4.SF   黴の谷の*シカ
  
-その者、青き酒屋の法被をまとい、もろみの海に降り立つべし

 強引な販促でカモガワ商法なる流行語まで生み出した鴨川酒店が、酒海を舞台に、酒虫を愛でる姫君の映画「黴の谷のハクシカ」を作ろうとしたが、ヒロインは「ヤツシカ」が良いとか「アキシカ」が良いとか「ホクシカ」も出せとか、「ハルシカ」の立場はどうなるとか、そんなこんなでまとまらず頓挫しているらしい。近未来を舞台に、緻密な背景設定、壮大なストーリー、人類と生命を愛する全ての人に贈る、涙涙のアニメ巨編。背景設定は以下のとおり。絵コンテを入手したらアップしますね。

□黴の谷の背景設定

・アルコール文明
 21世紀の終わり近く、化石燃料の枯渇により、地球の石油文明は終焉を迎えようとしていた。あたらしいエネルギー源を求めて、人々は二つの道を模索し始めた。
 第一の道は、宇宙開発である。技術力のある国々は巨大な宇宙船を建造し、小惑星帯に新たな資源を求め始めた。最終的に彼らは地球軌道近くに直径数十キロの炭素系小惑星を曳航してきて、彗星の水と太陽エネルギーを利用した燃料アルコール製造プラントを建設した。それらの開発には自己組織型のマイクロロボットが使われていた。小惑星を中心にしてリング状のリアクターを伴った姿から、この宇宙施設はサテュヌス「土星」と呼ばれるようになった。
 第二の方法は、生物を利用してアルコール生産を行う方法であった。遺伝子工学により数多くの植物や微生物が作られ、アルコール発酵に利用された。これらの植物は次第にマイクロマシン共生体として独自進化をするようになり、通常の遺伝子改変では作り得ないな巨大かつ奇怪なものへと変化していった。
 炭酸ガスによる地球温暖化は依然深刻であったものの、高度なロボット工学と通信技術に軽量高性能な燃料電池が加味され、人類文明はかつて無い繁栄期を迎えていた。

*燃料電池には、最初メタノールが使われていたが、人体に有害であることが普及の妨げとなっていた。エタノール発電の開発により、燃料電池を搭載した電子機器が爆発的に普及するようになったのである。一方、宇宙開発等に使われる燃料電池は、より効率の良いメタン・メタノールベースのものも使われ続けていた。

・土星墜落
 破局は突然訪れた。かつて無い規模の太陽表面爆発(フレア)により、地球上の全通信機能が麻痺、通信に依存した自律分散型ロボットも全て機能を停止するか暴走を始めたのである。フレアが続いたのは7日程度であったが、社会インフラの突然の消滅によるパニックと、それに続く産業活動の停止により、数多くの人が死んだ。
 惨禍は地球上ばかりでなく、宇宙空間にも及んだ。全ての宇宙施設は強烈な放射線に焼かれてその機能を失い、制御不能になった「土星」は、地球に向かって墜落し始めた。
 幸い、「土星」の影側に有った施設は辛うじて機能を保っていたため、地球に激突する前に「土星」は自爆したが、ある大陸に膨大な量の有機物が降り注ぎ、堆積した。墜落時の煤塵は数ヵ月の間地球を取り巻く帯となって漂い、昼は煙の柱、夜は太陽光を乱反射して炎の柱のように見えたという。
 人々の多くは、土星墜落こそ破局の正体であり黙示録で言う世界の終わりと考えたようである。事実、空は暗くなり星の多くが姿を隠し「アブサンの雨が降った」のであるから。「恐怖の大王」という言葉が蘇り、至る所でパニックが生じた。しかしそれも長くは続かなかった。
 フレア期間中に太陽からの地表に届く光線=熱量は、平常時の数ヵ月分に及び、地球の温暖化を一気に促進した。土星墜落による煤塵が紫外線の殆どを吸収して地表に届くのを阻害したのは、人類にとって幸運なことであったが。温暖化の結果として急激な海進が起こり、「土星墜落」から1年も経たないうちに地球上の主要都市は殆ど海没した。
 これらの災害により、人類の結束は完全に失われた。通信の途絶は疑心暗鬼を生み、人類は相互に敵対する無数の小集団に分裂していった。それらの多くは他の集団により解体・吸収されていったが、自立する基盤を見いだした集団は強固な中央集権体制を作り、いわば戦国時代の領主か中世の都市国家のように、権謀術数にしのぎを削るようになったのである。

