フレーバーホイールが実用化されているのなら,腋臭スメロホイールや○○香アロマホイールを作ることも可能なのではないか...

 ちなみに「DNAは物質名ですが、遺伝子とは同義語ではない」(D本)し,「「遺伝子」とはタンパク質の設計図のことで」「概念であり、DNAは分子の名前である」(F本)ならば,「遺伝子はDNAと呼ばれる物質である」と断じる池田清彦(『新しい生物学の教科書』(新潮文庫 2004.親本 2001))は間違ってるというか,説明を端折りすぎてるのではないか.これでは本人が批判する教科書とあまり変わりがないと私は思う.

[匂いの本ではないが匂う本]
○深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫 1987.親本 1958)
 「風流夢譚」よりもこの手の作品のほうが面白いと思う.

△山本夏彦『無想庵物語』(文藝春秋 1989)
 筆者と親子二代にわたって友人だった「失敗した芸術家」武林無想庵の評伝.ただし「評伝」という言葉は版元が使っているだけで,著者は「物語」と称している.読売文学賞受賞とは信じがたい/名編集長・名コラムニストのものとも思えない纏まりのない作品なので――時系列も話題もあちこちに飛ぶし同じ挿話が繰り返し出てくる――そのように称したのか? あるいは著者自ら記すように自伝的要素が強く「主観的」にならざるを得なかったから,「評伝」ではなく「物語」としたのかも知れない.まぁ亡友に対する哀惜の念は慥かに伝わってくるけれど.
 評伝であれば大概巻末に置かれるべき略年譜もなく,代わりに,人名と事項を一緒くたにした著者自身による変わった「索引」が付されている.

◎皆川博子『恋紅』(新潮文庫 1988.親本 1986)
 卓越した技巧を気取らせない/そんなことはどうでもいいと感じさせる作者/演者のみが名人と呼ばれるべきだ...という点で,皆川博子は名人の一人である.
 本作は一見地味なビルドゥングス時代小説だが,どこにも文句の付けどころがない.直木賞などどうでもいいが,本作が受賞したのも当然だと思う.

○同『散りしきる花 恋紅 第二部』(新潮文庫 1990)
 前作を未読の読者にも分かるように折々粗筋めいた説明が入る点は,親切だがくどい――前作を読まずに本作を読む読者など,まず居ないだろうから.
 前作で主人公に感情移入した読者は,本作での過酷な運命に居たたまれなくなるし,その後の成行きが気になるのに第三部以降が書かれていないことに苛立ちもする... それでも秀作であることは確か.

△海堂尊『ナニワ・モンスター』(新潮社 2011)
 医療改革を基盤にした国家変革を唱えるプロバガンダ小説.主な舞台は浪速府――可能世界における大阪府――だが,桜宮サーガを読んでいなければ分からないし面白くもないという点で,対象読者はシリーズのファンに限定される.作者はそれを承知のうえで書いていて,良くも悪くも一貫して旗幟鮮明.

△柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』(角川文庫 2009.親本 2005)
 倫敦留学中に心を病み,自身をホームズと思い込んだ夏目漱石が,事件を「解決しない」ユーモアミステリ.記述者は当然ワトスンである.ホームズもののパスティーシュとしては上出来のほうだと思うが,頻出する文明批評の的確さと較べてメインの殺人事件やトリックがショボいのが残念.

○ダニー・ボイル『トランス』(2013 英)
 名画泥棒と催眠療法という組合せの妙.派手な事件や犯罪が相次ぐのに警察が殆ど出張ってこないのは不自然だが,まぁ面白いから許す.さいみんじゅつのめいしゅはひとをどうにでもあやつることができてこわいなあ,でもそれだとどんなむりめのおはなしでもありになってしまうからずるい,とおもいました.

○村山新治『おんな番外地 鎖の牝犬』(1965 東映東京)
 扇情的なタイトルに反して非常に「教育的」な映画.音楽は冨田勲だが主題歌はド演歌.主演は当時21歳の緑魔子.興味深い点が多い拾いもの.

×小杉勇『金語楼の俺は殺し屋だ』(1960 日活)
 あまり面白くない喜劇.当時の柳家金語楼は国民的人気者だったが,百面相以外にどこが面白かったのか,今となっては謎である.ヤクザの女親分役の宮城千賀子が格好いい.

△春原政久『この髭百万ドル』(1960 日活)
 喜劇.益田喜頓は金語楼よりも芸があって○.

○小杉勇『刑事物語 ジャズは狂っちゃいねえ』(1961 日活)
 シリアスな犯罪映画.喜頓も『百万ドル』と打って変わってシリアスな刑事役.白木秀雄クインテットの「クールな」演奏シーンがフィーチュアされる貴重な作品.

○舛田利雄『大幹部 殴り込み』(1969 日活)
 青春/ヤクザ映画の佳作.経済ヤクザ――表向きは不動産屋.インテリヤクザは未だ登場しない――に転身した親分・大幹部を含む組員(多数派)と,彼らに使い捨てられた守旧派の任侠ヤクザ(少数派)の内紛が描かれる.最も下っ端の「愚連隊」(貧しいチンピラたち)が守旧派で,「造反有理」の立て看を掲げたりゲリラ戦術で多数派に攻撃を仕掛けるところに,時代背景が感じられる.この頃の渡哲也はやけに格好いい.青木義朗と藤竜也の死に様もイカす.
 私が観に行った日(11/2)はヒロイン役の横山リエのトークショーがあったので,定員48人の阿佐谷ラピュタが80人近い大入りだった.65歳になった横山リエは今もなお魅惑的.

○伊藤俊也『女囚701号 さそり』(1972 東映東京)
 映画館で観るのは何十年ぶりか...やはり面白いものは面白い.
 主人公のさそり(松島ナミ)はやられたらやり返す女だが,倍返しどころではなく,相手を半殺しか全殺しにするまでやめない.普通に考えるとやり過ぎで,一種のサイコパスとも思えるから,リアルに描けば観客の共感は得られない筈だが,暴力とエロスの基準値をかなり高めに取った非現実的な物語世界――主な舞台は閉ざされた刑務所――を設定し,演劇的描写やホラー映画的描写を援用することによって,監督はこの問題を解決している.暴力的ファンタジーの世界だから,主人公はいくら虐待されても陵辱されても汚れることはなく美しい――常に顔はツルツル,髪の毛はツヤツヤである.
 ...てなことは見終わった後で思ったことで,映画は分析しながら観てはつまらない.観ている間はひたすら享受するのが正解である.逆に言えば,観ている間に分析したくなるような映画は退屈,ということだ.
 極端に類型化された役者たちのキャラ――梶芽衣子の強烈な復讐心とタランティーノも悩殺された目力,横山リエの悪辣さと剃り落とされた眉,司葉子の男前な姐御っぷり等々――だけでもお腹一杯になれます.

2013.11.05 GESO