人魚を捉えるために、男たちは淋しい海岸に仕掛を作る。男たちの多くは一人で、普通ならば漁師も行かない絶海の島か、あるいは海の果てに対する岬の突端に、男たちは秘かに考案した罠を仕掛け、傍らに小屋掛けして人魚が来るのを待つ。
仕掛はたとえば、調合した薬草や香料であり、宝石を用いた装飾品であり、祭壇であり、精緻な図譜や曼陀羅めいた模様であり、またそれらの幾つかの組合せだ。こうした仕掛は砂浜や磯の波打ち際に置かれ、あるいは描かれ、人魚の到来を待つ。けれども毎日仕掛に集まって来るのは土偶のような魚、貪欲そうな眼をした魚ばかりだ。男たちはその魚なのわづかな肉を好んで喰う。人魚を求める男たちには、その魚が人魚からの贈り物に思えるからだ。しかしその魚の肉の湿った朽木を思わせる味は、到底他の人々に賞味出来るものではない。
自分以外に人影すらない淋しい浜辺で、人魚を捉えるまでの時を孤独とともに暮らす男たちは、また若くした妻を失った者たちだという。更に噂によれば、若くしてその妻を殺して、町を追われた者だとも言う。それは多分、噂に過ぎない。自ら選んで人の暮らしに背を向け、人魚のような得体の知れないものを追って、夢を追って、生きる者たちへの畏れと何かしら妬みに似たものがそのような噂を産み出すのだろう。たとえ人魚が夢そのものであったとしても。
陸の見えなくなる所までは決して漁に行かない漁師たちは、人魚のことを訊ねられると鼻でせせら笑う。人魚などは所詮、海を知らない者の想像に過ぎないのだと、海にあるのは波ばかりだと言うのである。彼らは皆、賭博と強い酒の好きな海の男ばかりだ。けれどもただ一人、網小屋に住む盲の老人だけが人魚を見たことがあるという。かつて海の果ての大きな島の黒い交易船に乗り込んでいた時に、霧と波ばかりの航海の果てに人魚の群がる孤島を確かに見たのだと。すると漁師たちは笑って老人に酒を回す。漁師たちは言う、この老人は酒が欲しいばかりにこの手の嘘を好んでつくのだと。

交易路をはずれて荒れた浜を旅していると、時として朽ち果てた小屋や、波に洗われる仕掛の残骸を見ることがある。小屋の粗末な板張りの隙間から猜疑に満ちた眼で睨まれることがある。小屋の周囲には土偶に似た魚の残骸が散らばり、猜疑の眼の持ち主は決して小屋から出ようとせず、会話は頑なに拒まれる。小屋に住む男が結局人魚を捉えることが出来たのか、たとえばその小屋に人魚を秘匿して彼の望んだ人生を送っているのかを、知る術はない。