・酒海の誕生
 地球に堆積した「土星」の残骸は、広さ数百平方キロ、厚さ数十メートルに及ぶ炭素(グラファイト)に富んだ層であった。その中では、遺伝子改変された生物群とマイクロマシンの猛烈な生存競争が行われつつあった。
 グローバルな制御を失ったそれらはただ一つの存在目的=アルコール生産のために、ある時は競争し、ある時は協調しつつ進化を繰り返し、さらには昆虫などの動物も巻込んで、巨大な生態系を作り出したのである。
 酒海の境界は概ね安定しているが、時として広範な酒海地層が泥流化して外部に流れ出し、人間の領土を呑込むことがある。これは「大宴会」と呼ばれ、大宴会に呑込まれた土地はもう元に戻ることはなく、酒海の一部となってしまう。この理由は酒海の生態系が極めて効率的に炭素を固定する能力があることによる。植物ベースの炭酸ガス固定→アルコール発酵→燃料電池による炭素粒子の排出という主サイクルと炭素を直接酸化・水加してアルコールを生産する副サイクルが絡み合って、酒海生態系を形作っている。
 酒海は有機物が極めて豊富であり、生物相の制限因子は金属である。通常、酒海表層で生産されたアルコールはその他の炭水化物やミネラルを溶け込ませた状態で、多孔質の炭素層を沈降する。炭素層中部〜底部においては発酵とアルコールの分解が行われ、成分や熱の不均衡により、陥没やガス噴出を繰り返している。そのため、酒海内部においてはでは軟弱な地盤とアルコール発酵による複雑な対流構造、ガスの噴出、円筒状に陥没してアルコール混じりの液がわき上がってくる「もろみタンク現象」などがあり、人間・ロボットとも容易に侵入できない世界となっている。

酒海の生物群
 知られているものの内、代表的なものを上げる。実際は変異種を含めて極めて多種多様であり、分類不能なものも数多くあることはいうまでもない。

・植物相
★マキニダヤシ
酒海の最重要植物といえる。
酒造米の変異種で、後述するマキニカリスによる早刈りを逃れるため登熟期になると穂が落花生のように下垂して、地下に米を実らせるようになったものである。強靱な植物であり、群生地帯ではマキニカリスが入ってこられないため、この名が付いた。種子は大粒心白で、食用可能であり、酒海周縁の住民の重要な食料となっている。
 マキニダヤシが群生した場所は下層がアルコール不足になるため、陥没が起きやすくなる。膨大な量のマキニダヤシを抱えた陥没地層がアルコール発酵することが、もろみタンク現象の元になる。
★ギガスペルギルス・オリゼ(巨大麹)
酒海の表面を覆う黴である。メカ複合生物であり、実際は多種多様であるが、一括してギガスペルギルスと呼ばれている。酒海の保水や土壌の安定化に寄与しているらしいが、アルコール発酵での役割は不明である。
★オトコバシラ
高さ数十メートルに達する喬木型の代表とも言える複合植物で、葉はなく、樹体全体で光合成とアルコール発酵を行う。酒海の深くまで根を張り、水分とミネラルを吸い上げている。生きているにせよ枯木にせよ、酒海生物の主要な活動の場所となっている。
★エントツモドキ
オトコバシラと並んで重要な喬木である。バオバブに似た円筒形の幹を持ち、地下中層の好熱細菌叢と密接な関係を持っている。迷路状の根系は、酒壺蟻などの格好の住処である。
★汲み掛けの木
地上部より、地下部が発達した樹木型の複合生物である。円筒形の幹を持ち地層中部〜深部から汲み上げたもろみを樹体の節から噴出させることからこの名前が付いた。マキニカリスから身を守るためか、人工育種の名残かは不明である。
★スギダマ
喬木に寄生し、緑の鞠状の植物体を形成する。酒海植物の中ではメカ複合の度合いが低く、独立栄養に近い。葉片を飛ばして繁殖し、植物体が大きく成りすぎると丸ごと落下する。
★サカブクロ(クビツリカズラ)
オトコバシラにからみついて生育する蔓植物。葉の付け根に袋状の発酵器官を持ち、種子とともに良質の酒を蓄える。成熟すると種子とともに酒を滴らせる。マキニカリスはアルコールに富むものは摂取しないため、種子を守るための巧妙な機構と言えるだろう。
 この酒は人間にも飲用可能であることから、人間が開発したアルコール生産植物の直系であると考えられている。
 サカブクロは、酒と滋養分に富んだ種子を採取するほか、丈夫な袋を様々な用途に利用する。



