激しい雨が降っていたので、妙に懐かしい十代を懐古している。その頃から現在までの変化、或いはもっと真実的にいえば変遷は、結局のところその変遷自体には如何なる意味付けも無意味そうだ。
 空は灰色で、しかも夕闇を映して奇妙な、闇よりも深い憂鬱を振り撒く。雨がひどく私を濡らすので、思考が空虚になりつつあるが、それでもなんとか夕闇を感じる感覚自体は虚しくなってはいないようだ。ここにはかつて何が在ったのだろうか、ここでかつて何が起こったのだろうか。懐古する日々があまりに心情的に遠いので、よく思い出せない。不思議なのは、詳細が思い出せて、全体が朧げだということだ。わずか5年前のことだというのに、やはり人間という生き物は物事を記憶出来ても、感情を記憶することは出来ないのだろう。どんなことを考えていたのかは認識は出来るのだが、奇妙にリアリティがないのは。
 そうだ。ここにはある女がいた。名前も姿も忘れてしまったが、彼女は確かにここに存在した。いろいろなことが在ったと思う。良いことも、悪いことも。それはどういう事なのだろうか。それはそういう事に違いないのだろうが、それはいったいどういう事なのだろうか。それから、リアリティは既に失われてしまっているが、ここには懐かしい友人がいた。きっと、価値ある時間を共有した誰かだったはずだ。女と友人と私は、3人でよく遊びに出かけた。何処に行き、何をしたかは明確に覚えている、しかしそれが一体何だったのかと考えると、その頃は判っていたはずの物事の意味が形を失い、単に無感情なフィルムの中の一場面のように感じられる。時間が経って、その頃直感的に感じたことを冷静に見た結果として陳腐化したというのなら判るが、そういうものでもない。
 きっと、みんな忘れてしまったのだ。うつろいの中で。