・動物相
☆マキニカリス
通常数mmから数十センチの大きさになる昆虫型〜海サソリ型のメカ複合生物で、主として植物を「喰い」、アルコール発酵によって活動し、微生物(及びマイクロマシン)を含む炭素粒とアルコール液を排出する。小型のものは種子や穀物を常食し、大型のものは植物そのものを喰う。生態系ニッチとしては草食昆虫〜草食獣に位置する。
 酒海最大の生物、酒蟲もこのマキニカリスに属している。
☆酒蟲
酒海生態系の頂点を成す巨大生物。最大で体長20メートル以上に及ぶ。成長期には主に植物を喰うが、成熟すると砂を喰うようになり、時折酒海深層部まで潜って表層部では得にくいミネラルを補給していると言われる。
 マキニカリスであるにもかかわらず、もろみの中でも活動しており、酒海生物の運搬役としても重要な役割を果たしている。
 また、その青い血からはスパイスが作られ、このスパイスを飲んだものは「眼藍児」と呼ばれ、未来の吉凶を良く予言するようになると言われている。
☆酒中花
鮮やかな色彩の、くらげに似た複合生物である。炭素層を通して湧きだしてきた、澄んだ酒池に良く棲息している。肉食で、幼生やサケビタシを捕まえ、毒針で麻痺させて丸飲みにする。同類にスエゼンクラゲや電気ブランなどがいる。
☆酒亀
酒池に住み、酒中花を常食としている。カーボランダムの極めて丈夫な甲羅に覆われている。
☆サケビタシ
魚型のメカ複合生物の総称。
☆酔蟹
活発に動き回り、マキニカリスを補食している。酒海に沈まないよう千鳥足で歩き回る姿はややユーモラスだが、獰猛な生物である。
☆酒壺蟻
マキニカリスを補食する社会性メカ複合生物で、その名の通り蟻とよく似た社会を作っている。乾いた場所(エントツモドキの周辺など)に好んで巣を作り、活動に必要なアルコールを蓄えるための特別な個体を養っている。
☆トウジモドキ
酒海には数少ない脊椎動物系の生物である。柔軟で丈夫な皮膚を持ち、二足歩行する象と言った姿である。穏和な性格で、小集団で移動し、もろみタンクに長い鼻状器官を突っ込んで吸引する。もろみタンクの周辺は足場が悪いことから、鼻を長く伸ばすように進化したものと思われ、キリンの首と並ぶ獲得形質進化の証拠として議論されることがある。
☆ヤブタ
名前の通り豚である。胴体が蛇腹状(脊椎間の軟骨組織を伸縮させる機構がある)になっており、大量にもろみを飲込むことができる。通常はマキニダヤシの群落の中で怠惰に暮らしており、空腹になると蛇腹を搾って身軽になり、もろみタンクや酒池を捜して酒海中を徘徊する。
☆トラ
動物相の乏しい酒海中にあって、唯一の肉食獣である。もろみだけでもかなりの期間生存可能であるが、繁殖のために肉食を行う必要がある。通常孤独生活者であるが、繁殖期のみペアを作る。動物を見れば襲ってくる極めて危険な獣であり、それゆえ生活の詳細は殆ど知られていない。
☆うわばみ
脊椎動物ではなく、完全なメカ生物であるという説もある。白い蛇体は最長10メートル以上に成り、酒蟲に次ぐ巨大生物である。もろみタンクを見つけると頭を突っ込んで延々と飲み続ける。主としてマイクロマシンを取り込んで成長するために飲むのであり、通常は少量の酒(サカブクロなど)があれば生きてゆくことができる。
☆ピンクの象
酒海の奥地に住んでいて、その姿を見たものは希である。醸象の末裔とも言われ、もろみの塔信者にとっては神聖な生き物とされている。
☆サシツササレツ
幻獣である。シカのような体の両側に、男女の上半身が内向きに付いた姿で、背中をテーブルの代わりとして延々と酒を酌み交わしていると言われている。
 酒海の奥に滾々と美酒のわき出る泉があるという伝説から生まれた、儚い幻想であろうか。確かに見たと主張する者もいるが、酒海の酒毒にあたって見た幻だろうと、一笑に付すものが殆どである。